燐夢☆太郎の「スーパー銭湯へ行こう!」 -7ページ目

<③スーパー銭湯の元祖とは?その1>

当時の消費者の温浴施設に対するイメージは普通公衆浴場→沸かし湯
そして、箕面スパーガーデン、有馬ヘルスセンターなどの巨大温泉レジャ
ー施設は→天然温泉レジャー、オフィス街のサウナなら→レジャーサウナ
そして温泉ホテル・旅館は→露天風呂だったと思います。
これら、消費者が持つイメージを形づけたのは各温浴業態の特徴的な
部分でした。箕面スパーガーデンであれば特大の開放感を持つ巨大な
湯船、そして飲食も可能な巨大なイートインコーナー、レジャーサウナなら
北欧直結の本格的なサウナ、深夜帯の営業体制、そして温泉ホテル・
旅館ならば風光明媚な露天風呂と天然温泉。
これらの特徴的な部分を兼ね備える普通公衆浴場が、昭和61年に誕生
するのです。それが「夢の公衆浴場 五色」でした。
オープン当時の「夢の公衆浴場 五色」は衝撃的でした。普通公衆浴場
つまり街の御風呂屋さんでありながら、近代的デザインかつ巨大な建屋
を持ち、1階エントランスの天井までの吹き抜け、そして当時は珍しかった
軽食やドリンクなどのイートインコーナー。2階の浴室へは長い階段から
入り、そうして目にした本格的な露天風呂!
特に衝撃的だったのは「24時間営業」だったことでしょうか。当時の時流
になりつつあった「深夜営業」、温浴施設ではオフィス街のレジャーサウナ
でしか見当たりませんでした。
今のスーパー銭湯との共通点を夢の公衆浴場 五色に見い出すとすれば
街中に在りながらもバツグンの開放感を誇る露天風呂、そして館内での
食事エリア、様々なアクティビティバス、遠赤外線サウナなど多々あると
思いますが、スーパー銭湯の元祖と言われる所以は「24時間」営業
にあると思うのです。
この24時間営業は深夜営業を更に特化させたものだと思われます。
当時の普通公衆浴場は営業時間を深夜11時~12時としていたところ
も多かったのですが、実質はお客さんがお風呂から上がるまで、という
感じでした。結局は深夜12時を回ってもお風呂屋さんが開いているという
状況だったのです。そう言った同業者との差別化もあったのでしょうか、
夢の公衆浴場 五色は24時間営業を英断したのでした。
バブルによる景気の上昇、そして消費者の深夜志向、これらの要素が
24時間営業に呼応するかのように夢の公衆浴場 五色はオープン当初
から大ブレイクを果たすのです。当時は健康ランドという呼び名での認識
もあって、後続の温浴施設は24時間体制の営業に追従していったので
あります。夢の公衆浴場 五色から近い兵庫県尼崎市にあったアーバン
リゾートクラブ(既に廃業)、金の泉 天然温泉あま湯ハウス(開業当時は
天然温泉は湧出ていなく、その後の掘削により天然温泉利用となるもの
の、近年休業中)、そして現在も元気に営業を続ける神戸クアハウス、
奈良健康ランドなどが記憶に残っています。

<④スーパー銭湯の元祖とは?その2>
これまでのワタクシ、燐夢の勝手な論証をマトメてみますと、レジャーと
日常生活での消費行動は、バブル期まではシッカリと棲み分けがなされ
ていたものの、バブルによる好景気が所得増を押し上げた結果、日常
生活の消費行動にさえレジャー化を求める人々が急増、そのリッチかつ
ニッチな消費者嗜好に敏感に反応したのが、温浴業界において普通公
衆浴場のレジャー化に踏み切った「ニュー富士羽温泉」「万葉ポカポカ
温泉」だったと思うのです。
しかしながら、バブル景気に後押しされた人々は「レジャー志向」を貪欲
に追い求めていくのです。巨大温泉レジャー施設のような開放感のある
建屋や大浴場、そして食事エリアもあり、かつ遠方の温泉地にあるような
野外の開放感を持つ露天風呂、そしてオフィス街のレジャーサウナをも
彷彿とさせる当時の街の銭湯では珍しかった遠赤外線のサウナしかも
24時間営業で心ゆくまで汗をかける上、風呂上りのビールもある…
そんなアレモコレも備えた銭湯が「夢の公衆浴場 五色」なのです。
ここまで書けばスーパー銭湯の元祖はここだ!というのはお分かりで
ありましょう。現在のスーパー銭湯の原型がそこにはあるのですから。
後続の温浴施設「健康ランド」「スパ・クアハウス」「スーパー銭湯」など
これらの業態がベンチマークとしてきた施設には「箕面スパーガーデン」
「有馬ヘルスセンター」「サウナ大東洋」「びわ湖温泉 紅葉パラダイス」
などが挙げられるとワタクシ、個人的に思うのですが、これらの施設の
要素を限られた営業面積に集約し、沸かし湯により「温泉」を表現しなが
ら時代のニーズ「深夜」の営業体制を実現した「夢の公衆浴場 五色」も
後発の温浴施設のベンチマークとなったことは間違いないと思うのです。
何故ならスーパー銭湯に行くと、懐かしい古き良き昭和の頃を思い出す
からなのです。「みのお」や「ありま」そして「ごしき」へ家族でお出掛かけ
する。御風呂にみんなで浸かり、そうして週末の夜を家族でユッタリと
過ごす。昭和の子供たちにとっては御風呂は一大イベントでした。
そんな夢の公衆浴場 五色で感じていた、あの子供の頃のワクワク感を
今のスーパー銭湯に感じるからこそスーパー銭湯へと足が向くのです。
御風呂ってヤッパリサイコーですよね!

