先日アップした記事「チュッチュベロベロ」を見てくれた小さいお子さんのいる知り合いから、「参考になります」とのコメントをいただいたので、気をよくして、もう一つ、参考になるかも、と思う方法を書いてみます。

あまり、凛童舎とは関係ない場面ですが、その「子育ち支援」思想は通ずるところがあるので、お許しください。

子どもって、お風呂から上がってもなかなかパンツをはかなかったり、パジャマを着なかったりしませんか?特に冬など湯冷めしないか心配ですよね?

そういう時、つい「早くパンツはきなさい!」とか「パジャマ着なさい!風邪ひくでしょ!」とか、声を荒げて命令口調になってしまっていませんか?

そうすると、子どもは却って、裸でいようとしたりして。

私は凛童同様、うちでも「なるべく子どもに命令しない。命令しなくても、良い方向に向くよう工夫する」というのを信条にしていますので、「しなさい!」とは言いたくない。

そこで、どうしたかというと・・・

まず、娘が素っ裸でうろうろしていると、目を輝かせて「おしり!?おしり?!」と言いがなら娘のお尻をつけ狙います。もし、捕まえることができたら「お尻クニクニ!」といってお尻の両頬を親指と中指薬指でクニクニっとやります。見ている方が赤面するような、親ばか変態オヤジですが、娘はこれを「きゃっきゃ」言いながら喜び、逃げながらあわててパンツをはきます。

次はパジャマです。

「オペチョ爆弾発射!プシュー(発射音)コ゚ーーーー(息を吸いながらコーという=飛行音)」と言って父の人差し指が、上昇し、放物線を描きながら娘のおへそを目指します。ロックオンされているので、おへそが露わになっているうちは、逃げてもどこまでも追尾します。(キナ臭い連想ですが・・・)

おへそに着弾すると、おへそ、およびその周辺をチクチクと人差し指が突っつき続けます。(娘はくすぐったいようでした)

娘がパジャマの上着を着て、おへそが隠れると、オペチョ爆弾は目標を失い、くるくるとらせん状に飛行しソファーのヘリなどにぶつかって「ボ~ン」と破裂します。これが娘には達成感があるようでした。

慣れてくると、何も言わず「プシューッ、コ゚ーーーー」と発声するだけで、あわててパジャマの上着を着るようになりました。

次はズボンの方です。

これは、先の「おしり!?」の部分を「太もも!?」に変えるだけです。おしりより太ももの方が娘はくすぐったいようで、あわて度合いが上でした。(笑)

この一連の、毎回変わり映えもしないプロセスに、飽きることなく娘は楽しんでいました。毎度、キャッキャと喜んでいました。娘が喜んでくれるので私も楽しかったです。これが3年生ぐらいまで通用しました。

いや、一部は今でも通用します。

娘が風呂から上がって「そろそろパジャマ着れば?」と思ったとき小さな声で「プシュ~」と言うのです。そうすると娘は「やばい!」という顔をして、あわててパジャマを着始めます。以心伝心です。(?)

ここまで羞恥心を捨てて子どもと遊ぶと楽しいですよ。



今朝6時半に、以前から一新塾の知り合いに誘われていた倫理法人会のモーニングセミナーにビジター参加してきました。


倫理法人会というのは、「倫理的に経営しよう」と志す経営者の集まりです。小さな組織なのかなと思いきや、全国5万社の経営者が所属する団体とのこと。全国組織の下に都道府県ごとの組織、その下に単会とよばれる最小単位組織があるようです。


私の参加した単会は、船橋市中央倫理法人会。倫理法人会は船橋が発祥地だそうで、この単会は、野田佳彦首相や、藤代孝七 船橋市長が顧問に名を連ねている名門のようでした。


参加した理由は、ここのところ、経営者として打ちのめされることが多々あったからです。わが一般社団法人コラボライフも非営利法人とはいえ、経営力が必要であることは株式会社と何ら変わりません。なので、その法人代表である私も経営者の端くれというわけです。


