園原健弘 静かに歩け -20ページ目

園原健弘 静かに歩け

「NO疲れた。ヨ・フォルテ(私は強い)」
そう言いながら、静かに歩いています。

今年は週末の仕事が激減でというか壊滅状態で、土曜日は世田谷の八幡山のグランド、日曜日は皇居・半蔵門、という生活。

 

だいたい車で移動するのですが、毎週ラジオを聴きながら行くのですが、7:30~「おしゃべりラボ~しあわせSocial Design~:ニッポン放送」が流れてくるので、フムフムと聞いているのですが、今日は慶応の先生(幸福論の第一人者)が「幸せ」について語っていたので、より、「フムフム」と聞き耳を立てておりました。

 

こんなコロナ禍だと、何か一つの道だけを生きているよりは、視野が広い人の方が幸せと。孤独、孤立は幸せ度を下げる。

副業はとても良い、ボランティアとかプロボノとか、多様に生きている人はレジリエンス(折れそうになって戻る力)が強いのだと。

なんでもいいから小さくチャレンジするのがいいいと。統計学的に求めたデータだそうです。

 

あー!そうなんだな。

仕事は減っても、他があったからな~!

 

お金についても言及が。とても元気が出る放送でした。自分を肯定してもらえたような放送。

他には日本では女性の方が幸せだと。

その理由は○○を良くするから。私は苦手。

 

ご興味ある方はラジコのタイムフリーで聞いてください。

 

毎週行く八幡山の様子を、本日、明治の父母会がライブ配信してくれました。

こんなところで、こんな感じで、トレーニングしております。

監督ブログには箱根のスポンサー獲得 今回のライブ配信の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治大学体育会競走部のユニフォームスポンサーのサトウ食品様が箱根駅伝必勝祈願をしてくれました。新潟の校友会、明治大学の戦没者学徒の先輩を巻き込んで!

有難い限りです。

ビジネスとしてのスポンサードですが、既にそこを超えたような想いを共有出来ております。

この、コロナ禍の大変な状況の中、参加チーム全ての健闘を、多くの皆様に少しでも元気や勇気が届けられるように箱根駅伝の無事の開催を祈願頂きました。
近所のスーパーに昨日買い物行ったら、『サトウの鏡餅』が山のように積まれていて!元気でるわー!
パワースポットと化してました。

本日の感染者800人越え!これ以上拡大しないように願うばかりです。

最近はSNSでは大学関連か陸上競技関連の発信ばかりで、やっぱりここに戻ってくるのか!?なんて。

 

いいような悪いような!

 

SNSが発展して情報発信の有力なツールとなるとプライベートをダラダラ垂れ流しても、全く逆効果になるし、逆興味(痛いやつ見たさ)で見られたりするのはわかるので。自分の過去のブログは本当に恥ずかしい!それも歴史と思って時々リンク貼ってますが。例年、この時期はホノルルマラソンに行っていたので、なんか時間的に余裕が出来て今年は大掃除頑張ろうなどと思っております。がは、ボーっとしていると予定が入ってきたり、時間だけが過ぎてしまいます。

 

情報発信については、先日来、写真のリクエストが多々あるのですが、手持ちでフリーで外に出せる写真がなく、いつもお世話になっているカメラマンの方にお助け頂きました。

 

主役級のメインの写真に、その前後の何気ない写真を添えると臨場感が出ると!

 

臨場感が伝われば共感を呼び起こし価値へ正当な理解と向上が生まれると!

 

なるほど。

 

以前お世話になっている方に、「場面場面で写真残しておいた方がいいよ!」とアドバイスもらったことがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真は箱根駅伝に出れなかった4年生が先週末、最後の記録会を終えたあとの写真。この写真がアップされて、「やり切った表情かな、悔しさを噛み殺した笑顔かな!?」なんて色々考えます。ただ、どちらにせよ、この写真が、私の気持ちをとても温かく元気にしてくれました。

いたるところで、この写真にコメントしましたが、ここでも

「4年間よく頑張った!君たちを誇りに思う!」

THE FIRST TAKE

このコロナ禍で色々な企画がどんどん実現されて、「こんなこともあったのか。」と、感心してしまう。

息子が「Def Tech アップされたよ。」と教えてくれたので。
家族でカラオケすると良く歌うのですが、全く歌えないので、「どうしてラップばっかり挑戦するの?」と不思議がられます。ラップに挑戦している訳でなく、好きだから歌いたいだけ。

「これだけ聞いていても歌えないの珍しいね!」と娘。
「難しいよ。これ。」
「じゃあ、歌うのやめれば。」
「まあ、そうなんだけど。」

なんて会話があって、THE FIRST TAKE を見ると。
「う~ん。さすが」と思ってしまいます。

親はいつまでもお前のそばにはいられないから、お前は強いから、頑張れるから、力はあるから、頑張って生きて行け!そしてずっとずっとずっと愛してるから!という歌ですね。



過去のブログにも何度か登場!
2007年12月

2015年3月


他のお勧め!


