セミについて話そう。



夏の風物詩、いわゆる自然界のTUBEともいえるセミは


日本に夏の到来を告げるように鳴き始め、


そして夏の終わりを告げるように静かになっていく。



一匹のセミの成虫になってからの生存期間は約7日間。


この間に彼らは力のある限り精一杯鳴き続ける。


まるで僕らはここにいたんだという証を残すかのように。




もしも自分があと7日間しか生きれないとしたら。


もし7日後の死が確定しているとしたら。


そんな設定の映画や漫画は腐るようにある。


そして同じようにこれを自分に当てはめて


自分だったらどうするかということを考えたことがある人たちも


少なくはないだろう。




僕らの人生は現在の平均寿命で約80年。


これが長いのか短いのかなんてわからない。


地球が持つ歴史に比べれば人間の人生なんて


わずかな歴史にしか過ぎないし、


他の哺乳類たちと比べれば、長いと感じることが


できるかもしれない。




もちろんセミと同様僕らはその統計学的に出された


80年という数字を全うできるとは限らないし、


どこかで何かしらの不慮の事故に巻き込まれる可能性だって


大いにある。




さらにいえば80年生きたって物足りないと不老不死の薬を


求めたがる人たちだっているだろうし、


80年生きた後、満足だったと言葉を残してこの世を去る人たち


だっているだろう。




僕は人生について大切なのは目標と達成度だと思っている。


セミだって成虫になったとき7日間、心残りのないように鳴き続ける


という目標を設定し、それを実際に7日後達成したのち成仏していく


のであれば、それはそれで一つの理想的な人生だったと思う。


人間だって同じように1年後、3年後、10年後、30年後と目標を立て


少しでも自分の思い描く姿に近づけたとしたらその分だけ理想の人生に


近づけるのだろうと思う。



簡単なことではない。セミは生きている間、決して途中で鳴くことを


投げ出さないが、人間は臆病だからすぐに基本的に根気をいうものを


持ち合わせてない。




1年とは365日。その一日一日をまずは全力で取り組むことが


最終的な理想の人生に綱がるのではないだろうか。




物事には始めがあれば必ず終わりがある。



人生だって誕生があれば誰にでも必ず死が待ち構えている。




生きるということはどういうことなのだろう?


