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密教僧のブログ

幸せになる人間と不幸になる人間は何が違うのか。目に見えない世界の法則を密教僧が解き明かします。

亡くなった人を突然思いだした経験はないでしょうか。

私たちは、偶然に思いだしていると思いがちですが、それは亡くなった霊があなたのそばに来ている時なのであります。


亡くなった霊は、一生懸命にパワーを送り、私を思い出して欲しいと言っているのだと考えると良いでしょう。決して何の意味もなく思い出しているわけではないのであります。


「あの人が亡くなって何年経つな」などと思いだす時は、霊がパワーを送り

コミュニケーションをとろうとしているわけであります。


また、亡くなった人との思い出は、いいことばかりではありません。

たとえば、「あいつにいじめられた」「貸したお金も返さないで憎らしい人だった」などと思った場合、

それは、その霊があなたのそばにいて謝っている時なのであります。

本当であれば、霊も思い出させたくないのです。それでも思いだすという事は、謝っている時であると考えると良いでしょう。


霊は、コミュニケーションをとりたがっているものです。

生きている者同士も「以心伝心」という言葉があり、嫌なやつと思えば、相手も同じ様に思っている事が多々あります。


死後の世界も私たちが生きている世界も言葉だけでなく魂と魂がふれあって常にコミュニケーションをとりながら生活しているのであります。




最近は、お墓に骨を入れず、海にまいて欲しい、山にまいて欲しいという方がおります。

これは、故人の遺志を尊重するとよろしいと思います。

魂が納得しているわけですから問題ないのであります。


亡くなる前に、こうして欲しいと言ったものの、霊になって

あんな事、言わなければ良かった。という事は、あまりありません。

自分の言った事にきちんと責任を持っているものです。


実際に骨をまかれた時、言う通りにしてくれてありがとう

と十分納得されるものです。


その人が一番好きだった事をしてあげるのがよろしいでしょう。


注意点として、故人の遺志も尊重したいが

お墓がないのはさびしいからと、半分を海に、半分はお墓にという事はしてはいけません。

身体は、常に一つにしておかなければいけないのであります。

お墓とは、霊にとっては生まれ変わってくるまでの間の安らぎの場であり、憩いの家でもあります。


生きている者にとってのお墓とは、死者の象徴であり、成仏を願う供養の対象となります。

ですから、お墓に入った霊も私たちと同じ様に四季を感じ残された者の身の上を案じたりするのであります。


一般にいわれる墓相は、根拠のないもので、霊を喜ばせるものではないようです。


実際には以下のような墓相が良いのであります。


陽当たりの良い東南向きか東向き。


墓石の素材は、御影石が最も良いのであります。


注意点として


墓地の地面をコンクリートで固める事や銅像を建てる事は、霊が非常に嫌がります。


樹木の繁茂している所は避けた方がよろしいでしょう。


また、お墓の周囲に木を植えすぎるのは良くないのであります。

避けなければならない樹木もあります。杉の木など大きくなるものであります。


植えてもよい木は、甘茶の木や沈丁花、シキミなどの香りが高く、丈の低い、そしてあまり繁茂しないものに限ります。これらの木は香木ですので漂う香りは、霊を快くさせるのであります。


