与えられたものと手に入れたもの。
僕が今いる状況というのは僕にとってあまりにも当たり前のことだと思っていて
この状況を得るために今までの先人たちがどんな努力をしてきたのかなんて
考えたことなどはなかった。
でもこの普通に学校が行けて、毎日三食食べれるという平和の代名詞ともいうべき
状況というのは今現在でさえ数ある他国の状況からみればそれは欲しくても手に入られない
待遇なのであって、ある意味その人たちにとって幸せというのを表している状況なのかもしれない。
でもやはり僕らにとってこの状況というのは生まれたときからあったもので、欲しくて手に入れた
というよりも最初から何も考えず与えられたもの、だからそれがない状況だとかこの待遇の
ありがたみなんてことは頭の片隅では考えているつもりでもその本当の意味なんて少しも
分かっていない。
やはりその人自身にとって自らが望んで勝ち取ったものと、はなから与えられたものというのは
月とスッポンともいうべきぐらい差がある。
例えるならば、うまい棒が一本あるとする。
それを自分は欲しいとか思うまえに、親が勝手に買ってくれて自分にくれた場合と
自分が欲しいと思って、そのために親に頼みこみ、そして一つお手伝いをする代わりに
うまい棒を買ってもらうことができた場合、
自分にとって価値があるのは明らかに後者の方である。
そんな風に今生まれた時点で僕らというのは無限大に今までなかったものを
与えられていて、その結果、自分で手に入れる喜びだとか努力の仕方だとか
そういった類のものを失っている。
今の日本には年間3万人もの自殺者がいる。
昔の日本には生きることに精いっぱいで決してこんなに多くの人たちが
自ら命を絶つなんてことはなかった。
それはおそらく安全だとか平和だとかそういった類のものを手に入れるために
みんなが必至に戦っていたからであり、自殺なんて言葉が頭をかすめる
余裕なんて微塵もなかったのだろう。
今の人たちというのはその平和や安全が当たり前に存在していて
そこに感謝などはせず、それ以上の自らの欲望のために時間を費やし
生きていく。
しかし安全や平和というのと違って自らの欲求というのは比較的敷居が高く、
例えば、プロ野球選手になりたいだとか起業したいだとか
そんな簡単ではない夢を口にして、もちろん成功する人は多くはないけれども
いるんだろうけど、失敗した人たちはすぐあきらめ、
そして今はやっているうつ病とやらにかかる。
今ある環境に満足できず、さらなる自分の欲求の実現に失敗した人たちの
行く末だと思う。
昔よりマズローの5段階欲求でいえば日本人の欲求は満たされているはずなのに
世の中に自殺者が増え続けているのはそれが原因なのだ。
個人の欲求のために生きて、そしてそれが実現できなければ自殺。
そこにはおそらく生きていることへのありがたさがあまり持ち合わせていないからだろう。
なぜならその平和とか安全とかは生まれたときから与えられていたものだから。