7月3日23時57分、母が亡くなりました。


私が青森に着いて面会に行った5時間後でした。


待っててくれたのかな?

娘も顔見れたよ。

おばあちゃんにお手紙書くって言って書いて持ってきたよ。



今は色々やらないといけない事が多過ぎてバタバタしてますが、終わったら一気に気持ちが切れそうな気がしてます。


また更新する予定です。


今まで母の事を応援してくださった皆様に感謝致します。

本当にありがとうございました。

母の病状が深刻になってきました。


意識はありますが、会話が出来ない状態。

痛み止めを服用しようとするとむせてしまって飲めない、点滴の痛み止めをしているが効きが悪いよう。

食欲もない、水分もあまり取れない、尿の出が悪い。

尿が出ないと老廃物や雑菌が身体から出ていかず、厳しい状態になっている。

膣の腫瘍は膀胱が押されるくらいまで大きくなっている。

血液検査の結果も炎症反応が強く出ている。


面会も許されているようです。


私も明日出社して上長に事情を話し、早急に帰省する方向でまとめたいと思っております。

こんばんは。


先週母の転院が終わりました。

前のところでしていたケアを引き続きして下さるそうです。


早く病院に行きたいのですが、転院先でも入院患者にコロナの感染者が出てしまい、より一層面会が厳しくなってしまったようです。


しかもなんとなんと、我が家も家族みんなコロナに感染・・・。

夫の仕事現場でクラスターが発生し、その繋がりで夫がまず陽性。続けて検査した私、娘も陽性・・・

症状が出ているのは私だけという不思議。

38度以上の熱、味覚嗅覚異常、息苦しさ、倦怠感、筋肉痛のような症状が出ていて辛いです。

娘もせっかく楽しく学校行ってたのに申し訳ない・・・

早く復帰しようと思います。


皆様もお気をつけてお過ごしください。

皆様またまたご無沙汰しております。


前のブログから2ヶ月経ちましたが、母の病状は悪くなる一方です。

今は週に1、2回輸血をしながらリハビリも少しずつ行っています。

が、リハビリも休む日が増え、1日ベッドから起きない日もあるとの事。


母が入院している大学病院でコロナの患者さんが出たのもあり、こんな状況ですら面会が出来ません。


主治医の先生からは転院しての緩和ケアを勧められました。


実は少し前から緩和ケアの話は出ていたのですが、家族としてはまだやれる事、出来る事があるのではないかと考え、先週築地のがんセンターに2度目のセカンドオピニオンに行ったりもしました。

遺伝子パネル、治験、何か出来ないか?やれることは本当にもうないのか?


皮膚腫瘍科の山崎先生に再度セカンドオピニオンに行きましたが、「緩和ケアが妥当だろうなぁ・・・」との事でした。

勿論山崎先生は上記の一言で話を終わらせた訳ではありません。

きちんと、私の心情に寄り添って頂き、言葉を選びながら沢山お話をしてくれました。

入院先の病院から送られてきた母のCTのデータを時間をかけて見て下さいました。


その上で、「やっぱりほんとどうしようもないんだけど、位置が悪い・・・」と残念そうに仰っていました。


緩和ケアを受けることに決めましたが、山崎先生が仰っていたのは「病院によってどこまでを緩和ケアとするかはまちまち。転院先の病院でも今のところと同等のケアを受けられるのか聞いた方が良い」と仰って下さり、そういう確認等を兄にしてもらい、今日中に受け入れ先の病院に行くか決める予定です。



現実は非情。

余命2年みたいな事を言われながらも3年半生きてます。

怖いです。

後どのくらい生きられるのかな。

私、1人になっちゃうよ・・・

いや、厳密に言えば子供も夫もいるし兄もいるし叔母もいるし友達もいるし1人ではないんだけど。

気持ちの問題。

私の気持ちを無条件で全て丸ごと包み込んで受け止めてくれる人がいなくなってしまう怖さをずっと感じています。


父が生きてたらなんて言ってくれたかな・・・?

夫と子供のために生きろって叱られるかな。

仕事中は仕事のことでいっぱいだけど、家に帰るとそんな事ばかり考えてます。

どうにもならないんだけど。

1番辛くて怖いのは母なんだけど。

こんにちは。


4日、6日と母に面会出来ました。

兄が話を通してくれていたおかげですんなりと。

まあそれでも時間は10分。

タイマー持たされたw


面会が出来るかどうか分からなかったから、恐らく母にも私が来る事は伝えていなかったのでしょう。

「えび母さ~ん、娘さんとお孫さん来てくれたよ~」という看護師さんの声に!!!( ゚д゚)ハッ!!!!という顔をしてました。


色々と話はしたかったのですが、時間ばかりが気になって、4日は持って行ったラジオの使い方と近況報告しか出来ませんでした・・・

6日は一応今の病状と母の希望や気持ちを聞いたり出来ました。


また、6日は母に会う前に担当の看護師さんから母の状態を聞けました。

・出血量は少なくなっている。直近で行った放射線治療のおかげかもしれない。

・ただ輸血は相変わらず1日おきに行っている


1日に胃カメラをやったそうですが、その結果などは聞けず。(その前の週に黒っぽい便が出て、胃か腸から出血している可能性も考えられるからと検査したらしい)

