先日、スタッフと話していて、自分でも気づかなかった教育と建築設計の共通点を発見しましたのでお話ししてみようと思います。
凛童舎が「教育施設」であるというのは、非常におこがましいと思っていますが、ただ、子どもたちが自ら育って行く場の環境づくり(の一部)を担っているとの責任感は持っているつもりです。
ご存知のように、舎長の私は、この事業を始めるまで、700人の一級建築士が所属する巨大建築設計事務所で、オフィスビルやホテル、病院などの大規模建築の設計に携わっていました。
なので、私自身も、凛童舎を始めることは「まったく畑違いの分野に飛び込む無謀な挑戦」だと思っていました。ですが、最近、建築設計と教育は、意外に近いという気がしてきたのです。
スタッフに「そっかー」と驚かれ、言っている自分も「そっか~!」と気づいたのは、「建築設計の仕事は、建築が使われ始める、つまり本番を迎えたとき、設計者は、もうそこにはいない」ということです。
それが、普通の接客サービス業とは異なります。
設計者は、環境を設定して、あとは、建築が良き業なり生活なりを支えてくれるように願ってそこを去ります。クライアントに建物を引き渡した後は、もう当事者ではありません。ゆえに設計者は狭い意味ではサービスの提供者ではないのです。
凛童舎の教育思想(というより子育ち支援思想)も同じです。凛童舎もサービスの提供者ではなく、環境の設定者であると。しいていえば、環境の設定が凛童舎のサービスだと思っています。
なので、極端なことを言えば、子どもたちに、「大人が何も働きかけないという環境」も、子育ちによいと思えば、ときには提供したいと考えています。
以前こんなことがありました。
ある子がスタッフの借りてきた図書館の本を、マジックで汚してしまいました。私は、わざとじゃないというその子に「凛童舎の本なら、まっいいか、で済ましてあげることもできるけど、図書館の本は弁償になるかもしれないから、お母さんに言わなければならない。いいね?」と告げました。
それを聞いて、その子は、私の見えない部屋の隅に行って泣いていたようです。そこにたまたまお母様がお迎えに来られて、それを見つけ「泣いていたんですよ!知らなかったんですか!?」と私を非難されました。多分、私が強く叱ったために泣いたのだと思われたのでしょう。しかも私が、それを知らないということでケアもおろそかだと言いたかったのでしょう。
でも、私が強く叱ったわけでもないのにその子が泣いたのは、そのあとの母の叱責が怖かったからであると想像できました。
それに、その子が「隠れて泣きたい」と思ったのならそうさせてやりたいと私は思います。子どもの「隠れて泣く権利」を阻害してまでケアするというのは、よい子育ち支援ではないと思うのです。
また、先日、こんなこともありました。
夏休みに、子ども6人を連れて、ちょっと遠くの大きな公園に行きました。適度に木々や茂みや高低差があり、その間を走り回れるような、童心に帰るとわくわくするような公園です。広さも小学校のグランド2個分はあります。
早速、子どもたちは「警ドロ」を始めました。私は、ちりじりになって走り回る子どもたち全員を見張ることは不可能と判断し、何かあったら子どもが知らせに来れるような救護所として一か所に居座ることに決めました。
ですが、1人だけ、ほかの子の遊びに混じらず、ひとりで私の周りをうろうろする子がいました。私に、かまってほしいらしく、いろいろ話しかけてきます。私はその子が、大勢で一緒に遊ぶのが苦手だと知っていました。でも、いつかそれを乗り越えて、大勢でも何かができるようになるべき時が来るだろうなと思っていました。
しかし、だからといって、その子に「ほかの子と遊んだら?」とかいうと、その子の今を否定することになります。すでに、「そうできたらいいな」と思っているだろうその子に、さらに負い目を負わすことになってしまいます。
それで、私は、「僕は相手できないよ」という意思表示に、ごろんと横になり目を閉じました。これなら「だらしないおやじ」と私を責めるだけでよいことになります。この状況で、「つまんないな、ちょっとほかの子のところへ行ってみようかな。」と、その子の心を動かすことができれば大成功です。(でも、このときは、周りにいた知り合いの大人がこの子に声をかけてしまい、失敗に終わりました。)
こういう「ケアしない」という子育ち環境づくりも、凛童舎は積極的に行っています。
でも「ケアしない」環境の提供って、なかなかお母様方に理解されません。
やはり「尖刃の谷に突き落とす」とか「かわいい子に旅をさせる」とかいう方向の判断は、父親の出番ではないでしょうか?
さて、建築設計と教育が似ている点がもう一つ・・・、建築設計者が本番に立ち会えないように、教育者も、子どもたちの本番といえる、社会に出てからにも立ち会えません。
ただ、私たちが提供した環境での育ちが、本番に役に立ってほしいと願うのみです。そういうところも似ているなと思いました。