さてさて、「スーパー銭湯の元祖とは?」の論証も良いのですが、この
ブログはやはり御風呂をご紹介せねばなりません!
大阪から北摂地域へと繋がる阪神高速道路池田線の高架下に地元の
人々の生活幹線道路となっている伊丹空港へとつながる通称「空港線」
に面した好アクセスの場所は大変な交通量の多いエリアであります。
その空港線沿いの東側に「日本一の銭湯 夢の公衆浴場 五色」と書き
抜かれた巨大な看板が目に入ります。阪神高速からも目に入る看板、
それが「夢の公衆浴場 五色」であります。
オープンした昭和~平成に掛けては空港線が五色の駐車場待ちの車で
渋滞するほど大ブレイクしたのですが、今では昨今のスーパー銭湯乱立
の影響からか、駐車場はクルマはマバラまでは行かないものの待たずに
止めることができました。
そうしてパチンコ店を彷彿とさせる、いかにも昭和然りとしたギラギラとい
う表現が相応しいド派手なネオンが見えます。周囲は企業・会社が立ち
ならぶ界隈、余計にネオンがまぶしく見えます。
幾重にも鉄柱が組まれた外観、街の御風呂屋さん=普通公衆浴場とは
思えない雰囲気がただよっているのですが、建屋入口には大看板と同じ
「日本一の銭湯 夢の公衆浴場 五色」と染め抜かれたノレンがあります。
これまた巨大なノレンであります。その大ノレンをクグルと途端にホッと
しました。古き良き昭和の時代の銭湯にある「下駄箱」があるのです。
シューズボックスではありません。
靴を下駄箱に仕舞い、木札を抜いてジーンズのポケットに収める。ああ
昔と全く変わらないなぁ~などと感じながら巨大な吹き抜けのある広い
待合ロビーがアラワレます。天上には「シャンデリア」があります。
入口左側には奥にズズイと延びた「うどんコーナー」があり、右手には円
径のベンチが、そして各種の自動販売機が並んでいます。
そうして中央には券売機と番台があります。その左右に「男湯」「女湯」
と染め抜かれたノレンがあります。ここは銭湯なんですねぇ~
そうして券売機でチケットを購入し、番台に渡して「御風呂」へと向かい
ます。男湯のノレンをクグルとそこは広い広い脱衣所でした。もちろん
昔ながらの銭湯スタイルです。脱衣ロッカーは壁ヅタイに150~200位
あるんでしょうか。ナカナカ壮観な眺めです。
そうして大浴場へと向かいます。高い階段を昇り2階にタドリつくと、そこ
には正しく「スーパー銭湯の原型」があったのです。
階段の左手には掛かり湯、その横にはジュビナバス、これは四方から
高圧水流が勢い良く出て身体をほぐしてくれるというもの。
そしてその横にはドリームバス・ローリングバス・リラックスバスとあって
イワユル、マッサージ・エステ系の湯船であります。更には定番、電気
風呂とあり、その前には遠赤外線サウナ・スチームバスとあって両方と
も普通公衆浴場のサウナとしてはかなり広く、現代のスーパー銭湯にも
引け劣りません。遠赤外線サウナは入浴料とは別料金なのですが、両
サイドがヒナ壇式になっていて広いです。遠赤外線サウナ、スチームサ
ウナとも広い上に熱い。スチームサウナだけでもシッカリと汗かけます。
大浴場真ん中には低温・高温に分かれた大湯船です。そうして露天
風呂の入り口手前には「古代檜風呂」があります。効能書きがシッカリ
とアピールされた「療養人工炭酸泉」が利用された人工温泉なんですが
これが肌への心地良い刺激があってずっと浸かっていたいです。
特筆するべきは露天風呂でしょうか。
露天風呂入り口左手に御湯をクルブシくらいまで張った「歩行湯」があり
ます。これは湯船の底に青竹踏みのような凹凸があって、足裏を暖め
ながら足裏をジンワリと刺激します。真ん中に手すりがあって歩くのに
は不便はありません。そしてその奥には薬草湯。濃度のある薬草袋が
湯船に浮かべられて、かなりキマス。そうして岩風呂があって打たせ湯
があります。岩風呂の前にある低い円卓のような大理石もしくは御影石
で作られたベンチは外気浴には丁度良い位置です。
子供時代にこの丸い石の上に腰掛けて見上げた、景色は今も残って
いるのであります。人々の嗜好は変わっても、温泉の理想像が時代と
共に移り変わっても、御風呂はいつの世も癒しと元気を与えてくれるん
だな~と思いながら、ホッコリとなれるのでした。