母も聞いていないとの事。


こういうのっていちいち検査結果とか紙で報告というか話があって当たり前だと思っていましたが、ちょっと驚愕です。

知らせがないのはいい事なのか・・・?と思うようにもしましたが、私ではなくせめて兄に一声何かあればまた違ったのになぁと。



母は、声は若干震えていたし上ずってました。

それでも話が出来ないということは無く、以前より理解度は落ちましたが話が通じないって事は無かったように思います。


まだ歩けているうちに重症患者用の個室に入れられてしまったようで、それが不満だと。

それから1ヶ月近く歩いていないので、このまま終わっちゃうのかな・・・と言っていました。

病状のこともあり仕方ないのかもしれません。

このご時世散歩なんてもっての外なのかもしれません。

だけど、病棟内だけでもせめて車椅子で散歩させてあげたいなあと思ったりもしておりまして。

今日は兄と叔母が病院に行っているので、そういう事を出来ないかお願いしてみるとの事でした。


明日は私と娘が病院に行きます。

明日は何を話そうかな。

話すこと決めていかないとすぐ時間切れになってしまう・・・

おはようございます。


昨日の夕方に帰省しました。

とりあえず叔母にも来て頂き、水抜きしていたのを元に戻すところから・・・あちこち探し、なんとか水は出ました。

暖房も大丈夫そう。


しかし予想はしていましたが、さ、寒い・・・

部屋の温度が7度でした。

慌てて床暖房をつけましたが暖まるのに時間がかかるのでハロゲンヒーターでとりあえず暖を取り。

去年の12月中旬位に急に入院する事になってバタバタしたので、リビングが凄まじく汚いw

食べた茶碗とかも溜まってました。

多分しんどかったんだろうな。結構溜まってたので都度やるのはキツかったように思います。


昨日は疲れたのでコンビニご飯で済ませ、今日から始動です。


これから、まずは掃除機をかけてから茶碗を洗い、ラジオでも差し入れしようかなと。

本とか新聞とかは持って行ったようなのですが、体調がそこまで良くないのか読めていないようです。

出血も多いし今は歩けないので、ただベッドの上にボーっとしているだけみたい。

それが長くなると話の理解度の低下や受け答えが十分に出来ないなどの症状も出てくるとのこと。

まあ勿論年齢もあるでしょうね。

ケータイを触る時間も段々減っていっているようです。


月曜日に今までなかった黒い便が出たとの事で内科を受診すると先生から連絡があったそう。

今日はその話も聞けるかな?

なんせ10分程しか面会も出来ないみたい(看護師さんの付き添いもあり)なので、母とどのくらい会話出来るか、理解度はどうなのか難しいところもありますが、先生からもなにかお話が聞けたらなあと思っているところです。

こんにちは。
また間が空いてしまいました。

昨年11月にお伝えしていた母の病状ですが、より悪化しております。

腫瘍は増大→患部からの出血が止まらず貧血に→輸血

分かりやすくまとめるとこんな感じ。

何度か患部からの出血を抑えるためのカテーテル手術をしたそうですが、最初のうちは効果がありましたが今は効果も薄く、出血が止まらないそう。

輸血も最初は間が空いていましたが、今は毎日やらないと貧血が酷くなり心臓に負担がかかる。
心臓に負担がかかり、それが続く&進むと狭心症や心筋梗塞といった症状が起こり得る。
ということは病状の急変もある。ご家族の方は心に留めておいて欲しい。

というようなお話が主治医の先生からあったそうです。

放射線治療も並行して行っているそうですが、効果は薄い・・・

放射線治療の効果が出て出血が減りオプジーボが出来るか、その前に身体が限界になるか、そのどちらかのようだと、主治医の先生のお話を聞きに行った兄からメールがありました。

このご時世、基本的に面会は出来ませんし、県外から来る私のような者は益々難しいはずです。
母は今はまだ話も出来て居ますが、いつどうなるか分からない段階にきています。

会えるかどうか分からない(兄から聞いた主治医の先生のお話だと、緊急時に限り10分なら認める、その際は2週間以内に発熱なし、感染者との接触なしを当日に確約することという話があったよう)ですが、いてもたってもいられず、バタバタしていますが来週帰ることにしました。