最近ペット可というお寺もありますが、そのようなお寺は問題外であります。

人間とペットを同じ墓に葬る事は絶対にしてはいけません。

霊症を引き起こす場合もあります。


また、驚く事に他人のお骨を入れても問題無い、といった住職も以前おりました。

寺を継ぐために、宗派の本山で形だけの修行をしただけで、霊の事など全く無知な僧侶も最近は多いので注意が必要です。


インターネット上でのお参りなども問題外でしょう。

そのようなお寺の檀家になってしまったら最悪でしょう。


心温まる供養をして、霊も喜ぶのであります。


あなたが亡くなってからロッカーのようなところに納骨されたり

インターネットでお参りされて嬉しいでしょうか・・・






オーラとは、人が生きている限り発している内面から湧き出るエネルギーの事であります。

その人の体から波長となって発せられております。


私たちは人と会ったときに、この波長からその人の雰囲気を感じ取っています。


人との関わりあいの中で生きている私たちにとって、自分がどんなオーラを発しているのかを知ることは、とても大切なことなのです。

また、自分のオーラを強化していく事は、とても大切な事であります。


職業によってもオーラは違います。


分かりやすくいえば

僧侶は、僧侶のオーラが出ておりますし

怪しい人は、もちろん怪しいオーラを出しております。


警官は警官のオーラを出しております。

街中で、警官が私服で立っていても、オーラがある程度分かる方は、すぐ気が付くのであります。

オーラが分からなくても、勘の鋭い方は雰囲気で分かるかと思います。


お水のお仕事の方なども、歩っているだけで誰でも分かるのではないでしょうか

独特の雰囲気を醸し出しております。


僧侶でも警官でも、ある程度のレベルの人は、眼光、洞察力鋭く

射貫く目を持っており、 見つめられると、奥の奥まで見透かされるような気がするものです。



他にもオーラが分かると、こんな事も分かります。

浮気などが分かる様になるのです。


他の者との性交により、オーラに変化が生じるからであります。

特に女性の場合、子宮に相手のエネルギーが残留し、運気にまで影響するのです。

淫乱女性に不運な方が多いのは、このためであります。


女性の浮気を見分ける方法で、オーラ観察以外にも方法がありますので書いておきます。

女性の鼻腔の開き具合を観察します。

少し緩んでいるというか、開き気味の人がいると思いますが

それは、淫乱に近い相であります。

昨夜行為に及んだかどうか、これで判断できるのであります。


少し練習すれば

オーラの変化と、鼻腔の観察で、ほぼ完璧に見抜けるのであります。




どんな人間にも必ず守護霊はついていますが、地上人が
自ら低級霊を引き寄せる場合には手出しをすることはできません。
その人間を案じながらも守ることはできなくなります。
そうしたケースでは、結局、地上人は低級霊のなすがままに放っておかれることになります。

精神性が低い者は、低級霊を引き寄せます。
守護霊などに守られる事はほとんどありませんので守護霊はいないと思ったほうがよろしいでしょう。
また、先祖供養をされない方も守護霊はいないと思うとよろしいと思います。
自分の事ばかり考えている者は、人からも霊からも助けてもらえないという事であります。

その違いは、何かの大事故に遭遇した時などにはっきり表れます。
亡くなってしまう人、奇跡的に助かる人
また、人生のどん底まで落ちる人もいれば、その手前で難を逃れ、助かる人もおります。このような形で違いが出てくるのであります。

また、どんな事をしても開運できないという方がたくさんおります。
以前の記事にも書きましたが
精神性の低い者が、神社や寺で開運祈願してもらおうが、開運のお守りなどを持とうが、精神性が低い限りは何をしても無意味なのであります。

私のところに来る相談者は何をしても開運できなかったという人がほとんどであります。
遠隔気功やら寺や神社で各種祈願をしてもらったり、占い師にパワーストーンブレスをすすめられて買ってみたり 等 
様々な事をされてきた方がほとんどです。

しかし、よく考えて欲しいのです。
上記の様に、人に頼んで開運祈願をしてもらい
運勢が良くなってしまうのであれば
それでは、お金さえ払えば誰でも開運できてしまう事になります。
そんな事など、そうはありません。
※本当に法力ある僧侶が作成した護符の場合、何らかの効果はありますが
そのような僧侶は、一切宣伝はしませんので、すぐに見つける事は難しいと言えます。ほとんどが口コミなどではないでしょうか

私も、凄い僧侶を知っておりましたが、その方は一切宣伝などしておりませんでした。北関東の真言宗某派の住職だったので、ご存知の方もいるかも知れません。
口コミでは相当広がっていたようです。
もちろんテレビCMなどしているような寺ではありません。
その方は高齢で亡くなってしまいましたが
その方以外で凄い僧侶は、私は数人しか見た事がありません。

基本、自分の内面が変わらない限り、何の変化も起きないという事を悟るべきであります。

内面に変化が起きる事により、守護霊からも守られるようになるのです。




余談ですが
パワーグッズのようなもので、実際に強烈に運気に作用を及ぼすものも存在はしております。

弘法大師 空海の遺言「御遺告」に霊力をもつ宝珠についての記載があります。
宝珠は、「能作生珠」といいます。
仏舎利32粒や金を入れた金属製の容器を白檀などの9種類の香木の練り物で覆い丸く作ります。
そして、赤い布で包むとされています。
その宝珠を法力ある僧侶何千人かで、決められた日数を祈願するようです。
写真を見た事がありますが、凄い霊力を放っております。
現代の僧侶では、作る事は不可能です。