しょっちゅう本や映画のテーマで取り上げられてそうな話題だが、


生きるということは簡潔な言葉で表すならば



今あるこの現実世界の中で生活していくこと



であろう。




逆に死とは何なのか?と考えると




今あるこ現実世界の中の生活を拒否すること




という表現ができる。




もちろん人それぞれの意見があるとは思うが、


誰にだって死にたいと思うこと人生生きていれば


一度や二度はある。




つまりそのときは



生<死



となっているわけで



現実の生活の容認<現実の生活の拒否



となっているわけだ。




こんなことを言うとどこかの法務大臣のように


失言としてバッシングされそうであるが、


僕は人が自由に死ぬ権利というのを認めてもいいと思う。


つまり詳しくいうならば死に方というのを選ぶ権利を与えても


いいと思う。



僕がそうなのだが、正直いっておじいちゃんになってヨボヨボになって


まで生きていたくはないという考えが僕の中にはある。



さらには不治の病で苦しい人、うつ病で完全に苦しんでいる人、


そんな人たちにとって投げかける「生きていればいいことがあるよ」


なんてのは僕にとっては断然奇麗事を述べているにすぎないように


しか思えなくて、その人たちの一つの選択肢として安楽死というカードを


与えてもいいのではないかと思う。




基本的人権が認められている中で、行きなければいけないという義務が


法律やらなんやらで定められているわけではない。


しかし世間一般の常識として自殺というのは一番やってはいけないことだと


広まっている。



何も全員が全員死ねばいいといっているわけではない。


しかしもしも本当に生きる<死ぬということが第三者の客観的な意見から


認められれば、そういう選択肢もあってもいいと思う。



僕だって今のように頭がしっかりとしている時点でもし何かしらの状況に


なったら莫大なお金をかけて誰かに支えながら生かしてもらうよりは


いっそのこと殺してほしいという署名付き文書を残しておきたい。



そしてその通りにしてほしい。



誰だって好きで生まれてきたわけではない。



でもせっかくのこの世で生活できる権利の最後の放棄の仕方だって


その人自身が決断する権利があってもいいんじゃないかと思う。

僕だって怒ることがある。



周りからあまり怒ることがないよねってよく言われるし、


雨が続いて洗濯物が乾かなかったり、

友達が約束の時間に遅れてきたり、

スーパーでお釣りの金額が間違えていたり、

 


そんな一般の人が怒るようなことにあまりカチンと


こない性格なんだけれども




僕だって怒ることがある。




僕は今とある場所で物産展というもののアルバイトをしている。


明日から始まる物産展なので今日の夜、搬入準備ということで


手伝いに行った。



しかしこのお店、以前も働いたことがある大きな店舗なのだが、


全くもって統率がとれていない。



誰が責任者で、分からないときに分からないことを誰に尋ねても


結局はたらいまわしで適切な答えが得られない。



今日の物産展でも冷凍食品を扱う店舗のために明日用の食品を


店舗まで運んで自然解凍しておきたかった。




そこでその店舗の従業員に尋ねたところ、



全体での仕事が終わり次第、食品で必要なものは運んでくれるとのこと。


さらに何が必要かも聞きにきてくれるとのこと。



そのため店舗の準備の方を一番に進め、


言われた通り、担当者が尋ねに来てくれるのを待っていたが


一向に来ない!!




仕方ないので店舗の方がアルバイトの僕にどこにあるのか聞いて


取りにいってほしいと言われた。



そこで僕は社員の方に尋ねるが、誰もがどこに何があるのかを


把握していない。



タライ回しで30分以上のロス。



しかもやっとこさ見つけたトラックから運びたい荷物はおよそ


総量200キロ。



これを一人で運ぶなんてまず不可能。



だってそこまでの道は台車で運べるようなバリアフリーの道では全くなく、


階段を上り降りしなければならない上、かなりの距離がある。




不可能。




最後に一番の責任者の方にこのことを伝えたところ


予想だにしない答えが返ってきた。



運ぶ時間が悪い!!


搬出が終われば人を貸し出すといっていたじゃないか?



いやいやいや、運ぶ時間悪いって搬出終わったあとには完全に搬入用の


通路しまってたやないか!!



さらにはなんで搬入用の通路を開けなかったのか!?


と言いやがる。


他の人に聞いてももうしまっているから明日にならないと開かない


ということを言われてたのに。


開けれるなら開けれるとはじめに言いやがれ!!




そしてもう一点。


その搬入の食品が入っているトラックまで社員の方が連れていって


くれてのだが、なぜそこでそのアルバイトと社員を使わなかったのか?


と聞きやがる。そしてその日のアルバイトで雇われた俺に責任を


押しつけようとしやがる!!



アホか!奴は。


いや普通無理でしょ。アルバイトが社員に命令するのなんて。



そこはお前がきちんと指示する必要があったんやないか!!




主観的な見方しか今んとこできないから何が悪かったのか


どう改善すればよかったのかはもう少し考える必要があるとは


思うが、


そもそも物産展に出展する企業と店舗の関係が対等なのかそれとも


上下があるのかは詳しくしらないが、


あの責任者が完全に上から目線で物を言いやがるのが胸くそ悪い。


責任の取れない責任者なんていったいなにをやっているのかが分からない。


挙句の果てにアルバイトに責任を押し付けるなんて最低の行為だろ。



伊坂幸太郎の小説でこんなセリフがある。


係長の男が部下のミスを先方に誤った後いうことばが



「俺の仕事はせいぜい責任を取ることぐらいなんだ」



その通りなのに


世の中にはこの責任をとるということができない奴が多い。


少なくとも僕はこの店の部下にはなりたくないと強く思う。