<御気軽度☆☆☆☆☆>
天然温泉ではないものの、様々なアクティビティを備えた御風呂が街の
御風呂屋さんの料金で楽しめます。パーキングも夢の公衆浴場 五色の
公式サイトによれば90台分あるとのこと。料金は現在の時点では大人
(高校生以上)440円となっていますが、変更もあるかもしれませんので
詳細は必ず夢の公衆浴場 五色の公式サイトでご確認下さいませ。
夢の公衆浴場 五色は普通公衆浴場=街の銭湯ですので備え付けの
シャンプー・リンス、ボディソープなどフリーアメニティはありません、念の
ため!

<レジャー施設度☆☆☆☆>
普通公衆浴場ですので、身体に刺青をいれた人も入浴していることも
ありますが、それは、皆さん御風呂を楽しみにきてるんですから。
ただ一つ難点は館内、脱衣所が喫煙可ということでしょうか。もちろん
大浴場は禁煙ですが。分煙すべきでしょうね。☆4つです。

<夢の公衆浴場 五色>
http://www.goshiki.co.jp/







今日のご紹介は「夢の公衆浴場 五色」なのです。
<スーパー銭湯度☆☆☆☆>

アベノミクスだの株価高騰だの円安だの言われている昨今でありますが

現実的にはそれらの恩恵を受けているのはホンの少数の層でありまして
景気回復の実感など大半の国民が感じていないのがホンネでしょうね。
それが証拠にスーパー銭湯を始めとする温浴施設は週末になると混雑
を極めますし、衣食住においてはマダマダ「安価」「安易」「安心」の業界
が勢力を伸ばしているのが実態でありましょう。
昭和~平成と浮き沈みの激しい日本経済でありますが、そんななかでも
開業当初からの営業スタイルを貫き通している温浴施設があるのです。
それが「夢の公衆浴場 五色」なのであります。
「夢の公衆浴場 五色」は、とある定義の中で登場することが良くある
温浴施設なのです。その定義とは!?「スーパー銭湯の元祖は何処だ?」
ということなのです。ウィキペディアによれば『“スーパー銭湯”的な施設
の走りとして、1985年に富山県高岡市で開業した「万葉ポカポカ温泉」、
1986年に大阪府豊中市で開業した「夢の公衆浴場 五色」、さらに遡る
と1976年に大阪市生野区で開業した「ニュー富士羽温泉」(2008年廃
業)などがある。』とあります。(ウィキペディア:スーパー銭湯)より
しかしながらウィキペディアで登場した3つの「元祖スーパー銭湯」施設
の中で現在も営業を続けているのは「夢の公衆浴場 五色」だけなので
ありまして、「万葉ポカポカ温泉」「ニュー富士羽温泉」ともに、既に廃業
しているのでした。実はワタクシは「万葉ポカポカ温泉」「ニュー富士羽温
泉」ともに利用・体験したことはないのですが、ネットや雑誌等の資料を
見る限りでは前述の2つの温浴施設は「街の銭湯」=法律で定められた
ところの「普通公衆浴場」+アルファの施設だったようなのです。
では、「スーパー銭湯」の定義とはナンゾや!?と御思いのオマエタチ
皆々様もおいでのことでしょう。ここでワタクシ、燐夢が「スーパー銭湯」
の定義を断言!いたしましょう。それは…「利用者次第!」ってことです
かねぇ~!そう、利用者が「ここはスーパーな銭湯だっ!」と思えたなら
その温浴施設は「スーパー銭湯」でしょうし、「フ~ン…、並だねぇ~」と
感じれば「普通の銭湯」なんでしょうし。まあ、楽しめればヨシ!ってこと
で。その「定義」でいけば、ワタクシ、燐夢の世を忍ぶ幼少の頃に「五色
湯」を訪れた際の感想は、正しく「スンゲ~風呂屋!」でした。
ここでワタクシ、燐夢の個人的な論証ではございますが、ワタクシの世を
忍ぶ仮の幼少期の記憶を紐解きながら「スーパー銭湯の元祖とは?」
という論争についての検証を試みたいと思います!