能作生珠は、愛知県稲沢市にある真言宗智山派の寺院、性海寺で発見され重要文化財(国指定)となっているようです。欲しくても手に入れる事はできません。

この様に、本当に霊力あるものは、存在しても簡単には手に入らないと言う事であります。

巷にある開運グッズで
所持するだけで金運が良くなる、運勢が良くなる
というものをたくさん購入された相談者が本当に多いのですが
これもよく考えれば分かる事であります。
あなたなら、どうでしょう。
ほんとうにそのような物であるならば、そう簡単には他人に譲らないでしょう。
仮に他人に譲るとしても安くは譲らないはずです。

本当に価値のある、良いものは簡単には手に入らない。
という事なのです。

当ブログでも、以前開運に良い商品をいくつか紹介しておりますが
その商品は、宣伝など一切されておりません。
また、そんなに安いものでもありません。
誰もが、安く簡単に手に入れられるものは、それなりの価値しかない。
という事なのであります。


死相は確実に顔に現れるのであります。
その特徴は、正中線上に現れるのです。


正中線上に現れた人は、臨終に臨み断末魔を経験するのです。

たとえば、額に現れやすいのは縦の黒筋であります。

本人自身か、大切な人が死ぬかもしれない、死なない場合でも、半死の状態になるという人は、額の髪の生え際(天中)から眉間に向けて、黒い縦筋がさがっております。


黒い色はすでに死んでいます。

これからの時はどんよりした青で出るのであります。

 

 

 

死神がついているかどうか知る方法

 

 

 


親指がわかりやすいでしょう。
親指に力がある間は死にません。

高齢者の方の手を握ると握り返してくる時に、手の親指の第一関節に力が入ってないと死神がついている可能性があります。

 

死期が近づくと高齢者の方が、おかしな事を言うようになったと言うご家族がおります。
たとえば、亡くなった先祖が出てきた、大昔の話をするようになった。など
何も分からないご家族は、ボケてしまわれたと思うようですが

 

死期が近づいた高齢者は、幽体離脱しやすくなり多くの霊を感知するようになるのであります。

 

 

死の兆候も書いておきます。

 

 


死の3ヶ月から1ヶ月前の兆候 

 

「自分は死ぬのだ」ということが現実になると、人はこの世界から身をひくようになっていきます。
これが別れの始まりです。

 

 

新聞やテレビに興味がなくなり、次に人々です。

 

たとえば、今日はだれとも会いたくないと言うようになるでしょう。


そして、最後に子ども、孫、そして最愛の人たちからも離れていきます。
これは、自分自身をとりまくあらゆるものから身を引いていき内なる世界へ向かっているのであります。


内なる世界では、自分自身や自分の人生を整理し、価値を見出すようになっていくのであります。
しかし、その人の内なる世界には、ただひとりしか入れません。

 

そして、食事量が減ります。

 

 

死の2週間から1週間前の兆候

 

 

上記にも書きましたが
実在しない人と話したり、分からない場所や出来事について話をしたりします。
亡くなった家族に会ったり、会話をしたりすることがあります。


体を維持する能力を失いつつあることを示す体の変化が現れてきます。
多くの場合、血圧が下がります。

心拍数が変化します。
体温は上がったり下がったりして変動します。
汗を多くかくようになります。

多くの場合、じっとりとします。

 

皮膚の色が変わります。発熱して紅潮したり、寒気とともに青ざめたりします。
黄色がかった青白い色は、死が近づくとよくみられます。

 

爪、手、足は青ざめたり、青白くなったりします。

呼吸の変化も起こります。
あえぐような呼吸をしたり、息を吐く時にくちびるをブルブル震わせたり、呼吸のリズムが止まったり再開したりすることがあります。


これらは、一般に眠っているときに起こります。

 

たんが増えることがあります。

 

そのために肺やのど元でゴロゴロと音がします。
せきが出ることもありますが、一般的にせきをしてもこの症状はよくなりません。
呼吸の変化や、たんが増えることは、現れたり消えたりします。
これらの兆候は現れたかと思えば、そのすぐ後にはすっきりとおさまるということがあります。


