謎の十三湊・後編 | 青森の鉛筆

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今日は、前回の続きで、衰退した十三湊について、お伝えしたいと思います。



いつの間にか衰退していた十三湊船


中世青森に関する記録は、ほとんど残っていないため、長らく十三湊の衰退の理由が分かっていませんでした。


十三湊を支配していた安東氏ですが、室町時代中期に入ると、勢力を伸ばしてきた南部氏によって追いやられ、それと同時に、北方貿易の拠点としての地位も、十三湊から野辺地湊(現在の野辺地町)や大浜湊(現在の青森市油川)に取って代わられるようになりました。


その後の十三湊は、整備がされることも無く、次第に湾岸部に川からの土砂が堆積、港としての機能がなくなってしまいました。


湊としての機能が無くなった十三湊ではありますが、北陸や大阪との交易においては、野辺地や大浜に比べて、便利な場所にありました。


なので、16世紀にはいると、再び湊としての整備が行われ、江戸時代に入ると、北前船の重要な拠点のひとつとして栄えていったのですクラッカー




参考サイト下矢印


十三湊 (Wikipedia より)船





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