私たちはあるとき、なぜか意外な人に心を惹かれることがあります。
そのようなときは必ずといっていいほど、魂が関与しているのであります。
その相手に、魂自身の成長に必要な情報があるのです。
たとえそのときはわからなくても、後に振り返ってみると、すべての出会いのなかに成長に要する情報が秘められていることに気づかされます。
出会いは、情報を伝えるメッセンジャーの役割をしているのであります。
私たちはあるとき、なぜか意外な人に心を惹かれることがあります。
そのようなときは必ずといっていいほど、魂が関与しているのであります。
その相手に、魂自身の成長に必要な情報があるのです。
たとえそのときはわからなくても、後に振り返ってみると、すべての出会いのなかに成長に要する情報が秘められていることに気づかされます。
出会いは、情報を伝えるメッセンジャーの役割をしているのであります。
人間関係は、異性間、同性間のいずれも魂のレベルで繋がっております。また類は友を呼ぶといわれているように、魂のレベルがかけ離れているならば関係性を築くことはきわめて困難です。
私たちにはそれぞれ周波数があり、その周波数が人と人とを引き合わせ、その関係性を通じて、お互いが学習をしていきます。
したがって対人関係を通して、問題が生じ苦悩することはごく当たり前のことなのです。
むしろ苦しんだり悩んだりするそのあたりに、成長の鍵が秘められているのであります。
大概、問題に直面すると、自分の非を認めようとせず、一方的に相手を責めてしまいがちですが、片方だけの非はあり得ません。
なぜならば、人は互いに反応しあい、影響し合っているからです。
不安は、人生全般に悪影響を及ぼします。瞬時に、心の安らぎや、幸福感を奪います。過度な緊張が生じ、なにをしても良い結果は得られません。
視野が狭まり、日常生活のなかに溢れている豊かさを遠ざけ、新たな発見とそれにともなう新鮮な驚きと喜びが阻まれてしまうのであります。
不安や恐れは行動を制限するのです。最初からできないと思い込ませて無能力にしてしまうのです。そうして、生まれながらにして備わっている、創造性や可能性の扉が閉ざされてしまうのです。
運気を下げるネガティブな思考なども、不安が深く関わっております。したがって、不安を解き放つと、おのずとポジティブ思考になり、人生の色合いが変わり、明るく有意義なものとなるのです。
そもそも不安感などは、危機を未然に知らせてくれる、信号機の役割として活用するものなのです。
誰もが、経済的な不安、人間関係の不安、老い、死などの不安を抱いているものであり、いずれも先の見えないことから生じています。 それが自分自身が作り出した不安という幻なのであります。
実際のところ未来に起こる出来事は誰にも分からないのです。以前にも書きましたが、世の中に予言者など存在しないのです。
今まで様々な予言がありましたが、何一つ的中させた人はおりません。逆に言えば、未来が分かってしまったならば間違いなく気持ちは弛み、生に対する真剣さが半減されることは必至です。
ワクワク感なども、先が見えないからもたらされるわけですから未来が見えないことは、むしろありがたいことではないでしょうか。
人生は、予期せぬ素晴らしい出来事が起こりうる可能性を秘めています。それにもかかわらず、不安を感じるということは過去の記憶にもとづいた思考によって、未来を想像しているのです。思考が、過去と未来に支配されているのです。
過去と未来に支配された思考こそが、現実からかけ離れた幻想にすぎないのです。まさしく、不安は記憶にもとづいた思考がつくりだす、落とし穴にほかならないのです。
湧き上がったり、消えたりする不安こそ幻であり、もともと存在しないものなのです。不安を感じるということは、今、この瞬間から、自分自身の気持ちが離れている証なのです。
人間関係で、不安を煽る者と関わっている方もいると思います。ですが、そのような者は、真の友人ではないのです。
不安を煽る事は、あなたから心の安らぎや、幸福感を奪っている相手といえます。私は常に、人間関係は重要だといっております。付き合うたった一人の人が悪かったために次々と悪い縁が出来、再起不能なまでに不幸になる人がおります。 人付き合いは、くれぐれも慎重にしてください。