死の数日から数時間前の兆候
 
元気が出てくることがときにあります。

はっきりと、てきぱきして話をするようになることがあります。

 

何日も食事をとらなかった人が、好きなものを欲しがったり、実際に食べたりするかもしれません。

 

しばらくの間、誰とも会いたくなかった人が、親戚の人や見舞客と話をすることがあるかもしれません。

 

この世界から次の世界へ移るのに必要な、心の力が与えられるのであります。
この力は次の世界へ移る前に、一時的にからだを動かすのに使われます。 

 

今あげた例のように、この力は必ずしもそのときに明らかになるとは限りません。
しかし、後になって振り返ったときに、思い当たることがよくあるのです。

 

死が迫って来るに連れて、これまであげた死の2週間から1週間前の兆候がより強くなってきます。

 

 

じっとしていられない状態がさらに強くなることがあります。

 

呼吸のリズムが遅くなったり、不規則になったりします。

たんがさらに増えることにより、のど元でゴロゴロと大きな音がすることがあります。
ゴロゴロという音は、出たり消えたりします。

目は開いたままや半開きの状態になったりしますが、見えてはいません。
目がとろんとして、涙がでたりします。

手とあしの色が紫色になります。ひざ、足首、ひじに斑点がみられます。
手、足、背中、おしりの下になった部分にも斑点がみられることがあります。

脈が弱くなり、触れにくくなる。

尿が減少する。尿や大便を漏らす。

 

死が差し迫ってくると反応がなくなる。
周囲の状況に反応できなくなるのが一般的です。

 

 

どのように死と向き合うかは、生命に対する畏れ、人生への関与、新しい世界へ進むため現状をいかに受け入れるかによるでしょう。

 


生命に対する畏れとやり残したことは、死と直面する際に二つの大きな障害となるでしょう。

 

 

完全に呼吸が止まり、本当の別れがやってきます。
一度か二度の長い間隔をあけた呼吸に続いて、最後の呼吸がみられます。

 

 

そして、からだは空っぽになってしまいます。

体の持ち主は、もはや、重くて巧く動かなくなった乗りものを必要としなくなったのであります。
そして新たな霊の世界に入り、新たな命へ移ったのであります。

 

 

 

 

 

以下も覚えておくと良いでしょう。

 

 

 

 

 


死霊に苦しめられている人の相は、眉間に縦じわが一本入り

特に憑依されている人の場合、眉間にしわが入り、胆石やリュウマチ、胃痙攣や精神障害であり、何らかの身体的、精神的に苦痛を抱えているものであります。

このような人は、眉間にしわや深い溝が出来ているのであります。


また、呪われている人は、眉間に縦じわが二本入ります。


これもまた、死霊のせいであります。

 

死霊は督脈上に現れるのです。

 

 

死霊の憑依に対し、生霊の場合は、足之太陽膀胱径の左右線上に現れます。

 

 

 

 

