檀家制度についての考察 | 迷いを断ち切れ!お寺を作れ!~りんご地蔵修行記~(札幌市南区曹洞宗観音院住職)

迷いを断ち切れ!お寺を作れ!~りんご地蔵修行記~(札幌市南区曹洞宗観音院住職)

このブログは札幌在住の僧侶が
ゼロからお寺を建ていく様子を
様々な苦悩や問題に直面しながらも
挑戦し続けるプロセスを記したものです。
赤裸々なりんご地蔵の修行記、
ご笑覧下さい。合掌
TEL:011-215-1911




檀家という言葉を扱う時、

住職という立場からは

琴線に触れるがごとく

慎重にならなければならない。タラー


かといって、

これに触れずにやり過ごす…

というのはもはや通用しない

局面を迎えているでしょう。爆笑


例えば、私が、

「檀家制度」反対!と公然にうたえば、

多くのお寺からの反感を買うでしょうし、

別に他寺院に反旗を翻したいわけでなくても

おおよそそんな立ち位置されてしまう。笑い泣き


賛成か反対か…でケリがつくほど

お寺にとっては簡単ではないでしょう。


しかしながら全てのお寺の共通認識として

少なくとも「檀家制度」は

何かを改善すべきである…

という問題意識はあるでしょう。ニヤリ


そもそも仏教の根幹は「諸行無常」

ある規範が普遍的に有効である…

なんてことはあり得ません。爆笑


日本における古い仕来たりや法律は、

いわゆる制度疲労を起こして、

もはや現代社会にそぐわなくなっている

なんてことは多々あるわけで、

お寺の基盤もまた特別視せず

シンプルに同じ感覚で眺めれば、

制度側から歩み寄る余地は

十分に考えられる。ウインク

そして歩み寄る対象は、勿論、

現代社会、そこに生きる人

ということになる。流れ星


江戸時代はお寺が戸籍などを扱う

今でいう役所の役割を担っていて、

その背景から成り立つ

既存の檀家制度の構図は、


お寺は維持・継続されなければならない

     ↓  ↓  ↓

そのために必要な負担を檀信徒が担う


というもの。


もしこのベクトルが逆になれば、


信者さんに必要とされるお寺になる

     ↓  ↓  ↓

よってお寺が維持・継続される


ということになる。ウインク


この方がよっぽどわかりやすい。

お寺がなすべき努力も明確になる。ニコニコ


それは、

「必要とされるお寺になる」

という努力に他ならない。おねがい


この努力がゆるぎない大前提であれば

檀家制度をやめようと続けようと、

一つの方法論に過ぎないわけで、

大きな問題にはならない。ウインク


檀家制度に纏わる根本問題は、

お寺はその地域にとって必要な存在か?

必要とされるべく努力をしてきたか?

ということだと思う。雷


したがって、

この問題が取り沙汰される際の

最大の論点は、

檀家制度というものが、

信者のためにあるのではなく、

お寺側の都合でのみ機能してしまっている

という現状に対して、

一石投じたいわけである。爆笑


なので、

「檀家制度=悪」という極論で

ねじ伏せるのではなくて、

目線がどこにあるか?!?

ということ。ルンルン


問題は、、、

お寺側の視点でしかモノを見れてない

もっと信者さん側の目線にたって

運営を考えていかねばならない

というところに着地する。ウインク


これまではお寺側の目線に

偏り過ぎてしまったことは否めない。


「お寺の世界はそんなものじゃない!」

「一般社会とは違う世界なんだ!」

というご意見があることを

百も承知で言わせてもらえば、

もしこの制度を今後も採用していくなら

信者さん側が明確なメリットを享受できる

制度にしてよいと思う。ニヤリ

もっといえば、檀家になることが

とっても魅力的に思える制度。ニヤリ

それでいて個々のお寺によって

多様性があればおもしろい。ウインク


少なくとも、

長らくやってきた形態、

つまり、、、

お寺の存続における

安全性を担保する

という目的のみの制度ならば

人はついてこないと思う。アセアセ


そういう意味で

檀家制度は過渡期にきている。

同時にお寺のあり方も変わる時!キラキラ


私はこの過渡期に、

人生を賭けてお寺を作りました。ルンルン

だからこそ、

そのビジョンを明確にしておく

ということは大事だと思う。ウインク



記載した内容は、

あくまで私の主観であり、

必ずしも正しいわけではなく、

今後も変わってくることも

十分にあり得る。キョロキョロ

しかしながら、あくまで

その一般社会的な目線は変えず、

自分流のお寺づくりに

取り組んでいきたいと思う。ウインク