競歩関係者のみしか伝わらないニュースかもしれません。
日本の競歩界の発展に大きく関わってくれた二人の競歩のオリンピックメダリスト達が相次いでご逝去。
11月中は私のFBのタイムラインはお二人の回復祈願、訃報の知らせでいっぱいでした。
お一人はジョルディ・リョパルト(スペイン)
モスクワ五輪の銀メダリスト 日本陸連のサポートコーチも務めてくれ、その訃報は
日本陸連も報じてくれました。
最初の出会いは1987年ローマ世界選手権前の2か月スペイン領テネリフェ島で合宿を一緒にさせてもらいました。この時の経験は私の人生の中でのすさまじい出来事でした。色々な意味で価値観の転換を図られました。
私が陸連競歩強化担当になった1998年頃かな、高畠町から予算を頂き、ジョルディに連絡して日本に来てもらいました。
上野に宿をとったら、御徒町のスポーツショップに興奮してたり、スペイン合宿でお世話になったお礼をたっぷりしたいと駒形どじょうにご一緒してもらったら閉口してたり、昔の事を思い出しました。
その後は、日本選手がスペインのジョルディの自宅を訪れて合宿したり、陸連のサポートコーチに就任頂き日本の競歩の発展にご尽力頂きました。
最後は
2015年に幕張で二人で食事をしました。この時、陸連の合宿中で「野田と丸尾は強くなるよ!」と言っていてその後二人は世界で戦える選手に。
ホルヘ(ペイン語の発音)ムチシマスグラシアス
競歩も人生もマエストロ。
テネリフェ合宿宿舎にて
左がモーゼス・リョパルト(ジョルディのお父様:コーチ)
マヌロ・アルカデイァ(既にご逝去)
ダニエル・プラザ(バルセロナ五輪20KM金メダリスト)
ジョルデ

1984年ロサンゼルスオリンピック金メダリスト
私がメキシコに初めて行ったのが1983年。その時から競歩界では世界的スーパースター。
度たび訪れるメキシコではカントがCMベースで使われていて、街中でカントの写真を良く見かけました。
アカジョーというおっしゃれなカジュアルブランドのイメージキャラクターにもなっていました。
第1回の世界選手権の20KM競歩チャンピオンでアルバム探して、カントと一緒に「ヘルシンキで撮った写真あったよな~。ナイキのウェアで太腿にゼッケン貼り付けてカッコよかったやつ」。
でも、ない。
代わりにディズニーランドの写真が。なんか涙が出る。
1989年に尼崎競歩大会で来日したあと「東京観光しよう。」ということになり東京ディズニーランドへ行ったんだ!忘れてた。
スペインのレースで終了後、夜の街に連れて行ってくれて、お金がなくなり貸してもらったこともあった。
全てにおいて格好良かった。ご冥福を祈ります。
左から
カルロス・メルセナリオ(バルセロナ五輪50KM銀メダリスト)
ブラボー
カント
お二人の訃報に接して、今の自分を見つめ直す時間をもらいました。
彼らと濃密に過ごせた時間の後の人生を、彼らに誇れるように生きて来たのか、後悔ばかりするような時間だったのか。
日本の競歩界は今、実力的には世界に君臨するほどになった。
ただ、ジョルディやカントの国内での人気の凄さに比べれば足元にも及ばない。
ジョルディがバルセロナ五輪の開会式でオリンピックフラッグを持って入場した時の私の誇らしい気持ち。
カントがロス・アンヘルス五輪で金メダルを取った時、メキシコ人がスタジアム外周に大挙押しかけ歓喜したことを後々聞いた時の興奮。
日本の競歩が日本国民に何か喜びを与える事が出来るようにお二人にも見守ってもらいましょう!
安らかにお眠りください。