<①昭和40年から50年にかけての温浴施設の意義とは?>

思いオコセバ、昭和50年前後の温浴施設勢力図は箕面スパーガーデン、
有馬ヘルスセンター(現在の有馬温泉 太閤の湯)、びわ湖温泉紅葉パ
ラダイス、びわ湖タワー大岩風呂、長島温泉ナガシマスパーランドあたり
が日帰りレジャー=ドライブで温泉目的の時の場合に家族みんなで行く
謂わば「おとうさん」にとっての「家族サービス」御用達の温浴施設だった
と記憶しています。そして、その「おとうさん」御用達の会社帰りの憩いの
場であり、企業戦士達のホッとタイムな社交場であった「レジャーサウナ」
がありました。大阪市北区の「サウナ大東洋」や神戸市中央区の「神戸
サウナ&スパ」など現在も元気に営業中の、これらの温浴施設はビジネ
スマン御用達として昭和から確固たる地位を確立しているのです。
「夢の公衆浴場 五色」が開業した1986年つまり、昭和61~62年以前は
温浴施設は前述の2業態と「普通公衆浴場」つまり街の御風呂屋さんが
主流であり、「日帰りレジャー」として楽しめる温浴施設はなかったので
した。もちろん温泉街の高級温泉宿・旅館・ホテルもあったのはあったの
ですが、敷居が高くて気軽に温泉だけ利用できる施設はほとんどなくて
宴会や会席のついでに宿の大浴場を楽しめる、そんな状況でした。
しかしながら、この昭和の高度経済成長期を過ぎた昭和50年代は棲み
分けは各施設ごとに出来ていたのでした。遊園地・演劇場などを備えた
巨大温泉レジャー施設は家族で、オフィス街のレジャーサウナはビジネス
で、街の御風呂屋さんは家族それぞれの日課として、各家庭に御風呂が
つまりユニットバス等の家庭風呂の普及率がまだまだ低かった時代背景
が、この棲み分けを支えていたのでした。
その構図が変わり始めたのはやはり、バブルによる景気上昇があったと
思うのです。各家庭に家風呂が普及し始めて、そうして自家用車の所有
率もドンドン上昇する。結果、何が起こったかというと温泉が1日を掛けて
楽しむレジャーからホンの空いた時間に1~2時間で楽しめる御気軽さを
重視したレジャーになったことでした。それは「温泉」を取り巻く状況だけ
でなく人々のライフスタイルの変化による必然だったとも言えるでしょう。
ワタクシのブログ、稚拙「スーパー銭湯へ行こう!」で御紹介した「箕面
温泉スパーガーデン」でも書いたように週休2日制が大企業からジョジョ
http://ameblo.jp/ringmutaro/entry-11472563404.html
に広まりつつあった時代、週末つまり土日祝の前日の深夜に消費行動
を起こす人々が増えたこと、そして老若男女ともに「家族」という団体で
過ごす時間よりも、「個人」で過ごす時間が昭和40年代と比較して圧倒
的に多くなったことが要因だと思うのです。
ライフスタイルの深夜化と個人消費の増加、これらに呼応するように各
産業も深夜そして個人志向への業態に、シフトせざるを得なかったので
あります。思いオコセバ時代はバブル突入前夜とも言える昭和50年代、
現在のデフレスパイラルの平成の世に圧倒的な支持を集めている業界
が「安価」を全面的に押し出しすことで勢力を伸ばしたように、昭和50年
代は「深夜」「個人」が産業が飛躍するキーワードでした。
ですが、思い返してみて下さい。平成に大躍進を遂げた「ファストファッシ
ョン」「100円均一」「回転寿司」「コンビニ」etc…、各業態とも登場した時
はイワユル「隙間産業」だったことを。誰もがイキナリ飛びついた訳では
なく、熟成するまで、それ相応の時間がかかったのです。
平成の時代と同じように、「深夜」「個人」を全面に押し出した産業も同様
に「隙間産業」、昭和50年代の言葉で言うなら「ニッチ」産業でした。
「深夜」「個人」を全面に押し出した産業・業界が市民権を得るには、昭和
の世の中で、とあるキッカケが重要な役割を果たすのであります。
そのキッカケとはここでも「バブル」だと思うのです。
いつの世も産業が躍進を遂げるのは、その時代背景の作用が必ずある
のであります。そして作用があれば、その反作用も必然的にやってくる
のです。その光と影が交互に作用した結果、バブル期に乱立した産業や
業界はバブル崩壊と共にその勢力を落とし、やがて淘汰され残った施設
や遊休地に新たな「ニッチ」産業が反作用のように「安価」「安心」「安易」
を押し出して店舗展開する…それは実は平成の世に限った事ではなく、
いつの世にも起こりうることなのであります。
それならば温浴業界でも、「ニッチ」産業は成立し得たのか?
昭和50年代にオープンした大阪市生野区「ニュー富士羽温泉」は言うな
れば、当時の「普通公衆浴場」としては「ニッチ」だったのかも知れません。
ネット等の資料を見れば大きな浴槽に各種アクティビティバス、スチーム
サウナ、露天風呂など現代のスーパー銭湯に引け劣らない魅力を持った
施設だったようです。1階から2階に掛けて立体的に演出された湯船群。
しかしながら当時のコンペジターだった箕面スパーガーデンなどの巨大
温泉レジャー施設やオフィス街のレジャーサウナ、温泉ホテル・旅館
と対等に渡り合えたのかどうか?ここが「スーパー銭湯の元祖」なのか、
否か?のポイントだと思うのです。というのもこれら競合他社とも渡り合え
る魅力そして需要が無ければ「ニッチ」を求める消費者を広い上げ、その
フェイバリット温浴施設と為り得ないからなのです。供給があって需要が
ある。産業構造というのはいつの世も変わらないのではないでしょうか。

