『低開発の記憶』を観て思うこと | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

キューバ、1962年
メモリアス 主人公のセルヒオは

ブルジョア出の道楽者
家族は米国へ亡命するが、

彼はそれを拒む
だが、現に自分の世界が崩壊し、イデオロギー的に軟弱なため
ミサイル危機のときにも

革命に加われない


上の文はICAIC DIGITALに掲載されていた映画のあらすじ
セルヒオの自壊は「イデオロギーのもろさゆえ」と解釈されている


アレア監督は、人々の意識が刷新されて
「一刻も早く映画が老いることを望む」と言った
けれど期待は裏切られ、映画は存在感を増している
悲しい歴史の逆説だ


アレアの眼に映った「低開発の刻印」とは何だったのか


キューバ革命は“良心の革命”だったという
良心の声に従い、エゴを克服し、革命と共にあろうとした人達を

私は心から尊敬する

けれど冷戦(米国)は、キューバを社会主義に追いやった
そのイデオロギーは、個人の主体性や考える(=問う)自由を圧迫した
革命から離脱する者が続出した


セルヒオは単なる弱虫の卑怯者だろうか
社会に無用な“nadie(=nobody)”なのか


「尊厳ある生」を望んで、なぜ「死」を迫られるのか
あまりにも残酷な逆説…