『最後の晩餐』解説(ハバナ大学教授 マリオ・ピエドラ) | MARYSOL のキューバ映画修行

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『最後の晩餐』について   マリオ・ピエドラ(ハバナ大学教授)

 

     

 

17世紀末のキューバ。製糖所を所有する大地主が、カトリックの宗教行事「セマナ・サンタ(聖週間)」を祝うべく、キリストの行いを真似て、奴隷たちを12人の使徒に見立て、彼らの足を洗い、食卓を共にする。それはまさに十架にかけられる前のキリストの最後の晩餐だった。

 

1976年、この『最後の晩餐』というタイトルで、トマス・グティエレス・アレア監督は映画を撮る。そのなかで、先の大地主が神秘的な宴席を設け、イエス・キリストの立場で12人の奴隷とキリスト教の夕食を共にする。だが、晩餐の結末は悲劇となる。というのも、大地主は12人の奴隷たちに対し、翌日の聖金曜日の労働を免除するのだが、その指示を奴隷頭は無視し、彼らを労働へ駆り立てる。奴隷たちは反乱を起こし、奴隷頭を殺す。しかし、当の大地主から凄まじい追撃を受け、一人を除き全員が殺され、十字架にかけられるからだ。

 

このストーリーでグティエレス・アレアは、彼のフィルモグラフィの中でも最も成熟度や完成度の高い作品を仕上げた。それは〈キューバ映画の中でも最高傑作のひとつ〉と言うに等しい。本作の要となる晩餐会のシーンは、キューバ映画の熟達度を示す最上例のひとつで、チリの俳優ネルソン・ビジャグラを中心に40分以上続く。

 

本作は、ほぼ全てのアレア作品同様、多様な読みが可能なうえ、様々な要素を明示する。ひとつ例を挙げると、晩餐会のシーンは、さながら民族誌だ。奴隷としてキューバに連れて来られたアフリカの諸民族の文化的違いが浮き彫りになっている。だが、現代のキューバと密接に関係する要素もあり、アレアにとって歴史を取り上げることは、現在を理解するための手段である、と言える。

 

大地主の提案は宗教、思想の範囲で展開し、その態度にはイデオロギーの支配が際立っている。しかし、奴隷たちが反乱を起こすと、つまり、砂糖の生産や地主の経済的利益に悪影響が及ぶと、激しく弾圧する。〈経済の支配はあらゆるイデオロギー的立場を超える〉という明白な警告だ。おもしろいことに、この考えは極めてマルクス主義的-“古典的”と見なされるマルクス主義の-性質をもつ。キューバでは当時もその後も、イデオロギーがおそらく過剰なまでに重要視されていた。

 

作品の読みが第二、第三とあり、更に掘り下げられることは、トマス・グティエレス・アレアの作品を非常に分析的で批評的にしている。アレアは、あの忘れがたい『低開発の記憶』を始め、キューバ革命のプロセスで生まれた映画の至宝となる作品を撮った監督だ。この『最後の晩餐』も彼の傑作のひとつで、極めて高い芸術的レベルにあり、古びることがない。

 

         故トマス・グティエレス・アレア監督

 

Marysolよりひと言

マリオ先生の原稿は、実は4年以上前に頂いていました・・・。