夢に出てくる霊は、何を伝えたいのか。


夢の中の表情を良く観察すると良いのであります。

故人が、何も言わず黙っている。

あるいは、じっとあなたを見ている。

または、あなたに意味の分からない事を話しかけてくる。

という夢は、あなたに感謝していると理解すればよろしいでしょう。

不満がある場合は、内容を話してくれます。


非常に恨んで亡くなった故人場合、夢の中に出て来ると睨めつける目をされます。

口をきいても恨みつらみしかいいません。

生前にはっきり言えなかった事を夢で打ち明ける場合もあります。


人の命を奪った加害者や

自分の私利私欲のためだけに人を騙し、犠牲にしてお金を儲けて

優雅な暮らしをする者は、被害に遭った霊が鬼の形相をして現れる事が良くあります。

霊によっては、強烈な怨念のエネルギーを持つ方もいらっしゃいます。


そうなると、夢に現れるだけでなく

目に見えない霊的作用により脳内のホルモンバランスを崩され

統合失調症(精神病)になる事もあるのです。

亡くなった人だけに限らず、生きた人を苦しめた場合も同様の事が起こる場合があります。

過去、極悪だった者、人の命を奪うような犯罪を犯した者が、数年後に精神病や廃人になっていた。

という話を良く聞きますが、このような事からなのであります。

したがって、人から恨まれるような事をすると必ず、何らかの形でしっぺ返しはくるのです。

「身から出た錆」という事であります。



ちなみに、人に危害を加えた者、命を奪った者は、何百年、何千年も暗黒の世界に閉じこもるようです。

そして、何百年か何千年か後に再生したときは、表現できないほどの悲惨な人生を割り当てられるのであります。


霊視で、一度だけその様な霊を感知した事がありますが

ちょうど真っ暗闇の中で、棺桶に入れられ

身動きすらできない状態で、何百年、何千年と

苦しみに耐えなければならないような感じでありました。


人を苦しめたにも関わらず、優雅な生活を一時手に入れる悪人もおりますが

それは、つかの間の幸せであり、自分のパワーが弱ってきた晩年には、想像を絶するような

不幸が待ち受けているのです。

死後も苦しみ、生まれ変わっても悲惨な人生を送る事になるのであります。

人を苦しめた罪は非常に重いのであります。




以前の記事で、人間関係は誰にも無視できない絶対的に大切なものだということを説明し、「善友とつきあうことが仏道のすべてである」というお釈迦さまの言葉も紹介しました。


そこで問題は、どうすれば善友と悪友の区別判断ができるのか

ということになります。 


判断ミスをして悪人を善友だと思ってしまうと、我々の人生そのものが破滅することになります。 

人の心というのはそう簡単に理解できないものです。 


お釈迦さまは、当時の社会で見られた悪友達を例に出して、親切に説明なされております。


賭博者とばくしゃ(dhuttâ)

耽溺者たんできしゃ(sondâ:異性・食べ物・飲み物など何にでも溺れてしまう性格)

大酒飲み(pipâsâ)

詐欺師さぎし(nekatikâ :相手に気づかれないように巧みに騙だます)

騙し屋(vañcanikâ:狡ずるをして騙す)

粗暴そぼう(sâhasikâ)

という六種類の人間がおります。


このような人々と仲良くすると、自分の財産は、笊ざるから水が漏れるように消えてしまいます。

と説法されております。


悪友の区別判断のためにはこれだけの説明ではとても足りないと、お釈迦さまは思われたことでしょう。 なぜならば、仏教においては、誰と仲良くするかということは、たいへん真剣に取り組むべき問題だからであります。 


そこでお釈迦さまは、さらに詳しい説明をなさったのであります。


友人のように見えて、真の友人どころかむしろ悪友と見なすべき人々が四種類いるのです。
相手に対して悪意をもっているのに優しそうなお面をかぶって相手を不幸に陥れる人々


幸福に生きていきたいと思うならば、このような人に注意することが大事であります。

先程述べた六種の悪友は、「善人ヅラ」をかぶっているわけでもありません。 

たとえば粗暴な人であれば、すぐにわかるのだから、関係を絶つ勇気さえあれば良いのです。

一番たちが悪いのは「善人ヅラ」であります。

 

お釈迦さまの言われた四種類の「善人ヅラ」を書いておきます。


一つ目の特徴は、必ず何か持ち帰る。

二つ目は、わずかなことをしてあげて沢山のお返しを期待する。

三つ目は、自分に危難が訪れたら奴隷のように相手に慣れ親しむ。
四つ目は、自分に何か用事があるときのみ、つきあおうとする。


この四つの特徴で、悪友を区別判断できます。


四つ目は、経験している方も多いのではないでしょうか

典型的なものでは、中学、高校などの同級生から突然電話があり

食事に誘われる、そして待ち合わせ場所に向かうならば、そこには知らない人もおり、マルチ商法、新興宗教の勧誘であった。という事であります。

決まり文句は、「友人だろう」「友達だから言っている」「あなたのためを思って」などであります。


そこで入会してしまったがために不幸になる人が実に多いのであります。

悪友と関わると百害あっても一理ないのであります。人生の大切な時間とお金を失うのであります。


残りのタイプについても述べたいと思います。


過去の言葉で対応する。
将来の言葉で対応する。
無意味な言葉で対応する。

なすべきことが目前にくるとすぐ都合が悪くなる。


悪事にも賛成する。
良いことにも賛成する。

目の前ではよく誉める。

他人と陰で悪口を言う。


酒・麻薬などを使用して怠ろうと仲間になる。
外出してはいけない時間に夜遊びのために仲間になる。
音楽・踊り・祭りなどに耽るために仲間になる。
賭け事に耽るために仲間になる。



