前回ので述べたように自分を理解していれば


目標は比較的立てやすい。


今自分がどの位置にいて、どこまで目指すことが可能なのかが


分かるからだ。



だからその目標を立てることにおいて


実現不可能な目標を立てても意味がない。


逆に簡単すぎる目標を立てても意味がない。



いわば自分ができるぎりぎりの


精密機械小宮山のようなコーナーを突く目標が必要なのだ。



そしてできる限り小さなことでもいいので目標を立てること。



例えば、今日は三食ちゃんと食うだとか


勉強を一時間するだとか


友達と遊ぶだとか


オナニーを二回するだとか



そんなレベルでかまわない。


そしてその目標を立てるためには



今何をしなければいけないのか


どうすればできるのか


を逆からたどって考え、実行できる人。



それを一つ一つクリアすることによって


実現能力がついていくと思う。

マラソンをしている最中になぜ走っているのかを問う奴はいない



問うのは大抵、止まっているとき。


体を動かすのではなく、頭を動かそうと頑張っているとき。


だから信じる限り常に走り続ければいい。


それがありえないくらいのパワーをもたらすのだから。





決して〝ジュンちゃんショックを受ける〟の略ではない。




正義のために命を犠牲にする警察官といわれればカッコイイが、


実際はそんなもんではない。




客観的にみると、命を犠牲にするまでもないケースであったり、


判断ミスや不慮の事故によるケースだってある。




でもそんな場合でも命を投げ出した当人には


世間的に〝表彰〟が贈られる。




そして人々は言う、


「世の中に無駄な死なんてない」




僕の父もそんな風に言われた一人だった。




今日と同じような夏の中でも一番と思えるぐらい暑い日。


外の気温は40度近く、地表を測ると50度ぐらいはありそうなぐらい、


まるで地球全体が大きなフライパンにでもなったんじゃないかと


思えるぐらいの日だった。




そのころ、父は忙しそうだった。詳しくは知らなかったが、


世間を揺るがしている連続殺人事件を担当していたらしかった。



この事件というのが最近増えてきている厄介といしか言いようがない部類に入る。



というのも殺されている被害者の顔ぶれを見ても何の〝つながり〟もないのだ。


普通、殺人を犯す場合には正当でないにしろ、それなりの理由を持っている。



例えば、妻が別れようとするから、


執拗なイジメを受けたから、


あいつが裏切ろうとしたから。



マフィアだって殺す必要性がない人間は殺さない。


そこには一応ながらも自分なりの理由がある。



だがこういう事件は違う。


殺人自体が目的となっているのだ。



金が欲しいからだとか、犯したいからだとか、裏切られたからだとか


そんな理由ではなく、殺したいから殺す。



だからそこに自分との〝つながり〟は存在しない。


殺せれば誰でもいい。


いわば快楽的殺人ってやつだ。




そんな得体のしれない事件を父は追っていた。