占い師や霊能者が好きな方も世の中にはたくさんおりますが不安を煽る者は、先ほども申しましたように、あなたから安らぎ、幸福感を奪います。お金を払ってまで、幸福感をわざわざ奪われにいく人もおります。きちんとした人は、必ず安心感を与えてくれるものなのです。
弘法大師 空海様が重視したのは運であります。
高野雑筆集のなかにこんな言葉がございます。
「風燭滅え易く、良辰遇い難し」
ろうそくは消えやすく、よい星に巡り合うことは難しい。
つまり、人の命は風前の灯であって、運が巡ってくることは少ないということであります。
それなのに人は、往々にしてその数少ないチャンスを見逃してしまう。
大いなる自然が幸運の到来を告げているのに、不自然な生き方をしているがために運が巡ってきていることに気がつかず、せっかくの機会を逃してしまいます。
そのようなことを繰り返していると、自分はいつも運が悪いと思い込んで、どんどんネガティブになり、その結果、ますます運から遠ざかってしまうといっているのです。
また、空海様は
こんな言葉も残しておられます。
「医王の目には途に触れて皆薬なり」
すぐれた医者の目から見れば、道ばたの雑草や石ころでさえもすべて薬になりうる。
つまり、誰もが気がつかないだけで、チャンスはどこにでも転がっているということであります。
このように、空海様は折に触れて運について語り、気づきの重要性を説きました。
空海様の思想の中心にはあきらかに運があり、その運を戦力的に活用しようとしていたのであります。
およそどんなビジネスも、運と実力がなければ成功することはありません。
それは、今も昔も変わらない真実なのであります。
予測不可能な今の時代において、もっとも大切なのは運を味方につけることです。
多くの人は、運はコントロール不可能だと考えておりますが、運はコントロールできるのであります。それほど難しい事ではないのです。
当ブログの以前の記事もよくお読み頂き、きちんと内容を理解されるならば、それがお分かりになることでしょう。
最後に、秋元康さんの言葉を紹介します。
成功するためには、何が必要か?
………運です。
僕はこの38年間、スターと呼ばれる人たちを見て来ました。
僕も何人もプロデュースして来ました。
そこで見たものは、運です。
どんなに実力があっても、 運がないとスターにはなれないのです。
努力は意味がないのか?
じゃあ、努力をしていても無駄なのか?
努力は報われないのか?
そんなことはありません。
努力は必要です。
言い方を変えれば、
努力は成功するための最低条件です。
以下省略
成功したければ、成功している人の意見を参考にし、生き方を真似る。
幸福になりたければ、幸福な人の意見を参考にし、生き方を真似る。
不幸になりたければ、不幸な人の生き方を真似て、人の誹謗中傷や嘘を言っていれば自然に不幸になれるのであります。
自分の目指すべきところを先に行って、うまくいっている人の生き方を参考にするのです。
何をしても、うまくいっていない人や不幸な人に何を言われようとも気にもしない、相手にもしない事であります。それが、自分の中に芯をもつということなのであります。
自分の中に芯のない不幸な人は、すぐ不幸な人に同調し振り回されるのであります。そして、さらに運から遠ざかり、負のスパイラルから抜け出せなくなるのであります。
密教が伝わる前の日本では、人が悟りを開いて仏になるためには何十回、何百回も生まれ変わらなければならないと信じられていました。
空海様は、そんな旧来の仏教を真っ向から否定したのであります。
この身このままで仏になれないのでは生まれた価値がない、生きている意味がない、だから生身のまま悟りに至り、仏として生きること、すなわち即身成仏しなさいと説いたのです。
したがって、密教の修行はすべて即身成仏するため、悟りを開くための脳の改造の修行なのです。
空海様が、秘密曼荼羅十住心論のなかで、自分の潜在的な能力を引き出すことが、本人の価値である。と述べているように、悟りへの第一歩は自分の本質、自分の能力に気がつき、その力を伸ばしていくことであります。
人の本質は多くの場合、幼少期の体験のなかに見出すことができます。
たとえば医学に興味のある子どもならば、その関連の仕事が向いているでしょう。
得意分野の仕事に就くことが、自分の能力を最大限に活かすということになります。
