昨日、凛童舍で「森の探偵団」をやりました。


毎月、船橋市立の小学校が千教研で短縮授業になる日を狙って、プロのインタープリター(自然翻訳家)の智ちゃんを呼んで、田喜野井公園で自然体験ゲームなどをやっています。


この日最初のゲームは、「春への準備を見つける」というテーマで、2チームに分かれ、各チーム木を一本決めてヒントを出し合い、その木を当てるというもの。


枚目の写真は、Aチームが出したヒント。


3枚目の木は、Bチームの答えでした。赤い芽が春に向かって、どう変わっていくか楽しみ。来月もまた見てみようね。



写真はこちら

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フェイスブックからの転載:カモノハシプロジェクト村田代表の投稿へのコメント
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もう5年以上前ですが、一新塾で村田さんの講演をお聴きしたとき、一生懸命さがとても伝わりました。と同時に、何かおろおろした感じ、自信のなさも。だから、事業自体は、共同代表の2人の男性があってのことなんだろうと。「自分は広告塔にすぎない」なんて思っておられるのではとも感じました。

でも、事業を推進する実力のある男性2人を巻き込めたこと自体が、村田さんのリーダーシップなんだろうと思います。

私も自信のないリーダーです。No.2ぐらいが丁度よいタイプの人間です。こどものころからリーダー向きではありません。いつも、よくてリーダーのプレーン的な存在で、作戦参謀ぐらいが丁度よいと今も思っています。誰か代わってくれないかな~っといつも思っています。代わりや共同代表をしてくれる人を巻き込めていないながら、でも理想を捨てられないからやっているようなところがあります。


だから、村田さんのように、リーダー向きでなかった(失礼)人間が、どんどん自信をつけて行き、その人らしいリーダーになっていく姿は私の希望です。リーダーにもいろいろあるんだと希望を持てます。がんばってくっださいね。応援しています。

フェイスブックからの転載:Asmama甲田社長の投稿へのコメント
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『子育てだって、四六時中一緒に居られないことで、寸暇を惜しんで300%楽しむ』
激しく共感しますね。


『仕事も、必ず、大事な大事な、この子の生きる社会につながっていると、そんな今を生きてると、・・・』
娘の生きる社会、頼りになる同輩をたくさん輩出しておいてやらないとと思って凛童舎を始めました。


『専業主婦になれば十二分に時間を惜しんで理想の子育てができるかと言うと、きっとそうでは無いとわたしは思う。何をするにも時間の長さじゃなくて、・・・・、濃さだと思う。時間も足りないくらいがちょうど』
うんうん、うちも夫婦ともハードワーカーだったけど、これまでの子育て楽しかった~。


ずっと昔は、母親も労働の担い手だったし、近年、専業主婦が生まれてからも、子どもは多いし家事は結構重労働だった。それで、親の子どもに向ける目も、丁度よいぐらいお目こぼしがあったんじゃないかと思います。

でも今は、昔ほど家事も重労働ではない上に、子どもも少ないので、逆に親のお目こぼしがなくなって愛情が束縛化し、子どもが窮屈な思いをしている気がします。


母親も、同じ立場の小さなコミュニティしか知れなくなっている。異世代と交わらなくては生きて行けない時代ではなくなっている。社会全体がどう成り立っているのか、人はどういう動機で動くのか、そういう想像力や、自分で生きて行く覚悟:自活力が著しく低下していると思います。

だから、親子とも、親という立場、子という立場を離れた世界を持つのがよい。


お母様は働きに出て社会性を身につける、子どもは学童保育で疑似兄弟たちと子どもだけの時間を過ごし社会性を身につける。大人はなるべく手や口を出さない。見守るだけ、ときどき知恵を貸すだけにする。

そしたら多くの異年齢の子ども、多種多様な大人の関わりの中で育った子は、生きる力が強くなるし、親子の愛情度合いも丁度よくなるんじゃないか、というのが、凛童舎のコンセプトです。


かつての日本社会は、そういう子育ち環境で、多くのエポックメーカーを生み出してきたんですから、それに近い環境を再現したいなと思っているのです。

フェイスブックから転載:https://www.facebook.com/yosioqa/posts/1068371989869359 私は国会議員が育休を取るのは反対です。そもそも育休というのは従業員、それもタイムワーカーの発想です。

もし個人事業主や中小企業の社長なら、育休なんて発想そのものがない。個人事業主らは、成果おあげて初めて収入を得る、成果ワーカーです。そうしないとつぶれる。

だから個人事業主らなら、育児の時間を取る必要があると思ったら、短時間で成果を上げて時間をねん出する工夫をする。

成果ワーカーは、エグゼクティブだけ、ホワイトカラーだけに限りません。たとえば、私が凛童舎の赤字を埋めるためにやっていた新聞配達員も、「この範囲の家に進運を配りきる」という成果のみを担っていて、雨が降ろうが大雪が降ろうが、毎日それを達成しなければならない。

でも、工夫を重ねてその成果を短時間に達成すれば、自由時間が手に入る。

そうして暮らしている大勢の国民のあるいは市民の代表である議員が、何を従業員づらしてるんだと、怒りさえ覚えます。

議員は、成果ワーカーではないですか?自らの理想を達成するという事業をしている個人事業主でしょう?

