『11月のある日(原題:Un día de noviembre)』 1972年 | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

『(仮題)11月のある日(原題:Un día de noviembre)』1972年(公開は1978年)/35ミリ/110分
監督:ウンベルト・ソラス
脚本:ウンベルト・ソラス、ネルソン・ロドリゲス
撮影監督:パブロ・マルティネス
編集:ネルソン・ロドリゲス
音楽:レオ・ブローウェル
出演:ヒルド・トーレス(エステバン役)、エスリンダ・ヌニェス(ルシア)、ラケル・レブエルタ(エルサ)、
シルビア・プラナス(母ホセフィーナ)、アリシア・ブスタマンテ(アリシア)、オマール・バルデス(マリオ医師)、ビセンテ・レブエルタ(父)

ストーリー
主人公の青年エステバンは人生を革命に捧げてきたが、ある日医師から「脳動脈瘤」と診断される。
死を予感した彼は、現在と対話し過去を振り返る―
母、亡き父、国を出たがっている兄、気さくな叔母、公園で知り合った美女ルシア、反バティスタ闘争の同士アリシアやエルサ… 
彼は人生の意味を探す。新たな一歩を踏み出すために。

☆完成から公開までの空白の6年
当時のキューバ社会の矛盾と苦境を誠実に描こうとした本作は完成後、封切りにふさわしい時期ではないとの判断から公開を延期。6年後の1978年11月28日にようやく公開された。

★ソラス監督の告白:
この映画は私にとって最もパーソナルな作品だ。本作を撮ったとき幻滅感が漂っていたのは本当だ。
物事が進むべき方向に進んでいないように感じられた。それで寓意的な意味を込めて主人公を病人に設定、彼や周囲の人物が過去を振り返るようにした。これまでの道のりや各人の実存、社会的ふるまいの価値について再考させたのだ。
この映画は、シナリオと演出の面から見ると達成度は半分程度だ。しかし、もし特筆すべき長所があるとすれば、あの当時を覆っていた悲哀の証言になっていることだ。

Marysolから
10年ぶり!に本作を見直しました。当時は、キューバ映画とその背景についての知識はほぼゼロ。
でもブログを書きながら学習してきたおかげで、一段と“ペシミスティック”な印象が強まりました。
ソラス監督の告白がその理由を明かしています。
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『ルシア』(1968年)から『11月のある日』(1971年)までの暗雲が立ち込めていく歳月

1968年8月 ソ連のチェコ軍事侵攻事件とフィデルの苦渋の承認・・・主権の制限
参考記事:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10936720907.html

1970年 グラン・サフラ計画の失敗・・・経済破綻
参考記事(映画):http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-11640834094.html

1971年 パディージャ事件と第一回教育・文化会議(1971年4月)・・・表現の自由の制限
関連記事:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-11900386151.html
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こうしてキューバは「灰色の5年間(1971~76年)」と言われる時代に入っていきます・・・
エステバンの冷めた眼差しの奥には、これらの記憶がしまわれているのです。

Un día de noviembre (11月のある日)

un dia de noviembre

追記(2022年5月21日)
先日、ENDAC(キューバ映画ウェブ百科事典)での本作の紹介を読み、シノプシスと監督の発言を以下に追加します。

☆シノプシス ENDACより
致命的な病を患った主人公のエステバンは、革命家としての人生や人間関係を見直す。彼の心は、非合法活動時代の仲間との再会でも新たな恋愛でも満たされることはなかった。信頼と覚醒をもたらしてくれたのは、負傷した兵士との対話だった。

★ソラス監督の言葉
『11月のある日』では、袋小路を描いた。かねてから激高した感情や行動とは無縁の、抑制されていて内容の濃い、落ち着いた文学のような作品を撮りたかった。何気ないひと時に訪れた過去を振り返る物語を。

本作をリメークするとしたらどうしたいか?
1)新たな(もしくは全く異なる)キャスティング、
2)シナリオの自己検閲を排除
3)カラー撮影、青もしくは灰色がかったトーン…当時の作業着のようなコバルト色に。
4)視覚的コンセプトを変える

当時私は、革命にコミットした都市の中流階級の年代記 ―60年代末から70年代初めにかけての、すなわち一千万トンのサトウキビ収穫目標と第一回教育文化会議の前後のクロニカ― を撮りたかった。
本作が何年にも渡り検閲対象だったのは、当然のことだ。なぜなら芸術の世界では、倫理的およびイデオロギー的理由による合理化(racionalización)の時代に入っており、あらゆる分野で「社会主義リアリズム」の導入が告げられており、社会主義リアリズムへの不信がほぼ一般化しているICAICも例外ではなかった。

困難な時代が始まっていたところに、第一回教育文化会議と「合理化プロセス」と呼ばれる「社会主義リアリズム」なる基準の流布が、演技や舞台芸術などに課され、麻痺が起きた。雰囲気は絶望的だった。死に瀕した男の映画は、何年も差し止められた。後になって公開されたが、それも沈黙の中でだった。

本作の最初のタイトルは『Hojas(ページ)』だったが、マヌエル・オクタビオ・ゴメス監督の意見で『11月のある日』になった。この映画は、あの時代にとって誠実過ぎた
主人公エステバンの死は、私が常に惜しみ懐かしんだ世界の消滅と喪失に対するアレゴリー(寓意)だ。その世界とは、つまり、あの革命的ICAICの初めの時代であり、民族主義で解放的で、外国の干渉に束縛されず、自国に根を下ろした精神のことだ。
そこでこそ『低開発の記憶』や『ルシア』などが宿ったのであり、今も我が国の映画史のなかで最上の時代であり続けている。

Marysolより
2014年に投稿した頃は、60年代と70年代の変化の要因に関心があり、ソラス監督の個人的な失望感の要因について見落としていた点がありました。それは1971年の教育文化会議で決まった《同性愛者の公職追放》。ソラス監督は同性愛者でした。
名作『ルシア』(1968年)でキューバ映画の存在感を世界に知らしめた監督が《存在を否定された》ショックや失望感はいかばかりだったでしょう?
革命への失望の要因は、政治・社会的なものだけでなく、極めて個人的な=実存的なものもあったのです。
幸いICAICはそうした知識人やアーティストの《避難所》にもなりましたが…