TVで平井大の FIRST TAKE を放送してて、このチャンネルの存在を知ったので



 
競歩関係者のみしか伝わらないニュースかもしれません。
日本の競歩界の発展に大きく関わってくれた二人の競歩のオリンピックメダリスト達が相次いでご逝去。
 
11月中は私のFBのタイムラインはお二人の回復祈願、訃報の知らせでいっぱいでした。
 
お一人はジョルディ・リョパルト(スペイン)
モスクワ五輪の銀メダリスト 日本陸連のサポートコーチも務めてくれ、その訃報は日本陸連も報じてくれました。
最初の出会いは1987年ローマ世界選手権前の2か月スペイン領テネリフェ島で合宿を一緒にさせてもらいました。この時の経験は私の人生の中でのすさまじい出来事でした。色々な意味で価値観の転換を図られました。
私が陸連競歩強化担当になった1998年頃かな、高畠町から予算を頂き、ジョルディに連絡して日本に来てもらいました。
上野に宿をとったら、御徒町のスポーツショップに興奮してたり、スペイン合宿でお世話になったお礼をたっぷりしたいと駒形どじょうにご一緒してもらったら閉口してたり、昔の事を思い出しました。
その後は、日本選手がスペインのジョルディの自宅を訪れて合宿したり、陸連のサポートコーチに就任頂き日本の競歩の発展にご尽力頂きました。
 
最後は2015年に幕張で二人で食事をしました。この時、陸連の合宿中で「野田と丸尾は強くなるよ!」と言っていてその後二人は世界で戦える選手に。
 
ホルヘ(ペイン語の発音)ムチシマスグラシアス
競歩も人生もマエストロ。
 
 
 
 
テネリフェ合宿宿舎にて
左がモーゼス・リョパルト(ジョルディのお父様:コーチ)
マヌロ・アルカデイァ(既にご逝去)
ダニエル・プラザ(バルセロナ五輪20KM金メダリスト)
ジョルデ

 
 
もうお一人は メキシコのエルネスト・カント 61歳のご逝去。若すぎる。癌だったようです。
1984年ロサンゼルスオリンピック金メダリスト
私がメキシコに初めて行ったのが1983年。その時から競歩界では世界的スーパースター。
度たび訪れるメキシコではカントがCMベースで使われていて、街中でカントの写真を良く見かけました。アカジョーというおっしゃれなカジュアルブランドのイメージキャラクターにもなっていました。
第1回の世界選手権の20KM競歩チャンピオンでアルバム探して、カントと一緒に「ヘルシンキで撮った写真あったよな~。ナイキのウェアで太腿にゼッケン貼り付けてカッコよかったやつ」。
でも、ない。
 
代わりにディズニーランドの写真が。なんか涙が出る。
1989年に尼崎競歩大会で来日したあと「東京観光しよう。」ということになり東京ディズニーランドへ行ったんだ!忘れてた。
スペインのレースで終了後、夜の街に連れて行ってくれて、お金がなくなり貸してもらったこともあった。
全てにおいて格好良かった。ご冥福を祈ります。
 
左から
カルロス・メルセナリオ(バルセロナ五輪50KM銀メダリスト)
ブラボー
カント
 
お二人の訃報に接して、今の自分を見つめ直す時間をもらいました。
彼らと濃密に過ごせた時間の後の人生を、彼らに誇れるように生きて来たのか、後悔ばかりするような時間だったのか。
 
日本の競歩界は今、実力的には世界に君臨するほどになった。
ただ、ジョルディやカントの国内での人気の凄さに比べれば足元にも及ばない。
 
ジョルディがバルセロナ五輪の開会式でオリンピックフラッグを持って入場した時の私の誇らしい気持ち。
カントがロス・アンヘルス五輪で金メダルを取った時、メキシコ人がスタジアム外周に大挙押しかけ歓喜したことを後々聞いた時の興奮。
 
日本の競歩が日本国民に何か喜びを与える事が出来るようにお二人にも見守ってもらいましょう!
 
安らかにお眠りください。