<②昭和50年から60年にかけてのバブル景気がもたらしたものとは?>

昭和50年代に棲み分けができていた、巨大温泉レジャー施設やオフィス
街のサウナ、温泉ホテル・旅館、普通公衆浴場に消費者のライフスタイル
の変化は消費動向にも変化をもたらし、棲み分けにも影響を与えるます。
それは前述のようにバブル景気の日本において「リッチ」を追い求める人
が増加したことだと思うのです。景気上昇、そして所得増大。この2つの
状況は「レジャー」にリッチさを追い求める人々を増加させていくのです。
前述の巨大温泉レジャー施設は家族サービスに、オフィス街のレジャー
サウナは会社帰りに、温泉ホテル・旅館は節目節目の記念旅行に…と
棲み分け、使い分けがなされていました。ところが「リッチ」を追い求める
人々は普段の生活をよりよりリッチに過ごしたいと考え始めるのです。
そして棲み分けられていた各温浴業態の姿を「普通公衆浴場」にも追い
求め始めたのは自然な流れではないでしょうか。マシテヤ、各家庭には
「家風呂」が普及し始めた昭和50年代のバブル前夜、ただ単に清潔さを
保つ為に利用するならば、自分の都合の良い時間に家風呂に浸かれば
良かったのです。こうして、普通公衆浴場に「レジャー」性を求めるように
なっていったと思うのです。その消費者の「リッチ」嗜好に敏感に反応を
した普通公衆浴場が「ニュー富士羽温泉」ではなかったでしょうか。
こうして普通公衆浴場にレジャー性を求めた人々の「ニッチ」となる施設
が昭和60年代以降続々と誕生して行くのです。
こうした「リッチ」な普通公衆浴場が、その産声を上げようとした時代に
吹いた追い風は、ここでも「バブル景気」への突入だったと思うのです。
前述では「消費者」の嗜好・志向の変化という「需要」からの視点で論証
しました。ならば温浴施設の変化という「供給」からの視点で述べてみた
いと思います。ここで、重要な役割を果たすのは、やはり「バブル景気」
であると思うのです。ウィキペディアによると「バブル景気(バブルけいき)
は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間
に日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こ
った社会現象である。~略~」(ウィキペディア:バブル景気より)とあり、
この時期の前後は個人所得の増大だけでなく、産業・業界の利益増大
にも作用したのです。このことから各産業の企業が大中小問わず、設備
投資に資金投入できる余裕があったことは想像できると思うのです。
それは当然、温浴業界にも起こった状況でした。バブル景気により所得
を増大させた消費者のニーズに敏感に反応した温浴施設は、このバブル
の時期に設備投資を行ない、当時のコンペジターつまり同業他社である
巨大温泉レジャー施設やレジャーサウナ、温泉ホテル・旅館にヒケ劣らな
い設備を整えることで、それら同業他社の顧客を取り込もうとしたのです。
よってバブル期の作用によってオープンした温浴施設は、それら同業他
社の施設、そして設備に加えて運営までを強烈に意識した御風呂を築き
上げるのです。街の御風呂屋さんから温浴レジャー施設への転換。
これが「スーパー銭湯の元祖」か否かの分かれ目だと思うのです。
ところで昭和50年代以降の消費者が求めた温浴施設に対する「リッチ」
