ネストール・アルメンドロス(5):「浜辺の人々」「フランスの太鼓」 | MARYSOL のキューバ映画修行

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きょうは3年前にこの記事を書いたときから、ずっと気になっていたN.アルメンドロスのドキュメンタリー作品のタイトルについて書きます。
併せて、彼がキューバにいた時代に撮った残りの2作品(1961年製作)を挙げておきます。

1960年まで(ICAIC時代)のフィルモグラフィーは、前述のこの記事で紹介した通り。
その後、アルメンドロスがICAICで製作できなくなる様子については、拙ブログのこの記事で紹介しました。

結局1961年に彼が製作したドキュメタリーは2本のみ。
考資料:ネストール・アルメンドロス著「キャメラを持った男」(筑摩書房

★ Gente en la playa 『浜辺の人々』(自主製作)
監督・撮影:アルメンドロス/16ミリ/白黒/12分/
ここ(キューバ出身で在フランスの女性作家ゾエ・バルデスのブログ)で見られます。

★ La tumba francesa『フランスの太鼓』(tumbaは墓ではない)
共同監督・共同撮影:アルメンドロス&オルランド・ヒメネス・レアル
16ミリ/白黒/8分/民族誌映画

*2019年9月21日動画アップ(この記事を書いた8年後にYouTubeにアップされていた映像を発見)


さて、イチバン書きたかったのは「La tumba francesa」のタイトル訳のこと
直訳すると、確かに「フランスの墓」(「キャメラを持った男」フィルモグラフィーより)ですが、このタイトルでは誤解を招きます。というのも、タイトルが表している内容は、キューバのオリエンテ地方の音楽だからです。

保存しておいたSALSA120%.VOL.113(2008年3月)の「キューバ最東端の町グアンタナモを訪ねて」
(執筆:二田綾子さん)
によると―
ハイチから伝わった素晴らしい融合音楽‐トゥンバ・フランセーサ
 太鼓と歌による舞踏音楽であるトゥンバ・フランセーサは、“フランスのドラム”を意味する。これは、オリエンテ地方にしか存在しないアフロキューバ音楽。(中略)
ハイチ革命を逃れてきた黒人が持ち込み、キューバで完成された音楽なのだが、この融合性が非常に面白い。3本の大きな太鼓と丸太をくり抜いて木の棒で叩くカタという楽器による演奏は非常にダイナミックでアフリカ的。カラダの芯まで迫ってくる複雑なリズムの嵐はルンバにも似ているが、太鼓の口径が大きい分、音が低いのでその振動がたまらなくゾクゾクする。(中略)披露されるダンスはフランスの社交舞踊を真似たもので、男女が組んで踊ったりと、シンプルで非常に大人しい動作なのだ。それにダンサーの衣装はフランス人に似せて作ったフリルがいっぱい付いたロング・ドレス。(以下、割愛しますが、補足として<トゥンバ・フランセーサが2003年、ユネスコによる「第2回 人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」に認定されたことが記されています。尚、同記事には写真も豊富に掲載されています。)


参考までにyoutubeで見つけた画像を紹介します。
(アルメンドロスたちのドキュメンタリーとは無関係)
 

*そう、辞書を見ると「tumba」という言葉には、「アフリカ起源の太鼓」という意味があるんですね。
私はオリエンテ地方の葬列のときに奏でる音楽を意味するのかと思っていました…

さて、ここでアルメンドロスとヒメネス・レアルが「La tumba francesa」を撮った背景をあるインタビュー記事を引用して紹介しましょう。

質問:「PM事件」のあと、多くの知識人が亡命しましたが、あなたとアルメンドロスは短編『La tumba francesa』を撮りましたね。『浜辺の人々』と合わせて、彼との共同作業について話してくれませんか?

オルランド・ヒメネス・レアル:
私たちは二人ともTVの2チャンネルで働いていた。ネストールは撮影部で、私は番組「ルネス」の撮影部長だった。映画への情熱が私たちを大親友にした。それでサンティアゴ・デ・キューバに行こうということになった。「ラ・トゥンバ・フランセサ」というエレガントで祭礼的な踊りを見るよう招待されたんだ。(中略)
ほとんど何の準備もなく、現地でリハーサルを1回した後、2台のカメラを使って一気に最後まで舞踏をフィルムに収めた。
 その頃、ネストールは『浜辺の人々』という短編を撮影中だった。私たちが『PM』を撮る前のことだ。週末に気の向くまま撮影していた。ある日曜日、撮影中のネストールを訪ねてビーチに行くと、まるで帽子を被ったり脱いだりするようにカメラを操作していた。突然の水しぶきにも構うことなく。その映像はとても詩的で、すごく美しかった。サバ(カブレラ)と私は、すでに大急ぎで『PM』を撮影済みで、そこには少しばかりネストールからインスピレーションを得ていたので、彼に見てもらいたくて堪らなくなった。編集した『PM』を見たネストールは、自分の作品も早く撮影を終えたくなり、私に編集を手伝うよう頼んだ。『浜辺の人々』のサウンドトラックの一部には『PM』の余りが使われている。