〈映画の衰退〉がテーマの短編ドキュメンタリー(2012年/14分) | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

きょうは、今年のお正月にフェイスブックで知ったドキュメンタリーを紹介します。

理由のひとつは、わが師マリオ先生がメインで登場するので、紹介とオマージュを兼ねて。

もうひとつは、映画作品における〈革命の見方・取り組む姿勢の変化〉を示しているから。

 

まず、その変化を端的に表しているのが、タイトル。

Por última vez(最後に)という原題は、キューバの名ドキュメンタリー“Por primera vez(初めて)”の捩(もじ)りで、その邦題が「はじめて映画を見た日」ならば、こちらは「最後に映画を見た(見る)日」となるでしょうか。

革命が“新しいキューバ映画”を生んだことを考えると、その終わりは何を意味するのでしょうか?

 

原題:Por última vez (仮:最後に映画を見る/見た日)/ドキュメンタリー/2012年/14分 

監督:レニア・カストロ

出演(登場順):パブロ・ラモス(ハバナ映画祭委員長)、マリオ・ピエドラ(ハバナ大学教授)、トマス・ピアード(映画監督)

製作:ISA(キューバ芸術高等学院)

*テーマ:キューバにおける映画の衰退と崩壊

 

本編

 

概要:

1958年末(革命が勝利する直前)のハバナには134軒の映画館があったが、そのうち現在まで残っているのは19館である。

 

マリオ先生の声(以下、M.P.):

映画館の消滅はキューバに限ったことではなく、世界的な傾向だ。技術的にも配給的にもシステムが変わったからだ。

 

パブロ・ラモス(P.R.):

革命前、映画館は、地域社会に存在する唯一の文化施設だった。

 

ニュース映像:

米国の配給会社(映像ではワーナー)に対する政府の介入を告げるアルフレド・ゲバラ(ICAIC初代長官)

 

ドキュメンタリー『はじめて映画を見た日』の映像

『はじめて映画を見た日』(1967年) | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 ※革命後すぐに創設されたICAIC(キューバ映画芸術産業庁)は、映画館など無い寒村に暮らす人々のために、移動映写班を組織し、映画の無料上映会を開く活動を行った。このドキュメンタリーは、初めてチャップリンの映画を見る人々の表情をみずみずしくとらえている。

 

声:その女の子は間違っている。私はバラコアで映画を見たことがある。

 

テロップの内容

1976年1月、映画館の運営がICAICの任から人民権力全国会議に移る。

ICAICは、指導的組織として、引き続きプログラミングと配給を受け持つ。

そこには明らかに取り組むべき急務があったに違いない。

 

フィデルの声

これらの知的・芸術的表現のなかには、人民の教育やイデオロギー形成に関して重要なものがある。

映画やテレビがそこに入ることは議論を待たない。

 

M.P.

1980年代始め、テレビが大幅に普及し始め、人びとは新たな娯楽を獲得した。

映画の後退はすでに随分と前から始まっていたが、観客数は2/5近く減少した。

我々(ICAIC)は、映画を芸術の一形態と見なしていたが、多くの人にとって映画は娯楽であり、芸術ではなかったからだ。

 

P.R.:革命初期、映画の脱植民地化に向けて多大な努力が払われた。

 

フィデル:

革命のなかにおいて、人民のために上映する映画を政府が規制したりコントロールをする権利があるか、議論され得るだろうか?

 

テロップ

映画が到来すると、スクリーンは米国式生活全般の際限のない宣伝の場と化した。

俳優および女優たちが身につけているもの、食べているもの、使っているもの全ての有効な広告になった。

映画のおかげで世界はアメリカナイズされ、統一される。

 

ある映画人の発言 このブログによると、1988年12月のハバナ映画祭におけるファン・カルロス・タビオ監督の発言)

映画とは、観客のなかで終結するための挑発である。

映画は現実ではない。現実を作るのは貴方たちなのだ。

 

トマス・ピアード

以前、映画に行くのは、レストランやカフェテリアに行くことも意味し、それは外出の楽しみだった。しかし映画にまつわるそのようなコンセプトは、今はもうない。

 

映画館で、映画上映ではなく、ライブ公演が行われている光景

 

M.P.

文化的施設、文化的サービスなど文化的システムは、ある種のニーズに解決をもたらすべきである。

もしそうしたニーズがないなら、意味はなくなる。

 

声:

169軒の映画館があった。セントロ・ハバナだけでも32館、ディエス・デ・オクトゥブレ地区には20館以上あった。

 

猿~チェ・ゲバラ(新しい人間への進化を象徴?)

テロップ:新しい人間のための新しい映画?

 

M.P.

60年代の映画観客数の多さが〈これぞキューバ映画の観客数〉と言えるほどリアルだったかどうか、あるいは、経済的・文化的・社会的状況から生じた一時的バブルに過ぎなかったのか、自問すべきだ。

 

できるだけ多くの人々に文化と映画を届けようとした社会政策ゆえに、映画館は利潤を生むことができなかった。

 

M.P.

映画を見に行くという習慣が無くなった。映画に行くのは、ある種の社会的活動だが、人々は映画館で非社会的態度をとっている。ただ映画館にいるだけで楽しんでもいない人々が、映画を見ようとする人々の時間を邪魔している。

 

フィデルの声:

我々は、人民のためにより良い物質的生活を望んできたように、精神面でもより良い生活を望んでいる。

 

M.P.

大きなスクリーン、ステレオ・サウンド、とりわけ他の人々に囲まれている。これは、文化的イベントだ。

我々の世代が体験した映画がまだ存在すべきかどうか、そのような映画をまだ人々が必要としたり、望んでいるのか、考える必要がある。

 

Marysolより

マリオ先生の話、特に70年代については、2012年の来日時の講演を通して知っているつもりでしたが、1976年に映画館の運営からICAICが外されたという話は初耳でした。灰色の5年(または10年)と呼ばれる70年代とICAICの関係が気になります。

 

本作は、わずか15分の尺で、60年代、70年代、80年代以降~とキューバ映画の隆盛から衰退が垣間見られるうえ、今後の映画の需要が問われています。

 

トリビアですが、ハバナ映画祭の紹介シーンに、昨年の“平和的反体制デモ”のリーダーとなったジュニオール・ガルシアが出ていて、目を見張りました。この10年、いや昨年1年で彼の立場は大きく変わりました。

11Jのデモ:ある若者グループ証言 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

追記:

投稿直後に〈岩波ホールが閉館する!〉というニュースを知りました。ショック!

これは日本においてどういう意味をもつのだろう?

残念です…