裸になりたい。



古代の人間は服なんて着てなかった。


テレビで見る原住民なんかを見てもらえばわかるが


少なくともそこには今のようなブランドだとかファッション


だとか言っている人たちはいない。


単純に防寒具として身につけられているだけで、


女性でさえ胸丸出しという人達ですら多数いる。



そういえば聞いた話では昔、エスキモーたちは


氷の上に裸で寝ていたそうだ。





いつしか僕らは服を身につけるようになり、


そして服を脱ぐことができなくなった。




裸になりたい。




そもそも裸になるということ自体が恥ずかしいと思っている


自分が情けない。



僕はもし一般的に公共の場で裸になることが認められたとしても


その場ですぐに脱ぐことができる自信がない。



結局は人どうみられるだとか他人の目を気にしてしまうような


小さいやつなのだ。



そこから脱却したい。



裸になる。それができるような人間になること。


つまりは今の自分を自分の中で受け入れること。


時と場合によりけりではなく、いつでもその状態でいる


自分になりたい。

不安が体の中で絶え間なくうずめいている。


怖い。何もかもが。


周りのものすべてが自分の敵と見えて


これからの道はそいつらにすべて塞がれてしまってように思える。



突然やってくる。


いや、性格に表すならば常に自分の中に常駐していて


ときとして突如顔を出すと言ったほうが正しいのかもしれない。




襲われたら子羊のようにかよわい僕はひとたまりもない。。。


部屋のすみで小さな小さな自分の世界に逃げ込み、そして


時間が解決してくれるのを待つ。



戦う勇気なんてとっくにない。



自暴自棄。


そんな言葉が僕の頭のなかをぐるぐると回る。


世の中すべてが灰色に見え、いっそのこともうここですべてを


終わらしてしまったほうがよいのでないかと思う。




いつまで僕はこの不安と一緒にいなければならないのだろう。


いつまで僕はこの不安に耐えれるのだろう。


いつまで僕はこの不安に。。。。。





動物を見ていると不安なんて抱いていないように思える。


いや抱く余裕がないのかもしれないし、それだけ考える能力がないのかもしれない。


ただ、今はそっちの方が幸せそうに思えてならない。

〝おもひでぽろぽろ〟という映画の中にこんなシーンがある。



主人公であるタエコがトシオさんに


「トシオさんって昔分数の割り算できた?」



うろ覚えだが確かこんなことを聞く。


そしてタエコは続ける。



「私はできなかったんだ。きっと分数の割り算がすんなりできる人って


人生もすんなりいく人だと思うの。だってどう考えても分数の割り算を


分母と分子を反対にして掛けるなんてよく分からないもの」




分数の割り算は分母と分子を反対にして掛ければ解ける。




これが受け入れられるかどうかが人生がすんなりいくかどうかに


似ていると主人公のタエコは言っているのだ。




今僕が考えてみてもなぜ分母と分子を反対にすれば答えがでるのか


パッと考えが思いつかない。


しかしどうやって答えを出すかについては知っている。




問題はそれを疑問に思うか思わないか。




世の中は僕らが見た時から当たり前であってしかしそれがなぜなのか


分からないことなんてのは無数にある。


ただそれを普段から疑問に思わないというか僕たちはその生活に


馴染んでしまっている。




だってよく考えれば


あんなにもでかい飛行機がなぜ飛ぶのかだって不思議だし、


電子レンジでチンするだけで温めれるなんてわけが分からない。



しかし僕らは飛行機が飛ぶことを知っているし、


なおかつ電子レンジでチンをすれば物が温まることをしっている。




あまりにも受けれいれすぎてないだろうか。


世の中に慣れすぎている。日常に溶け込みすぎてはないだろうか。




もっと言えば常識だって云われていることだってそうだ。



例えばご飯は一日に三食たべることになっているけど


一体誰がそんなこと決めたのだろうか。


月~金は働いて土日は休みなんてなっているけど


本当にそれがベストなんだろうか。





もっと疑うべきだ。ありのままを受けれいるのは簡単だけど


世の中をあまりにもそのまま見てしまうと流れのなかに


いつの間にか巻き込まれてしまっている。




〝新しい発見は常に疑問から始まる。〟




誰ぞやかがこんな台詞を言っていた。


今日から一つでも疑問を抱いて生きよう。