悪友は財布に穴を開ける | 密教僧のブログ

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幸せになる人間と不幸になる人間は何が違うのか。目に見えない世界の法則を密教僧が解き明かします。

以前の記事で、人間関係は誰にも無視できない絶対的に大切なものだということを説明し、「善友とつきあうことが仏道のすべてである」というお釈迦さまの言葉も紹介しました。


そこで問題は、どうすれば善友と悪友の区別判断ができるのか

ということになります。 


判断ミスをして悪人を善友だと思ってしまうと、我々の人生そのものが破滅することになります。 

人の心というのはそう簡単に理解できないものです。 


お釈迦さまは、当時の社会で見られた悪友達を例に出して、親切に説明なされております。


賭博者とばくしゃ(dhuttâ)

耽溺者たんできしゃ(sondâ:異性・食べ物・飲み物など何にでも溺れてしまう性格)

大酒飲み(pipâsâ)

詐欺師さぎし(nekatikâ :相手に気づかれないように巧みに騙だます)

騙し屋(vañcanikâ:狡ずるをして騙す)

粗暴そぼう(sâhasikâ)

という六種類の人間がおります。


このような人々と仲良くすると、自分の財産は、笊ざるから水が漏れるように消えてしまいます。

と説法されております。


悪友の区別判断のためにはこれだけの説明ではとても足りないと、お釈迦さまは思われたことでしょう。 なぜならば、仏教においては、誰と仲良くするかということは、たいへん真剣に取り組むべき問題だからであります。 


そこでお釈迦さまは、さらに詳しい説明をなさったのであります。


友人のように見えて、真の友人どころかむしろ悪友と見なすべき人々が四種類いるのです。
相手に対して悪意をもっているのに優しそうなお面をかぶって相手を不幸に陥れる人々


幸福に生きていきたいと思うならば、このような人に注意することが大事であります。

先程述べた六種の悪友は、「善人ヅラ」をかぶっているわけでもありません。 

たとえば粗暴な人であれば、すぐにわかるのだから、関係を絶つ勇気さえあれば良いのです。

一番たちが悪いのは「善人ヅラ」であります。

 

お釈迦さまの言われた四種類の「善人ヅラ」を書いておきます。


一つ目の特徴は、必ず何か持ち帰る。

二つ目は、わずかなことをしてあげて沢山のお返しを期待する。

三つ目は、自分に危難が訪れたら奴隷のように相手に慣れ親しむ。
四つ目は、自分に何か用事があるときのみ、つきあおうとする。


この四つの特徴で、悪友を区別判断できます。


四つ目は、経験している方も多いのではないでしょうか

典型的なものでは、中学、高校などの同級生から突然電話があり

食事に誘われる、そして待ち合わせ場所に向かうならば、そこには知らない人もおり、マルチ商法、新興宗教の勧誘であった。という事であります。

決まり文句は、「友人だろう」「友達だから言っている」「あなたのためを思って」などであります。


そこで入会してしまったがために不幸になる人が実に多いのであります。

悪友と関わると百害あっても一理ないのであります。人生の大切な時間とお金を失うのであります。


残りのタイプについても述べたいと思います。


過去の言葉で対応する。
将来の言葉で対応する。
無意味な言葉で対応する。

なすべきことが目前にくるとすぐ都合が悪くなる。


悪事にも賛成する。
良いことにも賛成する。

目の前ではよく誉める。

他人と陰で悪口を言う。


酒・麻薬などを使用して怠ろうと仲間になる。
外出してはいけない時間に夜遊びのために仲間になる。
音楽・踊り・祭りなどに耽るために仲間になる。
賭け事に耽るために仲間になる。



分かりやすく簡単に言えば、

誰でもうわべだけで食事に行く、お酒を飲みにいく仲間は何人かはいるでしょう。


しかしながら

「友人が、いざ本当に困った時に自分に害が及ばないよう逃げる」

「その場限りの調子の良い事ばかり言う」

「持ちつ持たれつができない」

「本人の前では良い顔をし、別の者のところでは陰口を言う」

「悪い事をすすめる」※上記のようにマルチや新興宗教をすすめる事や悪い遊びをすすめる など


こんな者は、友達ではないと言う事であります。

お金を貸して欲しいという者とも関わらない方が無難でしょう。

ほとんどの場合トラブルとなっております。


特に女性に多いのでありますが

上記のような悪友であると分かっていながらも孤独が怖いために付き合いをやめられない、という方が多いように感じます。


自ら不幸になる事を選択しているのであります。


悪友と縁を切り、自分の精神性を向上させる事により

善友が出来てくるものであります。


悪友と関わりがある限り、善友はできません。


まずは、悪い者と縁を切ると言う事が重要なのであります。