ただし、このように本質に沿った生き方を実現するには、生れもった能力を鍛える必要があります。いくら得意分野でも技術や知識を磨く鍛錬を怠れば、その道で成功することはできないのです。
それでは、どうすれば自分の潜在能力を開花させることができるのか。
空海様は、体験こそが人を悟りに導くと説きました。
みなさんのまわりにも自己啓発の本を読んだりしているのに、少しも成長がみられない人がいるのではないでしょうか。
そのような人は、知識はあっても体験に乏しいため頭でっかちになっており、せっかくの知識を活かすことができないのです。
知識は頭にあるだけでは意味がありません。
体験を通じて、自分の中で腑に落ちたとき、はじめて人の血肉となるのです。
知識を頭ではなく腹に落とすために大切なのも、間脳なのです。
右脳や左脳でものを考えようとすると、知識はどうしても頭にのぼってしまいます。
しかし、間脳で思考すれば、感覚が研ぎ澄まされ、仏の智慧が溢れ出てくるのであります。
学んだことと身体がひとつになっていくのであります。
余談でありますが、以前テレビで林修先生の授業を見たことがありますが、その中でも、なんでもいいから自分の得意分野を見つけて、それに集中するというようなことを言っておられました。まさにその通りなのです。 車が好きであれば誰にも負けないくらいとことん極めるのです。何でもよいのです。
極端なたとえかも知れませんが、世の中には、変に悪ぶる人も多いですが、やるのならとことん極めるのです。弱い者いじめしかできず、度胸がないのであれば最初からやらない事であります。
悪の世界で頂点に立てる人は、善の世界に来ても極められる器をもっているものです。
北斗晶さんのブログhttp://ameblo.jp/hokuto-akira/entry-11604340333.html
を拝見しておりましたら 「中途半端で辞めた人間は自分に落ち度はないといい、人を悪くしか言わない」というようなことを書かれておりました。これもまさにその通リであります。
その世界で、ある程度のところまで登りつめる事ができる人は、皆分かっているのです。
人の悪口をこそこそ陰でいっているような人間は、間違いなく中途半端な人間です。言うのであれば本人の前で堂々と言うのです。
以前にも申しましたが、中途半端な事が一番情けないのです。人並み以上の幸福を手に入れたければ、中途半端な人間にならない事です。また、中途半端な人間と友達にならない、言う事に振り回されない事であります。
話を戻しますが、成功を手に入れるには、自分を知り、得意分野を見つけ、それにとことん集中し、この分野だけは誰にも負けないというくらいに自信をつけるのです。
会社であれば、これだけは他社には負けないというオンリーワンの商品を作るのです。
目指すところは、ナンバーワンではなくオンリーワンなのです。
そうすると必ず道は開けてくるのです。
密教では、なぜ欲望を肯定するのか。
それは、人間のもつ、間脳という部分に深く関わっているのであります。
間脳とは、視床下部からなる自律神経の中枢で、嗅覚を除く全感覚を中継するとともに、性欲、食欲、睡眠欲などの欲望や本能を制御しています。
この間脳は、本能、欲望の脳であると同時に、悟りの脳でもあります。
欲望と悟りは、じつは脳の同じ部分がつかさどっているのです。
ところが、普通の状況下では、私たちは右脳や左脳に頼ってしまい間脳でものを考えることは難しいのです。そこで密教では人為的に間脳にゆさぶりをかけて脳を開発するのであります。
知識とは、過去の蓄積のことですが、自分の過去に経験したことがなく、知識にまったくない新しい状況では対応に困ることでしょう。
しかし、何かで成功するには、即座に対応していかなければなりません。
密教では、過去に照らして現状を判断する思考とは別の状態をつくり出していきます。
それが、仏の智慧(内面・潜在意識から湧き出てくる智慧)でもあります。
頭を使わずして判断すること、知識ではなく直感や感性にしたがって本質を見抜くことが必要です。それが、修行の行き着くところであり、そうした力を磨くことが、今の時代に、もっとも求められているのです。
弘法大師 空海様は、こうしたことを1200年前にすでに知っていたのです。すぐれた脳科学者でもあったのです。
密教の修行とは、脳の力を最大限に引き出し、世の中に貢献できる人を育てる教えでもあるのです。