娘も4月から小学生、卒園式も出させてあげたいし、就学準備もまだまだです。
やらなければいけないことも沢山あります。

ですがとりあえず、会えるかどうか分からないけど帰って会えるなら会いたいし話せるなら話したい。
父の時のように話が出来なくなってから色々考えたように後悔はしたくない。

会社にその旨を話しましたが快く休みをとることを許可してくれました。
その思いに感謝しつつ、同僚の皆の気持ちを無駄にしないように、帰りたいと思います。
こんばんは。
とてもとても間が空いてしまいました。

今年はコロナのせい?もあり、今まで普通に出来ていたことが出来なくなり、生活様式も変わり、本当にバタバタしてしまっています。
仕事も大体繁忙期と閑散期とに分かれるのですが、今年はずっと繁忙期なように思います。
例年は12月が最繁忙期なのですが、今年はこのままだと例年の繁忙期に加えコロナの影響もあり更に忙しくなりそうです。

母の体調に動きがありましたので、これからは出来るだけ更新していきたいと思います。


さて、7月頃まで母は体調の変化もなく、オプジーボの投与を続けていました。
多少腫瘍の大きさに悪い変化はありましたが平穏に過ごしてきました。

8月に目眩やふらつきを感じる事があり、貧血のせいかもと先生に言われたそうですが、転移等の可能性もあるので検査して欲しいと気の乗らない先生を説得して検査をしたところ、頭に腫瘍らしきものが見えると言われました。
それをまずは生検に出して悪性のものであれば取り除く処置が行われる予定でしたが、3度生検しても悪性のものだという結果は出ず、先生の見立てとしては腫瘍だったものが死んだ?のかもという感じでした。

母の患部からの出血は段々増えていましたが、そのせいで貧血になったと考えられると。

11月の初めに出血の元となっていた腫瘍の血管を塞ぐ処置を行なったのですが、出血自体は少なくなったがここにきてまた腫瘍が大きくなってきていると言われました。
オプジーボが効かなくなってきている可能性があるので、薬をダカルバジンに変えるという話がありました。

母自体は体調自体は変わらないようで、比較的冷静かつ元気だそう(兄からのメール)。


治療もいよいよ最終段階に入ってきたという感じです。
初めて使う抗がん剤。
メラノーマではありませんが周りに抗がん剤を使って良くなった人がいないのもあり正直期待は薄いと思ってます。
こうなるまでに何度か関東に来て治療を受けて欲しいと伝えた事もありましたが母は地元で治療する道を選びました。

こうやって冷静にブログを書いてますが、色々な思いはもちろんありますし言いたい事もある。
ただそれはまだ頭がまとまらず書き起こせないのでまたの機会にしたいと思います。

母が退院したら電話して色々話したいです。

もって2年と言われた母が悪性黒色腫に罹患し3年になろうとしています。
でもここで満足はしない。まだ生きて欲しいです。

皆様こんばんは。

とってもとっても久しぶりのブログになってしまいました。

心配してメッセージをくださった皆様、ありがとうございます!


おかげさまで母は元気にしております。
膣の腫瘍も大きさは殆ど変わらず、つい最近も何度目かのオプジーボ投与を終えました。

ブログでも書いていましたが、一時は最期が見えていた事もありました。
奇跡的にヤーボイが効き、転移で歩けなくなっていた母も腫瘍の縮小とリハビリで歩けるようになり。
今月で、最初に診ていただいた先生が仰っていた2年を迎えました。

実は先月仕事を少しお休みして、10日間ほど子供と青森に行って来ました。
主目的は13年前に亡くなった父のお墓が漸く出来たので納骨に出席する為だったので、特にどこかに行ったとかはなかったのです。
温泉行ったり、娘と遊んでくれたり。
兄の家族も来てくれて従姉妹と遊んだりご飯食べたり(母手作りのカレー!)。
予想していた通りあっという間の10日間でしたが、とても楽しく幸せな時間を過ごしました。

そして、今月末に母がこちらに遊びに来ます照れ
本当は1月2日から1泊2日で兄家族と東京に遊びに来る予定でしたが、母だけ前乗りして我が家に泊まることにラブ

娘は今から楽しみにしています。
勿論私もですが口笛
なかなか会えない期間もあったのですが、2ヶ月連続で会えるなんて!
しかも、母がこちらに来られるようになるなんて!!
と嬉しい気持ちでいっぱいです。

仕事も師走らしく忙しくなってきましたが、なんとか母が来る前に部屋の整理をしないと・・・と焦る気持ちもあり爆笑

体調も家も万全の状態で母をお迎えしたいと思ってます。

また更新しますニコニコ