分かりやすく簡単に言えば、

誰でもうわべだけで食事に行く、お酒を飲みにいく仲間は何人かはいるでしょう。


しかしながら

「友人が、いざ本当に困った時に自分に害が及ばないよう逃げる」

「その場限りの調子の良い事ばかり言う」

「持ちつ持たれつができない」

「本人の前では良い顔をし、別の者のところでは陰口を言う」

「悪い事をすすめる」※上記のようにマルチや新興宗教をすすめる事や悪い遊びをすすめる など


こんな者は、友達ではないと言う事であります。

お金を貸して欲しいという者とも関わらない方が無難でしょう。

ほとんどの場合トラブルとなっております。


特に女性に多いのでありますが

上記のような悪友であると分かっていながらも孤独が怖いために付き合いをやめられない、という方が多いように感じます。


自ら不幸になる事を選択しているのであります。


悪友と縁を切り、自分の精神性を向上させる事により

善友が出来てくるものであります。


悪友と関わりがある限り、善友はできません。


まずは、悪い者と縁を切ると言う事が重要なのであります。



















幸福な現世を生きるためには

まず「幸福とは何か」を知る必要があります。


以前のブログ記事にも書きましたが

弘法大師 空海は以下のような言葉を遺しているのであります。


心暗き時は、即ち、偶う処、悉く渦なり


心が沈んでいるとき、気持ちが落ち込んでいる時は、やることなすことすべて禍を招いてしまう。

だからこそ、どんな状況でも、常に心は明るく保つ事が大切なのであります。


さらに空海は、暗くなった心をリセットするために、まず心を鎮めることこそが大事である。といっているのであります。



ハーバード大学が27万5千人にのぼる人達を調査した結果、仕事、ビジネス、家庭、結婚生活、友人関係、健康、地域社会とのつながりにいたるまで、私たちの生活におけるあらゆる面において、成功を導くのは「幸福感」である。という結論を出したのであります。


ハーバード大学でポジティブ心理学に関わったショーン・エイカー氏は、経済誌「Harvard Business Review」 2012年5月号で以下のような研究結果を発表しております。


幸福度の高い社員の生産性は平均31%上がる。


幸福感の高い社員の売り上げは平均37%上がる。


幸福度の高い社員の創造性は、そうでない人の3倍高い。


他の人がやり残した仕事を引き受けたり、同僚をランチに誘ったり、職場をまとめたりするソーシャルサポート役の人は、そうでない人と比べて集中度が10倍高く、昇進の可能性は40%高い


このデータが意味するのは、「幸福感が高まると成功する確率も高まる」という事なのであります。




つまり、これまでいわれていた「成功したら幸福になれる」というのは大間違いで

幸福だからこそ成功するのであります。


心が幸福に満たされ、ポジティブな状態のときにこそ、頭脳は、そのもてる力を最大限に発揮し

意欲に満ちて、ものごとを成功に導くのであります。


心の訓練をすれば、心の状態を変えて「幸福感」を高める事はできるのであります。



このような研究結果からも、私たちが、めざすべきは「成功」ではなく

まず「幸福感」である事が分かるかと思います。


何事をなすにも心が明るく、晴れやかであること、中心に幸福がある事。


心に幸せを感じていれば、それに比例して成功する確率は高まるのであります。


1200年前に弘法大師 空海が述べている事が、ハーバード大学が導き出した最新の研究とぴったり符合するのであります。


真言密教は生きた仏教、生きるための教えなのであります。






私は、このブログで何度も人間関係の重要性を書いております。

人間関係で確実に人生の質が変わるのであります。


以下の「メトロノーム同期」の動画をご覧になるとよいでしょう。

最初はバラバラな動きをしているものが、やがて 
お互いに影響し合って同じタイミングで動くようになる
という同期現象であります。

この同期現象は17世紀のヨーロッパで発見され、現在では この同期現象の性質を使って医療機器なども作られているらしく、カエルの鳴き声や蛍の光、人間の心臓の拍動など、実は自然界の多くの場面でも見られる現象であります。