こういう人は、多分議員を給料の良い就職先ぐらいに思っているのでしょう。国民市民の負託に応えようという志自体欠けているのではないかと疑います。

そもそも、議員のうけとるのは、給与ではありません。「歳費」と言います。その役割を果たすための「必要経費」という意味です。

ちなみに裁判官のうけとっているのも給与ではなく「歳費」です。高額なのは、お金の誘惑にによって、公平な判断にブレがないような、充分な金額を与えるという発想だそうです。つまり、期待された役割を全うできるように与えられているのです。議員とて同じでしょう。

ならば、「育休取るからみんな配慮してね~」なんて甘えたこというのではなく、役割りをまっとうしつつ、育児の時間を確保する工夫を自分自身ですべきです。役割を果たすということは、個人事業主らが、「これをやりきらないとつぶれる」という成果を上げることと同等だからです。

それが出来ないのなら、そもそも人に代わって議論する、代議士の資格がない。人を代表する資格がないと思います。

それが出来ないのなら、一旦議員を退くべきだと思います。国民市民の負託に応えられないということなのですから。


フェイスブックより転載:
https://www.facebook.com/yosioqa/posts/1062845600421998

千葉県学童保育連絡協議会主催の、放課後児童クラブ運営指針についての勉強会、6講座すべてを、昨日を含め、休日3日間午前午後を使って受講してきました。


今度、国が制度化を決めた資格:放課後児童クラブ(今後は学童保育をこう呼ぶようです。)の放課後児童支援員(旧・学童保育指導員)の資格取得のための講座と同じ内容とのことだったので、一体どんな理念でまとめられているのか知りたかったからです。


使ったテキストは、中央法規の「放課後児童支援員都道府県認定資格研修教材」http://www.amazon.co.jp/dp/4805852356/ どの自治体も共通でこれをテキストとするそうです。


私は、公設の学童保育が子どもたちに提供している放課後環境が「牢屋の様だ」と評する子もいるように「子どもたちの行動を束縛するもの」と考えていたので、正直この研修の内容については懐疑的でした。


しかし、このテキストに書かれていることは、きわめてまっとうだと感じました。


むしろ、母親たちの押さえきれない「してあげたい願望」に付け込んで営利セクターが提示している、子どもたちをプログラム漬け、イベント漬け、いわばシャブ漬けにするような学童保育の掲げる理念よりは、ずっと凛童舎が子どもたちに提供しようとしている子育ち環境に近いとだと感じたのです。


たとえば、このテキストは、子どもの権利条約に立脚して、子どもの「休む権利、くつろぐ権利」をしっかりと謳っていました。


これは、私のこの5年間の学童保育運営経験からして、多くの母親には、いや今や一部の父親にもない概念です。


多くの親たちは、放課後を「空白の時間」「空き時間」と考えているようで、その時間に子どもたちが何もしないでぼーっとすること、寛いでいることを「無駄」と考えているように見えました。


今日は英語、明日は習字、翌日は職業体験、そのまた翌日は理科実験と、毎日毎日矢継ぎ早に、「役に立ちそう」なコンテンツを並び立てるタイプの学童保育や、毎日遊びプログラムを並べ立て「楽しい」と親に報告させるよう仕向けるタイプの学童保育、いずれも、子どもたちに「自分で考え、選び、熱中する」自律的時間を与えない月5万円もする学童保育は、キャンセル待ちが出来るほど人気なのです。


それに対してこのテキストの理念は、子どもたちを親の所有物ではない一人格を認めようとする理念が感じられます。


また、このテキストには「支援員が子どもたちと一緒に遊ぶ際には、大人がなぜそばにいるのか、子どもたちが納得できる理由を悟らせるように。けして監視のためにそばにいるのでは?と感じさせないように。」といったような記述もありました。


これは、「本来、子どもたちは子どもたちだけで遊ぶのが最上で、大人たちは遠巻きにそれとなく見守っていればよい。昨今、不審者などが増加したため、安全のために子どもについている必要が生じたが、それは必要悪であって、子どもたちにとって必要だからではない。」という凛童舎の思想に合致するものだと感じました。


このテキストの根底に流れている思想は、長く学童保育連絡協議会(学童保育指導員が中心の団体)が国に働きかけてきたものが晴れて公認されたようなものだそうです。


しかし、この理想は、どう見ても今の公設学童保育では実現されていないし、今のままでは実現されそうにない。いくらこの研修を受けてもです。それは、そもそも理想と仕組みが合っていないからです。

そして、職業支援員の方々が主張する仕組み、すなわち支援員の待遇改善、支援員の専門性を認め、「食える職業」にして定着性を高め、ベテランが育つ環境を整え、育成支援の質を高める、ということですが、それは現実味がない気がします。


学童保育の必要量の増大の一方、公共にその仕組みを構築する資金を捻出できる見込みがなさそうだからです。


それに私は、そもそも子どもたちは、それほどベテラン支援員が手当てしなければ育たないとは思いません。それは子どもたちの力量、自己成長力を見くびりすぎだと思うのです。

以降の論については後日書き足します。