今日10月2日は、エドムンド・デスノエスの84歳の誕生日。
「エドムンド・デスノエスって誰?」と思う方は、拙ブログの読者にはいないと思うのですが、念のために簡単に紹介しておくと、私がキューバ映画にハマったきっかけとなった『低開発の記憶』 と、その縁で先月札幌で本邦初上映された、脱官製キューバ映画(真の独立系作品) 『セルヒオの手記』 の原作者です。
ちなみに彼は『セルヒオの手記』の主人公同様、「誕生日を祝われるのが大嫌い」(!)
知ってはいるけど、私にとって、彼が今日まで生き延びてくれたことは本当にめでたい。
嫌がられても、祝わずにはいられません。
特に今年は…。
なぜなら、あのハバナの街かどでの“偶然(運命?)の出会い”から約10年-。
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10004221643.html
ウェブの片隅から発信し続け、ようやく『セルヒオの手記』まで日本に紹介できたからです。
また、同作品を9月に札幌で紹介するにあたり、9か月ぶりにメールによるコンタクトも復活。
写真は彼の近影です。(痩せましたね)
以下は、彼の最新のメール(私のメールへの返信/9月15日)。
君のミニ・エッセイは日本と、革命に揺り動かされ傷ついたキューバを関連付けることに成功している。
私は君がいつも自分の島と私の島を織り交ぜて論じることに新鮮な驚きを覚える。
体験に内在する多義的性格を見出す者は少ない。
キリスト教西欧の成功の弁証法的ルーツは「ハムレット」にあるのであって、「ドン・キホーテ」の不可能な夢ではない。
日本は戦後、産業と経済の重要性に気づいた。
革命のプロジェクトの失敗は経済が可能にする自由に背を向けたことにあるとキューバが気付くことを期待している。
創造的に考え続けるように。
デスノエス
Marysolよりもう一言:
イスラム国のニュースに接するたびに「懐疑の精神」の意義(必要)を説くデスノエスの言葉を思い出します。
まだまだ彼と対話していきたい。また来年も誕生日を祝えますように。