87歳を迎えたエドムンド・デスノエス | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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今日はエドムンド・デスノエスの87歳の誕生日。

ちょうど1か月前に久しぶりにメールのやりとりができ、健在であることが確認できました。

執筆活動はしていないようですが、元気でいるだけで嬉しい。

         

 

今日は、私が知る限り彼の最新のインタビュー記事(2016年6月)から部分的に紹介します。

Q=質問 D=デスノエス

 

Q:『低開発の記憶』のセルヒオとエドムンド・デスノエスとの接点は?
D: セルヒオは私だ。 

 

Q: なぜキューバを去ったのですか?
D: では、なぜ君はキューバに留まったのかね? 答えなくてもいい。質問に対して質問で答えることは逃避もしくは攻撃であることは私も分かっている。
だが、いつも同じ質問をされる。(その質問は)常に革命のプロセスへの拒絶を意味しているんだ。
いったいどうして自分の人生の一部を拒絶できようか?
革命初期の私の文学表現に対する貢献は実態を伴う明白な事実であり、「低開発の記憶」はその一部だ。革命の最初の20年間における濃密な冒険の夢と悪夢を表現するのに貢献したことについて、私はフィデルや政治指導者と同じくらい責任がある。
我々は新しい人間を創造しなかったし、過去がいかに執拗について回るか露わにした。

当初は理想主義的な試みだったが、その後ご都合主義やエゴイズム、指導権への盲目的な意志が支配し始めた。
私について言えば、キューバ共産党が国の実態(la carne)と夢において犯した誤りに比べれば、「低開発の記憶」における私の文学的誤りの方が少ないと思っている。

私が物理的にキューバを去ったのは、共産党が、経済についても文化についても傲慢なる無知のまま、私に対して書くべきこと、消費すべきもの、旅すべきところまでをも指図し始めたからだ。

 

Q: 文学と現実の関係について
D: (前略) 歳月を経て私は分かった。革命の現実とは幻想(夢)で(その夢が)私を巻き込み、私に信じさせたことを。神の存在を信じるように。
フィデルと私たちは何年かの間、夢と個人的体験との不均衡(不安定)を生きた。信じる喜びと共に我々が具現化したのは、常に不可能な現実だった。(中略) 体現された理想主義は、むき出しの権力欲に終わった。

              左の写真は記事とは関係ありません。「不可能と闘い勝利する」

 

だが、ボルヘスが示したように、敗北には、騒々しい勝利には値しない尊厳(品位・誇り)がある。

私は、嘘を生きたことが私の文学作品と今の私の意識の成熟を可能にしたことを認める。

成熟もまた不安定である。成熟がすべてだ、とシェイクスピアは言った。しかし、私の成熟は、どの表情にも虚無が潜むと確信すること。私はその虚無を行いや言葉で埋めたが、そこには新たな虚無が生じる。美とは常に過渡的なもの、はかないものだ。死よりほかに均衡(安定)はない。

 

Q: キューバをどう定義しますか?
D: キューバ(あるいはハバナ)は、私にとって濃密な幻想(夢)への入り口だ。