石橋を叩いて渡るという諺がございますが、物事に対し、慎重になるのは悪くはありませんが、度が過ぎるのは考えものです。
たとえば弱気な人は、ここ一番という勝負で必ず安全な道しか選びません。就職先を決めるにも、潰れそうもない会社や古くから続いている会社を選ぼうとする傾向があります。
とにかく安全圏に身を置くことばかりを優先してしまうのです。このような人は、安定を求めすぎ、大きな成功をつかむことはありません。
それだけではなく、失敗や傷つくことを恐れ、ビクビクと身を縮めた生き方しかできないのです。
しかし、なぜ、それほどまでに失敗や傷つくことに神経質になるのでしょうか。その答えは、他人の目を気にしすぎるからであります。
そこで、少し考え方をかえるのです。
少し無理をして何かに挑戦し失敗したとき、それを見て笑ったり、ばかにするような人物を信用できるでしょうか。大切に思えるでしょうか。できないと思います。
そのようなひねくれ者は、交友関係からまっさきに外してしまいたいでしょう。つまり、そのような人は、どうでもいい相手で、なにを言われても気にすることのない人なのです。
他人の目を気にすることが、いかにくだらないことか分かると思います。
また、弱気な人は迷いやすい特徴があります。
どんなに弱気な人でも、ひらめきはあるはずです。
しかし、そのひらめきに対して、迷ってしまうため、どんどん気が分散してしまうのであります。
もともと気が弱いのに、さらにそれを分散させてしまったならば、ここぞというときに力が出るわけがないのであります。
弱気な人が迷ったときには、思い切って直感に従ってみるのです。そうすることにより、気が高揚し、たいていのことはスムーズに進むようになります。
なぜならば、強い気は運を呼び寄せる力をもっているからであります。
以前、テレビ番組で、ある成功している寿司職人を見たことがあります。その方は、一度直感で決断したことは、誰になんといわれようが絶対に変更はしないと言っておりました。迷いも少なく決断も早いのです。
大きな成功や幸福を掴める人は、自分の直感で一度くだした判断は、誰になんと言われようが絶対に変えないのです。
人の言葉に惑わされません。何を言われようが気にもしません。なぜならば、成功できない人、幸福になれない人の話を参考にしても、同じようにしかならないからであります。参考にしてよいのは、成功している人、幸福になっている人の意見なのです。
不幸から抜け出せない人の傾向として、常に迷い、人を妬み、そして嘘をよく吐き、精神性の高い人、幸福な人をばかにしたり、陥れようとします。そのような人に、どのように思われようが、一切気にしない事であります。
気にしないことは、同調しないことになるのです。
気にして意識(同調)すると、どんどん不幸に引きずり込まれていくのであります。
今の世の中でブレずに生きていくには、下を見て生きるのではなく、上を見て生きる。
幸福な人、成功している人の生き方を真似て生きる事であります。
迷いが出たならば、この人だったらどのようにするだろうか、と考えるのです。
私も迷いが出たときは、弘法大師様なら、このような時どのように考えるだろうか、と考えます。
経営者であれば、松下幸之助さんならどのように考えるだろうか、と考えるのです。
ある程度、その分野でトップにのし上がった人であれば誰でも良いのです。
また、偉人の名言を見るのもよろしいでしょう。
一番真似てはいけないのは、中途半端な人です。
何をしても中途半端で、愚痴しか言わない人たちです。
成功している人は、間違いなく負の発想や愚痴、人の陰口はいわないのです。
輪廻転生とは、次の世代に赤ちゃんとして生まれ変わってくることであります。ところが、生まれ変わる瞬間に前の世とまったく性格を変えてしまうことが多いのです。
霊が生前もっていた性格は霊の世界に行って成仏するまでに忘れ去られてしまい、前の世代には明るい性格だったか、暗い性格だったか、気前がよかったか、悪かったかなど、なにもかもまったく消えてしまいます。
しかし、前の世代で自分は今度こそ、こんな人生を歩みたいと強く念じればそれに近い状態で生まれ変わることもあるようです。
また、望んだこともない運命に生まれ変わる場合もあるのです。
人の嫌われ者で、性格の悪い人が、どこにでも一人や二人いることでしょう。