そして「ニッチ」について。この2つのキーワード「リッチ」「ニッチ」が後の
スーパー銭湯を初めとする温浴施設転換の指針となったと思うのです。
このキーワードについて述べてみたいと思います。
箕面スパーガーデンを初めとした巨大温泉レジャー施設の一番の特色
は何だったのか。思えば天然温泉であり、そして家庭風呂では味わう
ことのできない何十畳にも及ぶ巨大湯船でした。街の御風呂屋さんの
何倍もある大きな湯船、そして景勝地に隣接する立地だと思うのです。
加えて、同一施設内で食事からエンタテイメント・アミューズメントまで
楽しめる巨大な建屋。そのあらゆる要素を一手に引き受ける建屋には
常に開放感が溢れ、「レジャー」という気分を高揚させてくれる空間が
そこには存在していました。
そして、オフィス街に近いビジネスマン、大人の社交場であるレジャー
サウナ。しかし何故、レジャーサウナが大人の社交場と言われるのか?
ここで、レジャーサウナの元祖と言われる「東京温泉」について述べて
みると「東京温泉(とうきょうおんせん)とはかつて東京都中央区銀座6丁
目に存在していた入浴施設であり、~略~日本初のサウナ施設。1951
年(昭和26年)から1993年(平成5年)まで運営されたいた入浴レジャー
施設であり、蒸し風呂やミルク風呂などのほか、キャバレー、ホール、麻
雀クラブ、食堂酒場と娯楽施設を備え、はとバスのコースになったことも
あったという。」ウィキペディア:東京温泉より
この東京温泉は当時の経営者が都心にも温泉地に変わるような温浴
施設を中心とした娯楽施設を造りたい、ということで昭和26年にオープン
し、そしてオープンの5年後の昭和31年には日本初の本格的なサウナを
オープンさせたようです。しかしながら入浴以外にもキャバレーや麻雀
クラブ、酒場など男性社会人に向けた娯楽施設も併設されたようです。
(参考および引用文献:SAUNA 337号 平成16年8月 発行:社団法人
日本サウナ協会)
併設された娯楽施設を見ても御分かりでしょう、正しく大人の社交場で
あり、大人の遊び場であります。この東京温泉の反響は他都市にも及び
同様の施設が大阪、京都にオープンして行くのです。そうしてレジャー
サウナはちょっとしたブームになり、既存の温浴施設でもサウナを導入
するところがあったようなのです。
ですが、そのレジャーサウナの特色としては、仕事帰りに訪問できる立地
であって飲酒ができる施設が併設されていること。もちろんサウナで爽快
になって、ということが必須なんでしょうけど。
そして温泉街の温泉ホテル・旅館、昭和50年前後、日本に巻き起こった
「秘湯」ブームから想像できるように自然と一体となって天然温泉を楽し
める露天風呂が、その大きな特色だったろうと思います。
巨大レジャー施設の持つ開放感、大人の社交場レジャーサウナのような
時間を気にせず過ごせて仕事をイットキでも忘れることのできる、時間
からの開放感、そして非日常を提供する温泉街のホテル・旅館の露天
風呂が持つ開放感。
この煩雑な日常生活を忘れさせてくれる非日常性、そして開放感こそが
「リッチ」であり、加えて「リッチ」=「非日常性」「開放感」を短時間で且つ
クルマで近距離で味わうことのできる温浴施設こそが、昭和50年代での
温浴施設における「ニッチ」だったろうと思うのです。

~続く