経営者とは非常に孤独です。聞いてはいましたが、経営者となって1年半、つくづくそれを思います。悩みや愚痴を聞いてくれる人もいないのです。女房に打ち明けようものなら「もうやめたら?」とあっさり言われるだろうと思います。スタッフに弱音をはけば頼りないリーダーと取られます。


褒められることもなく、少しでも気を抜き、小さなミスでも、犯せばとあっちこっちからダメ出し。


これで、営利法人なら「利益を上げる」という醍醐味もあるのかもしれませんが、非営利法人ではそれもなく、ましてや凛童舎は、設立以来つぎ込んだ個人の預金は残高が減るばかり。


さて、どうやってモチベーションを保ったものか?いったい何を糧に頑張ればよいのか?たよりは「人の役に立っている」という自負ですが、その「人」からこうダメ出しされまくると心が折れてしまいます。

そこで、経営者の孤独をわかってくれるのはやはり経営者と考えたのです。


まだ、どんな会かつかめてはいませんが、週一で早朝にわざわざセミナーに参加する志高き経営者の皆様とお知り合いになれるこの会が、私のモチベーションを保ち、心を支えてくれる装置になってくれればと願っています。


経営はまさに人生修行ですね。

当時、「格安航空券というのがあるそうだ」と口コミでやっと聞くぐらい、その当時そういったものはメジャーではありませんでした。



すでにインド旅行に行った友人に訊いた旅行代理店は、北新宿の小さな雑居ビルの3階か4階にありました。エレベーターは4,5人が乗ると満員になるような小さなもの。その旅行代理店は、「秀インターナショナル」といいました。お分かりになりますか?そう、今のHISです。



その当時、この会社がこんな巨大な企業になるとは想像もできませんでした。とにかく怪しい会社という雰囲気がぷんぷんしていました。



しかし、貧乏な学生です。安いチケットがどうしても必要でした。今思い出そうとしても安かったという印象しかなく、いくらだったのかわかりませんが、他に「地球の歩き方」が手配しているチケットより安かったので即決したのを覚えています。



ところが、そのチケットには想定外の条件付きでした。日本からは、バンコクまでのチケットしか持たされず、その先のバンコク~カルカッタ(今のクルコテ)便のチケットは、バンコク市内の指定の旅行代理店に行って受け取れというのです。



でも、やはり若者は無鉄砲なもの。まあなんとかなるか、とそれほど躊躇せずに納得して買いました。



でも、初めての海外旅行。英語が通じそうもない国タイの見知らぬ街の小さな旅行店を見つけないと次に進めないゲームに、今の若者は無鉄砲さを使ってくれるでしょうか?



さて、その後実際どうだったかというと、このバンコクでチケットを受け取るくだりはよく覚えていないのです。ということはそれほど苦労しなかったのかもしれません。



覚えているのは、トランジットでついていたホテルが、プール付きのまあまあのホテルだったこと。その旅行代理店が、すごく小さくて、小さな薬局ぐらいしかなかったこと。チケットを受け取った後、その旅行店の並びの散髪屋で、友人と2人、GIカットばりに髪を短く切ったこと。(日本出発直前まで、研究室の、自分の担当する学部生の卒論の手伝いで缶詰だったので髪が伸び放題でした。)タイの散髪屋は、耳掃除までコースに入っていて気持ちよかったことぐらいなのです。



さて、いよいよ、翌日は、カルカッタ入りです。(つづく)


















夏休みが終わりました。長かったです。何よりも暑かった。凛童舎でも、去年の10倍ぐらいエアコンを入れました。


私は子供たちの将来について、ある想定をしています。子供たちがそうなっても大丈夫なように、して、あげられることはしたいと思って、ひとつには、冷房はなるべく使わないようにと考えています。


日本は、手が届くと思っていた坂の上の雲がただの天上の雲だったと分かってしまい、日本人は今目標を失った状態ではないかと思います。特に若者が「夢がなく」元気がないのが残念です。


私は日本の若者にはこれからぜひ「水平線の向こうの雲」の下に居る人々への貢献を目標にしてほしいなと思っています。いくら豊かになっても幸福になれるわけではないと知ったのだから、これからは人に喜んでもらうことで幸福感を得てはどうかと思うのです。