そのような人は、前世で徳を積まなかったからにほかならず、この世での生き様が、そのまま次の世代にまで継承されるとうことを知っておくことが大切です。
いわゆる因縁であります。原因をつくれば、必ずどこかで結果がでるのであります。
現世でのおこないが、次に生まれ変わってからの世代の幸、不幸を支配するわけですから現世をどのように生きるべきか真剣に考えなければいけないのです。
現世で人に常時暴力行為をおこなっている人は、次の世代では反対の側に立たされる事になります。今度は自分がいじめられるわけです。
大金持ちでも、貧乏人を見下すような言動をとったりすれば、次の世代には逆に見下され、人の命を殺めれば、必ずいつか自分も同じ目に遭うのです、当然といえば当然であります。
前世でのツケは、必ず回されてくるのです。天に向かって唾を吐けば、自分にかならず降りかかるように永遠普遍の自然界(宇宙)の法則であります。
現世に生きている間に功徳を積み、先祖霊を大切にすると、強力な守護霊がつきますから、その守護霊もまた味方になって次の世代の幸福を約束してくれるのであります。
ここで、徳を積むということを勘違いする方もいると思いますのでいっておきますが、徳を積むことは、どこかの宗教に入信することやお金を寄付することではありません。
お経を読むことも徳を積むことに繋がりますが、以前も申しましたが、性格が非常に悪い人間は、お経を読んでも功徳になるどころか、付近の低級霊を呼び寄せて害になることもあります。
人の悪口、陰口をいったり、人が困ることをする人間が、お経を読んだところで全く無意味な行為となります。
徳を積むとは、日々の生活の中で、親孝行をしたり、人から「ありがとう」といわれる人間、この人は絶対にいなければならないと思われるような人間、感謝されるような人間になるということであります。
人の悪口を陰でこそこそ言ってみたり、ひねくれている人はどこへいっても必要とされないでしょう。
人から必要ないと思われた人間ほど虚しいことはありません。死んでからも誰にも悲しんでもらえず、心のこもった線香一本すら誰にもあげてもらえないかも知れません。そして、すぐに人の心から忘れ去られてしまいます。なんと悲しいことでありましょうか。そのような人間には絶対にならないでほしいものです。
人から感謝されるような人格者が、お経を読んだりする事で、徳が増し、神仏に加護して頂けるのであります。
不成仏霊は、恨みがこうじると、幽霊となってどこまでもついてついてつきまとって歩きます。このように妖怪化させてしまうと、つかれた人は、身に危険が及びます。
この段階にまでなると、霊は、わが身がどんなことになっても、苦しい思いをしてでも祟ってやると、復讐の手を休めません。
日頃から人に恨まれない生き方をする事は非常に重要です。
やられたらやり返すという考えをもつ人は、人や霊からも強い恨みをもたれることが多いのであります。生きていても幸せになることはありませんし死んでからも成仏することは難しいでしょう。
妖怪化した霊につかれた場合には、ひたすらやさしい気持ちで霊を慰めるしかありません。許しをこうのです。何百回でも謝るしかありません。心をこめて供養することです。そうでなければ命をとられることもあります。
妖怪化した自縛霊でも、時間をかけて供養すれば霊障はなくなります。他人に頼まず、自分ですることです。他人に頼んでお祓いをしてもらっても、ほとんどが解決しないでしょう。
決して急がないことです。それがカギです。
不幸な人の特徴は、とにかく急ぎます。
すぐにでも状況を変えたいと思うようです。
人から恨まれるほどの人格ですから、すぐに解決するなどありえないのです。ゆっくりと時間をかけて供養をするのが現状回復への最短距離だといえます。
霊界には金銭的なものが通用しませんから、真心をもって仏様に声をかけてあげるのがもっともよい方法であります。
成功者は、どんな仕事が儲かるのか、どんな商品が売れるのかではなく人の心がどんなところに集まっているのかに注目します。
人はどんなことで困っているのか、人はどういう不便を抱えているのか、人を助けるためにはどのような商品やサービスがあればいいのかと、つねに人の心が向かう先を考えることがビジネスとなります。
人の心が集まる場所にはエネルギーが渦巻き、お金もよく流れます。
人の心の動きに敏感になって、お金が集まる場所に自分の心をもっていくことが成功の秘訣なのであります。