「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・・・ 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
小学4年の時、授業でこの「日本国憲法前文」を読み、「なんてすばらしい国に生まれたのだろう!」と涙が出るほど感激したことを覚えています。
「そんなの理想にすぎない。」多くの人がそう言います。でも、「理想」を掲げないで、人は未来に希望を持てるのでしょうか?
「理想」
実現は、3世代あと、5世代あとでも構わない。ただ自分は、理想に向かって進むのだと決意する、あるいは負荷をかけることで、初めて夢を見られるのではないかと思います。
自分の命の長さを超えた夢を見られるのは、単なる遺伝子伝達体として生まれたオスの特権かもしれません。「これが成功すれば、100年後には、○○が△△になることも夢ではないんです!」と「あんたその時、死んどるがね。」と突っ込みたくなる様なことを、目をキラキラさせながら語る研究者を見ていてそう思います。
「理想」
記念受験的に受けた早稲田大学に引っかかって、私が得た最大の成果は、早稲田大学校歌を、わが応援歌として得たことでしょう。
早稲田大学校歌「都の西北」には、1番2番3番すべてに、「理想」という言葉が登場します。
1番:われらが日ごろの抱負を知るや・・・現世を忘れぬ久遠の理想
われらは現実を見据え、遠い理想でも追い続けるのだ。
2番:やがても久遠の理想の影は、あまねく天下に輝き布かん
今は分かってくれる人は少なくとも、やがては、世界を変えうるのだ。
3番:集り散じて人は変われど、仰ぐは同じき理想の光
お前はひとりじゃない。多くの仲間がお前と同じように理想を追い続けているのだ。大丈夫、心配せずにがんばれ!
打ちのめされたとき、風呂場でこれをうたうと元気が出ます。いや、元気を出すためにこれを歌います。馬鹿みたいに。
私には、そうありたいと念じている言葉があります。小説「竜馬がゆく」の中で、司馬遼太郎が竜馬に言わせた言葉です。
「たとえ道半ばにして倒れようとも、俺は前に倒れる」
私の運営する学童保育「凛童舎」が目指す地域社会や子育ち環境も、私が理想とする方法での世界平和実現も、いずれも私の命のあるうちには実現しないだろうと思っています。
だから、死ぬとき、後ろに倒れるようなブザマなことにならない様、気を張っていようと思っています。次の走者に「バシン!」とバトンを渡したいので。