他にも、クルマの交通渋滞や人間の睡眠周期、コンサートホールでの拍手など 
普段の生活の中にもある現象であります。





類は類を呼ぶ 

同じ考えや志を持つ者が集まり、一斉にその意識を拡散するならば、そのエネルギーをキャッチした他の集合体もまたそれに同調を始めるのであります。

こういった同期現象が必ずしも良い方向だけに使われるとは限らず
何にでも、どっちにでも転がる
というところが怖いのであります。


悪人といれば、自然に染まっていき同じ様な思考になってしまうのであります。


運の悪い人といれば、自然に同調し、自分の運も悪くなり

運の良い人といれば、自分の運も良くなっていくのであります。


目にはみえなくとも、確実に存在する宇宙の法則があるのであります。
仏の働き、因縁などもその一つでありましょう。

放射能、電磁波も目には見えなくとも確実に物質に悪影響を与えているのであります。



目に見えない働きが、目に見える物質に影響を与えているのであります。




友人関係について、どのくらいお釈迦さまが大切に考えておられたか、というエピソードがあります。


ある日、お釈迦様の側近であるアーナンダ尊者が、「仏道というのは、たいへん頭の良い、自分を指導してくれる、仲の良い友人がいるならば、その友人の力で道の半分を達成できるだろう」と考えたのであります。

そして、良いことを考えついたので、お釈迦さまにお話ししようと思い、そのことをお話ししたのであります。

するとお釈迦さまは「その通りではありません。仏道は、善友に巡り会えたならば完全に成功します。半分ではありません」とおっしゃったのです。

善友がいること、善友と共にいること、善友と交わることが仏道の半分である。

またある時、智慧の第一人者であったサーリプッタ尊者が、「善友がいることこそ仏道のすべてです」とお釈迦さまに報告しました。

お釈迦さまは「全くその通りです」と賛成なさったのです。

また別なところで、お釈迦さまが、このように述べられました。
「八正道を実践する人にとって、それを完成するために必要な唯一の条件は何かというならば、それは善友がいることのみで、他にはないのです。」

またある日、コーサラ王が、自分が考えたことをこのようにお釈迦さまに報告しました。
「世尊の教えは完全に語られています。しかしその意味も善友と関わる時のみに限ります。悪友と交わる時ではありません。」

お釈迦さまは「その通りである」と賛成され、善友と交わることについて説法されました。

良い友人は自分をしっかりと導いてくれるし、すばらしい影響を与えてくれる。
それどころか、良い友人に恵まれることが、人格を完成させるための、たった一つの条件なのであります。

とにかく、卑しい人々とつきあうと卑しい人間になる。

優れた人々とつきあうと優れた人間になる。

誰かと仲良くした結果、自分の道徳、自分の知恵、自分のしっかりした生き方が危うくなってくるならば、その友人は真の友人ではありません。

逆に、ある友人とつきあうと、自分のだらしない生き方ができなくなり、しっかりとした人格ができてくるならば、その友人とは決して離れずに、なんとか仲良くしてもらうように努力するべきであります。



良書を読む事も非常に良いでしょう。
意識の高い方が書いた本は、良い波動が出ているのであります。

以前の記事に書きましたが、メールやブログからも波動が出ております。
良い波動もあれば、見るだけで嫌な気分になるブログもございます。

私も、日々多くのブログを拝見し勉強させて頂いております。
とても素晴らしいブログを書かれている方も多くおり、温かい波動、まじめな波動を感じるブログを見つけた場合、私は読者登録させて頂いております。

精神性の高い方が書かれているブログは良い波動が出ており、そのようなブログを読む事で良い影響を受けられるでしょう。

人の批判、悪口を書いたブログ、掲示板は見ない事であります。
精神性の低い者の本やブログを読む事は良くないでしょう。
間接的に関わっているようなものであります。

直感的に嫌な気分になったならば、一切関わらない事であります。

人の批判や悪口を言う者の言葉は信じるべきでありません。同調してしまうのであります。

掲示板などに書かれた人の批判、悪口は、公衆トイレの壁に書かれた落書きレベルであり、それを真に受け信じる事は、自分を低くしてしまうのであります。



良い人、物とのみ関わる事であります。