ポジティブ。



日本語でいえば〝前向き〟


有名人で例えれば高橋尚子。


寿司のネタで例えればシーチキン。


シチュエーションで考えるならば


マックでダブルバーガーを頼んだのにハンバーガーがやってきたけど、


それでダイエットできて良かったなんて考える奴。




物事はポジティブに考えなければいけない。


安部さんが辞めたことだって長期的な視点で見れば今辞めたことが


本人がおっしゃっていたようにターニングポイントとなるかもしれない。


松坂が抜けた西武だってこれで若返りがはかれて、数年後また


黄金時代がやってくるかもしれない。


今日500円を落としたことだってそれによってどこかのホームレスに


おいしいご飯を食べる機会を与えたのかもしれない。


試験に落ちたことだって、これで次の試験までまた勉強できるのだ。


会社を辞めたことだってまた選択の時間を自分に与えたことなのだ。




世の中のたいていの不幸はポジティブに考え直すことによって解決できる。





そしてどんな辛いときでもポジティブに考え、笑顔を絶やさないことによって


自分も自然と元気になり、それが周りにも伝わってすべてが


ポジティブのスパイラルになっていく。




ネアカ主義。



そのためには今日のポジティブ思考から。


おにぎりとパンどちらが好きかと尋ねられれば、それこそ加藤ローサとハリセンボンを


比べるぐらいに僕はあっさり好きだと答える。




山下清ではないが僕にとっておにぎりがない生活というのが考えられない。


25年間連れ添った妻が仕事から帰ってくると置手紙と一緒にいなくなってるぐらい考えられない。


長州小力が5年後にいまだにあの恰好で、芸能界に生き残っているぐらい考えられない。




それこそ生粋の日本人、縄文時代から農耕民族として短小胴長という伝統の遺伝子を受け継いだ者としては


いまさらアメリカナイズだかヨーロッパナイズだか知らないけれど、醤油の本当のうまさも分からない奴らの真似


をしてパンを食べることだけは絶対に許せない。




だってただでさえ、和式便所の減少によって日本人伝統のウ○コスタイルが後世に受け継がれることが


阻まれそうになっている今、かの有名な〝おむすびころりん〟という不朽の童話を子供たちに語れなく


なってしまうじゃないかっ!!




さすがにパンじゃ転がりませんよっ!




特に食パンなんかじゃ持っての他。おじいさんが転がりかけた食パンを拾って物語はめだたしめでたし。


ネズミたちの出番なんてありません。おじいさんもお礼に財宝なんていただけません。



しかし、パンはパンでもフランスパンだったらどうなのか。あの長ぼそくて固い物体、一歩表現を間違えれば


男性なら誰でもついているアレのような物体が転がって行ったらどうでしょう。その場合の転がりかたとしては


当然ながら横向き。床を掃除するクルクルするやつのごとく転がっていくこととなると思います。




しかしここで問題発生!


あの長ぼそい物体では穴に入りません。それこそ神秘がの迷宮、膜でとじられている18歳のヨシコの穴には


大きすぎて入らないのです。ここで解決する方法はただ一つのみ。そう、




濡らせばいいのです(アホ)




そうすればその穴からわき出てくる神秘の液体が見事、棒と穴とを結びつける潤滑剤的な役割を果たし、


フランスパンは無事に穴の中に挿入されます。




そしてそれを出したり入れたりという動作を繰り返すことによってヨシコは絶叫に喘ぎ、それを見たおじいさんは


誰もがピークを過ぎたと思っていたのにも関わらず、最後の力を振り絞りおじいさんのフランスパンを日本刀の


ように鋭く変え、ヨシコの心のなかを思う存分にえぐっていきます。




そして最高潮へと達した瞬間おじいさんのフランスパンはヨシコの穴の中で実は中に入っていたクリームを


放出し、事の顛末を得ます




しかしここからが大変。ヨシコとはそれきりだと思っていたおじいさん、


だがしばらくして、ヨシコは再びおじいさんのところへ向かうこととなります。





ヨシコ   「おじいさん、、、実は私・・・・・・・・・できちゃったの。」


おじいさん「・・・・・・・・・・・・・・・!!!」


おばあさん「・・・・・・・・・・・・・・!!!!!!!!!!!!!」





おじいさんは悔みました。まさか人生の最後でこんなどんでん返しが待っていようとは・・・。


やはりあのときコン○ームをつけておけば・・・・じゃなくて、フランスパンではなくおにぎりさえ


転がしておけば、おにぎりならこんな展開にならずに済んだのに、、、、





以上のような話になってしまい、寓話どころかただのおじいさんの浮気話になり下がってしまいます。


こんなもん絵本にしたらえらいことになるっ!



だからおにぎりなのです。それこそ大阪人が何の疑いもなく阪神ファンになるように日本人なら何の問答無用で


おにぎりを選択するべきなのです。




作文は嫌いではなかった。



書けと言われればそれこそ水道の蛇口をひねれば


水がでるように、溢れんばかりにとりとめのないこと


を扱ってかくことができた。



僕にとって書くという行為はおそらく日常行為の一種


なのだ。



それこそ睡眠や食事、セックスの中に加えられるべき


行為の一つなのだ。





作家になりたい。



好きなものを好きなように好きな時間だけ書いていたい。




高校生ぐらいのころはこんなことを思っていた。


だから小説たるものを書こうとしたこともある。




しかし今はそんな考えはなくなった。



理由の一つとしてはオーストラリアにいるときに友達から


借りて読んだ本、「哀しい予感」である。




衝撃を受けた。


自分のなかで今までにない感情が脳天を突き刺した。



こんな作家がいるようじゃ、自分が勝負できる世界じゃ全くない。





それにそのころにはインターネットというものが本格的に普及してきて


金儲けにはならないけれど、それこそ自分が書きたいことを自由に書いて


発信できるシステムができあがっていた。





いわゆるブログってやつだ。




こいつはすごい。


今まではプロでしか文章を発表できなかったが、


これによって今まで類いまれなる才能を持っていたのにもかかわらず、


埋もれていた人たちにもスポットが当たることとなった。




そんなブログをネットサーフィンしているうちに


才能の違いを思いっきり見せつけられた。




テーマ、言葉遣い、オチ


どれをとっても自分じゃかなわないと思える人たちは


数限りないほどいた。




もちろん時間をかければ自分もそれないのものをつくる


自信はあった。




しかし他の人みたく、それを毎日のように発信できるような


力は持ち合わせてなかった。





ただプロになることはあきらめたけれど、


僕は文章を書くことはやめない。




インターネット上なのか


自分の日記のなかのか


素人投稿雑誌なのか




一つの趣味として僕は書き続ける。