アレア監督の命日(4月16日) | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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先日閉会した第6回共産党大会は、50年前に起きた「ピッグス湾(プラヤ・ヒロン)侵攻事件」に合わせて開催されました。
侵攻事件そのものは1961年4月17日の早朝に始まり72時間以内で収束しましたが、それに先立つ15日にCIAの空軍機が、ハバナ、サン・アントニオ・デ・ロス・バニョス、シエンフエゴス、サンティアゴ・デ・クーバの各飛行場を空襲、民間人に犠牲者が出ました。そして翌16日の空爆犠牲者追悼演説で、フィデルは「キューバ革命が社会主義的性格を持つこと」を初めて公言したのでした。


「帝国主義者が我々を許せない理由は、我々が米国の鼻先で社会主義革命を行ったからである。(中略)この闘いは、貧困者の、貧困者による貧困者のための闘いであり、帝国主義とあらゆる形の搾取を破壊する社会革命との間の闘いである。そのために我々は命を捧げる用意がある。」
1961年の年表:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10727500194.html


今大会の開会日を4月16日にした背景には、この史実と根拠がありました。


一方、“キューバ映画”の立場から見ると、同16日はあのトマス・グティエレス・アレア監督 の命日。この偶然の一致に注意を喚起するブログのおかげで気が付きました。


そして、昨日―。ラウル・カストロ議長による今大会の報告文に目を通してみると、キューバの社会主義を完璧なものにするために、これまでの数々の過ちを改めなければならないという反省と提言が延々と訴えられていました。その中で指摘されていた問題点― 平等主義や配給制度の弊害、報道姿勢の見直し、勝利者意識の鼓舞、意識改革の必要性などは、もう何年も前から「映画」で指摘されてきたこと。私にとっては、改めてキューバにおける「映画」の役割、存在意義を確認する結果となりました。


ところで、この「社会批評」と映画の「エンターテインメント性」をキューバで誰よりも巧みに両立させた監督、それが故アレア監督でした。
そんなアレア監督の特徴を、キューバ映画研究者ファン・アントニオ・ガルシア・ボレロ氏は最近のブログでこのように語っています。
(若干意訳ですが)
「アレアは、この島に蔓延する過度の倦怠を打破するには、思考を深く掘り下げなければならない(単なる意見の積み重ねでは、諸々の問題の表面を引っかくことさえできない)ことを理解していた。彼の狙いは、直面している現実に潜む数々の矛盾に対し、観客が批判精神を旺盛にするよう、映画がその後押しすることだった」。


累積する問題に加え、なによりも意識改革を促す今大会の報告。
果たして“偶然の一致”は、アレア監督の再評価にも繋がっていくのでしょうか?


ちなみにアレア監督は、侵攻事件の際、報道特派員として現地を取材。
のちにドキュメンタリー作品となったのが、 『侵略者に死を』 です。

タイトルの「MUERTE AL INVASOR(侵略者に死を)」は、当時の標語だったのでしょうか?

     画像はJIRIBILLAより拝借。
  MARYSOL のキューバ映画修行-侵攻事件ポスター

            MARYSOL のキューバ映画修行-侵攻事件ポスター2