日本人はこれまでもそうしてきたし、それがホスピタリティ大国、おもてなしの国日本が、国際的な存在価値を維持する道だと思います。


なので、今の子どもたちには、最も過酷な場合、「国際NGOに入って途上国の現地で活動できる」ぐらいの耐性をつけてやれればと思っています。

枕が変わると寝られない。電動歯ブラシでないと歯が磨けない。ウォシュレットでないとうんちができない。どころか除菌シートがないと便座にも座れない。エアコンがないなんて信じられない。そんな大人になってしまったのでは、頼りなさすぎると思うのです。


それで、凛童舎ではなるべくエアコンをつけず、子どもたちの汗腺が発達するように、かつ暑さへの我慢強さがつくようにしています。ただ、熱中症にさせるわけにはいかないので、熱中症計(温度計の針と湿度計の針の交点で熱中症注意度がわかるもの)を購入して注意はしていました。


結果、湿度にもよりますが、今年はだいたい室温が32℃ぐらいまでエアコンを入れませんでした。

でも「暑い」と音を上げる子どもはいませんでした。子ともって意外と強いです。


しかし、老体には子どもたちに付き合うのは大変でした。今年は、自宅にはエアコンをつけていない、暑さには自信のある私でも音を上げるほど暑かったです。完全に夏バテです。夏休み中、毎日、朝7時半から夜7時すぎまでの勤務。正直言って非常に疲れました。


子どもたちには悪いですが、学校が始まって、やっと「一段落」という気分が正直なところです。

昨夜、BS歴史館  「スーパーティーチャー・吉田松陰~松下村塾は幕末の白熱教室だった!?」を見ました。たまたまでしたが、見られてよかった~!



ショウイン式という学習塾をやっているので松下村塾には興味がありましたが、その内容についてはあまり知りませんでした。



見てみて驚いたのは、その教育方針にサドベリースクールと似たところがかなりあることでした。たとえば、学ぶにあたって本人の自発性を重視して、松陰はただそれを促すように導いていたこと。生徒は、いつ来ていつ帰っても良いと、その部分も自発性が重視されていたこと。カリキュラムも教科書もなかったこと。先生と生徒の別もなく対等に話し合ったことなどです。とてもデモクラティックだったようです。「僕」「君」と身分や年齢の別なく呼び合うことも松陰の発明だとか。



また、松陰自身、奇行の人で、いねむっていたかと思うと急に激しく語りだしたり、14歳の少年に本気でいかったり、生徒と絶交したり破門にしたりしたかと思うと、すぐに取り消したりとかなり変人だったよう。



私の理想とする「完璧でないけど魅力的」という先生像そのものです。

私が一番印象に残っていて、恩師だと思う、小学2年と5年の時担任だった中西平一郎先生も「教科書は学校に置いて帰れ!家で勉強なんかするな!」などと言ったり、ドッチボールで小学生に向かって本気になったりと、かなり変人でした。



さて、生徒がどんどん増えて大所帯となった松下村塾は、後半「集団討議式」ともいえる授業形式をとったようで、先生が、何が正しいということなく「じゃあ君はどう思う」と生徒に振っていき全員を議論に巻き込む形式だったとのこと。まさに、あのマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」のごときだったようです。



NHKで「ハーバード白熱教室」を見たとき感動しました。理由は、生徒が皆、冷静に自分の意見を述べあっていたからです。「日本人はなぜああできないのだろう。誰もがすぐ感情的になって激昂する。議論を冷静にできないようでは、そこから冷静に自己分析して修正向上をかけて自分をさらなる高みへと自ら導くなど、到底できない。」と思っていたからです。



でも、日本人が、150年も前に、しかも身分意識が高い時代に、できていたということは驚異的でもあるし、希望でもあります。日本人にもできていたんだと。だからできる可能性はあるのだと。



いつか子どもが増えたら、凛童舎での行動や規則・方針を、子どもたちと話し合って決めるサドベリースクールでやってるような会を立ち上げたいと思っています。



再放送があるようです。93 ()午後4:00~午後5:00(60)

良かったら見てみてください。