地球が誕生してから46億年もの歴史を刻んでいるらしい。



今朝ぼけーとテレビを見ていると、


こんな一言がどこかの番組の中から聞こえてきた。




何度も聞いたことがあることだが、改めてじっくり考えてみると


これはとてつもなく凄いことである。



キリストが生まれ、西暦を刻み始めてから2000年。


中国の歴史が始まってから4000年。



そして、今と同じような構造であると言われる新人が生まれてから20万年。



それと比べてもはるか長い。とてつもなく長い月日を母なる大地


地球は刻んでいる。




こんなんことを考えているとこの前見た「クレヨンしんちゃんアッパレ戦国大合戦」


という映画の中のフレーズを思い出した。



この映画はしんのすけ一家がひょんとしたことから戦国時代へとタイムスリップして


しまう映画なのだが、過去の春日部で栄えていた春日部城の殿に未来のことを


ヒロシたちが話すシーンがある。



そのとき春日部城の殿は他の城と同盟を結ぶかどうかを悩んでいるのだが


ヒロシから未来の話を聞き、そこには現在存在する春日部なんて跡形もない


だけではなく、大国といわれる国々でさえなくなっていることを知り、


同盟を結ぶのを断るのだ。



殿はこの話を聞き、つぶやく。


「さみしいことだ。今ある春日部どころか大国さえも未来にはなくなって


しまうなんて・・・。」



その通りなのだ。戦国合戦と言われるそのときは命をかけた戦いでさえも


長い歴史から考えれば、全くもって意味を持たないかもしれないのだ。




現在ある問題さえも同じかもしれない。


例えばイスラムとキリストを始めとする宗教間の対立抗争。



原油高の問題。


先進国と発展途上国の格差問題。



こんな問題さえももっとマクロな視点でみればなんてことは


ないのかもしれない。



そしてそれから考えれば個人の問題なんて本当に本当に


ちっぽけなことかもしれない。



彼女ができないだとか


仕事がうまくいかないだとか


自分のやりたいことができないだとか


成長を感じられないだとか



くだらない。


本当にくだらなすぎる。。



マクロな視点で人生を眺めてみる。


いわゆる鳥瞰してみること。


迷い込んだ子羊にはいいアドバイスかもしれない。



体調が悪い。


頗る悪い。



久しぶりに一週間も休みなしで働いたからだろうか。


久しぶりに風邪にかかった喉の痛みがある。



体調が悪いといえば思い出すのが高校の先生の時の言葉。


それまで僕は体調が悪かったら欠席こそするが、早退なんて


一度もしたことがなかった。




しかしその日は頗る体調が悪い。


毎度のように聞いていない授業も今日は聞きたくても聞けない


ぐらい体調が悪い。


教室でぐったりしまくっていたので僕は高校生活の中で最初で


最後となる保健室というところに向かった。



そこで示された熱37,5度!



もう明らかに風邪。


天地がひっくりかえっても風邪。


後藤マキの弟がわずか数年であんなに変わっても風邪。



喉も痛いし、体もぐったりして動けない。



だから僕は担任の先生に早退を申し出に行った。


これ以上、学校で授業を受けるのはマジに無理だと思った。




この担任、遅刻したらなぜか自分の顧問の剣道場の掃除を


させるという変わり者なのだが、このときも言った言葉には


僕も驚いた。



目から鱗とはまさにこういうときに使う言葉なのだと思った。




自分「体調がすごく悪いので早退させてくれませんか?」



先生「・・・・あ~じゃあ治ってから帰れ!」




治ってから!?じゃあ帰る意味ねーじゃん!!


まさかの返答に僕の熱も一方的に上がる始末。


がばいばーちゃんの腹が減ったの返しで「気のせいや」


じゃないんだから。





死んだ人間は英雄になる。



誰しも故人のことを悪く言うなんてことはない。


そんなことをすれば呪われるかもしれないし、今はいない人に言うなんて


嫌味な奴にしか思われないからだ。



どんなに悪いことをした人だって死んでしまえば


その悪いことにそこまで目を向けられなくなる。



そして逆に生きているときに善行と悪行をはたらいた人にとっては


生きている間はマスコミ、世間からそれこそ戦国時代の拷問とも


言えるようなバッシングを受けるのに、死んでしまえば


これまでとはひるがえして善行の方ばかり取り上げるようになる。



なぜならマスコミは死人を批判することによって自らの評判を落とす


ことを恐れているからだ。



そしてさらに言えば生きている間、時代の寵児としてあがめられた人が


急死したようなときには、マスコミはこぞってその人の特集企画を組み、


まるでその人が亡くなったと同時に世界は終わりを告げたといわんばかりの


持ち上げ方をする。




そして死んだ人間は英雄になるのだ。




もちろん人のことを誉めるというのは批判するよりはその人にとっても


気持ちのいいはずであるし、個人的にも見ていて悪いとは思わない。



しかしそれがなぜ死んだあと急に起こるんだ?と疑問に思うことは


度々ある。



別に生きている間に言ってあげてもいいじゃないか。



マスコミはもっと人を持ち上げてもいいんじゃないか。


むしろ一切バッシングをしない週刊志なんてあったら逆に奇抜で


面白い気さえする。



そして悪行を働いていた人がしんだ途端にバッシングを止めるのは


辞めてほしい。


そんなことだから自殺までして逃げようとする人が出てくるのだ。



死んだからって周りの人間にとっては何もかも終わるわけではない。


終わるのはその自殺した本人だけのこと。


しかし現状では周りも死んだならというあきらめからかいままでの


勢いは一気に失われる。




死んだ人間は英雄になる。




おそらく死ぬということにはただ人生を終わらせるという意味以上に


現世に残すこと、まわりの人間に与える影響が大きいということなのだろう。




逆にいえば我々まわりの人たちは死についてよほどさわってはいけない祟りの


ようなものかもしくは潔癖というべき何かしらの威力を備えていると考えている。




その死のイメージが壊れないかぎり、これからも自ら命を絶つ人が途絶えることは


ないのではないだろうか。。