日本語の要約版:女性は日本を(そしてアジアも)救えるか?:h
これを解決するためには、
私の友人で、今ヨーロッパに赴任している若手官僚がフェイスブックで、英語についてこんなことを言っていました。私もまったく同感です。
英語って発音よりアクセント、アクセントよりイントネーションが大事なように思う。カタカナ発音でも、イントネーションとアクセントのリズムが正しければ大抵伝わるし、これが変だと「え?」っとなりやすい。よく考えてみれば、日本語でも、「ちーっす」と言えば「おはようございます」と変換されて伝わるけど、この要諦はイントネーションで、発音が曖昧でもイントネーションが挨拶っぽければ何でも伝わる。発音や文法が無茶苦茶でも、とにかく、ネイティブの人と近いイントネーションで話している限りは結構なんとでもなる。
だから私は、小学校から英語教える必要はないとも思っています。道具としての英語は、中学からで十分。もっと言えば成人してからでも十分だと思うのです。
私が新入社員研修で、ベルリッツにて40日間毎日10レッスンずつ受けて思ったのは、英語を話すのに一番大事なのは「のり」だということです。これを具体的に言えば、物怖じしないチャレンジ精神プラス、アクセントよりイントネーションということになるのではないかと思います。
だから、中学からの英語も、とっつきやすいようにカタカナで教えて、どんどんしゃべらせればいいのにと思ってました。thなどの特殊な発音だけ表記を工夫して(スに〇とか、thの濁音はスに×とか)どうですかね?スペルはあとから学べばいいんじゃないでしょうか?我々が日本語をそう習得したように。そのほうが「しゃべれる」ようにはなると思います。もちろん、単語の意味は覚える必要がありますが、表記や文法や微細な発音の違いは、後回しでよいのではと。
実は、サリーマン時代の末に、早朝英語勉強会というのを仲間とやっていました。朝7時に秋葉原駅前のカフェに集って英語の勉強を1時間するのです。方法は「5往復程度の英語のダイアローグ(2人会話文)を丸暗記して、ネイティブスピードで言えるようにする」というもの。書籍に付属のCDの見本をストップウォッチで測っておいて、同じ秒数で言い切れるようにするのです。
アクティブラーニング社の羽根卓也氏が、ハーバード大学で日本語を教えていたいたときに編み出した方法で、私たちはその伝授を氏から直接受けました。氏曰く「語学はスポーツだ」と。
ハーバードでは、この方法で多くの学生が1年間で、日本語で会話できるようになったそうです。これをやってたくさん会話文が頭に蓄積されてくるとその言語の「のり」が沁みついてきて、そのうち口を突いて出るようになるそうです。
私は、朝練でこの勉強法をやるにあたって、英語を前述の方式でカタカナ表記して覚えていました。なぜなら、英字表記を見ていると、ついつい長年の習性で字ずら通り読んでしまうからです。たとえば“up and down”なら「アップアンドダウン」と。でもそんな読み方をしていたらとてもネイティブスピードの秒数で言い切れません。だからカタカナで「アッペンダン」と書きます。長音(-)や促音便(ッ)は省略。carは「カ」、topは「トプ」です。
それで通じるの?と疑問をお持ち方もいらっしゃるかもしれませんが、先の友人の言うようにアクセントとイントネーションがあっていれば、(それと明らかに別音として聞かれてしまうs音とth音とかR音とL音を言い分けられていなければならないかもしれませんが)通じると思うのですよね。
そう確信するのは、実際海外旅行で通じたという実績もありますが、一番の根拠は、高校時代に聞いたFM放送番組のある印象的な実験です。その番組は、音の不思議をいろいろ体験させてくれるものでした。たとえば、前にしかない二つのスピーカーから流れてくる小太鼓の音が、前から右、右から後ろへと自分の周りを一周したりするのです。(逆位相の音をうまく操るのでしょうか)
でも一番驚愕したのは、次のような実験です。
まず、日本語の国会か何かの答弁の音声を70%欠損させて聞かされました。「ウッ・・ツッ・・プッ・・・シッ・・・」という感じでまったく何を言っているかわかりませんでした。次に「音と音の間の無音部分を同音圧のホワイトノイズ(ラジオの局間のスーという音のようなもっとも無個性な雑音)で埋めてみましょう」と言われ、それを聴いたらなんと!何を言っているのか聞き取れてしまったのです。すごく電波状態の悪いラジオ放送を聴いているという感じはありましたが、無理して聞き取ったというのではなく、「そうとしか聞こえない」という感じです。びっっっくりしました!
つまり、ネイティブなら、70%と聞き取れていなくても、意味は取れてしまうということではないでしょうか?日本語だけでなく英語でも、あるいはどの言語でも同じことが言えるのだと推測できます。だからネイティブは70%欠損していても「予測変換」のような言語脳の働きで意味を把握してしまうでしょう。ネイティブではなかったとしても、4,50%欠損していても大丈夫ではないかと思います。だから、肝(アクセントやイントネーション)さえ押さえておけば、細かいことは気にする必要はないのではないでしょうか?
そこで、この論述で一番言いたかったのは・・・・
だからこそ、小中学生には、汲々として道具でしかない英語の質を磨くより、道具としての英語を習得した後、もっと内容のある話ができるよう国語、特に作文や物語作り、スピーチやお笑いネタ作りなど日本語での創作に力を入れるべきだということなんです。アーキキッズではこれをやりたいと思っています。
でないと、英語が喋れたとしても、内容で勝負に負けてしまいます。
私が尊敬する人は、「滅私」のひとです。多くの人が、人のため、子どものためと言いながら、実は、自分の気の済むようにしているだけだと感じることがおおいからです。自分の、気の済むようにしているだけになっていないか、ちゃんと何かのためになってもいるか、いつも検証していないと心配になります。
尊敬する滅私の人のなかにガンジーがいます。先日、フェイスブックの友人のコメントで、そのガンジーの言葉を知りました。
ガンジーの言葉
あなたがすることのほとんどは無意味であるが
それでもしなくてはならない
そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく
世界によって自分が変えられないようにするためである。
・・・・・・・深い。
凛童舎を始めてから時々、こんなことをしていて何か意味があるのだろうか?とむなしくなることがあります。
でも、はなから無意味なのだと思えば当たり前なことです。
ただ、もしそれをしなければ、諦めてしまうことになる。諦めの世界に引き込まれないためにそれをしている、ということなのか。納得。
子どもたちは、写真のロフトスペースが大好きです。梯子は外してあるのに、器用に棚に足をかけてするすると上り下りします。
そういう場所が好きな気持ち、「わかるな~」と思うので、ダメとは言いません。今日は、1年生3人が遊んでました。