ミゲル・コユーラと『低開発の記憶―メモリアス―』 | MARYSOL のキューバ映画修行

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Miguel Coyula Aquino 『低開発の記憶―メモリアス―』の

続編『発展のメモリアス(手記)』を制作中のミゲル・コユーラ(MC)から、彼のインタビュー記事が掲載されているサイト(スペイン語)が送られてきたので紹介します。http://www.habanaelegante.com/Summer2007/Ecos.html
(中段よりやや下のほうに掲載)


きょうは上の記事をすべて翻訳することは出来ないので、『メモリアス』に関係する箇所だけかいつまんで載せます。
尚、彼が製作中の続編の”Teaser trailer”は:
http://www.youtube.com/watch?v=xF4UFTsj7lQ

質問:どういう経緯で未出版の小説を映画化することになったのか?
MC:(原作者の)デスノエスが脚本をくれたんだ。
本が出版されているかどうかは重要ではない。読んでみて、前作同様、主人公のメンタリティに共感した。そしてすぐに「これは映画化できる」と思った。
質問:デスノエスの小説を基にアレアが監督した前作『低開発の記憶』は、キューバ映画の中で君のお気に入りの作品だそうだが、確かその理由は“映画の表現がとても自由だから”と言ってたね?
MC:『低開発の記憶』はキューバ映画のなかで唯一、新鮮な話法をもった作品だ。あらゆる事に触れ、自由にテーマを行き来している。制約や定型にとらわれず、常に更なる探索の可能性を秘めているんだ。
質問:映画が作られて40年も経つのに、君や君の世代を惹きつける理由は何だい?
MC:主人公の内面性だね。セルヒオみたいな人間は、社会主義だろうが、資本主義だろうがどんな社会でも適応できないのさ。ドストエフスキーの『地下室の手記』カミュの『異邦人』により近い存在なんだ。常に自分を取り巻く世界に問いかけている人間なのさ。


注:ドストエフスキーの小説「地下室の手記」の原題は、スペイン語で“Memorias del subsuelo(メモリアス・デル・スブスエロ)”。 『低開発の記憶(メモリアス・デル・スブデサロジョ)』という題名のもとになっているくらい「自身の主観性や鋭敏な内面性の形成に影響した作品」と、デスノエスは語っています。
さらに“私はセルヒオであり、セルヒオでない”が、「両者に影響を与えた本があるとすれば、カミュの「異邦人」である」とも言っています。
http://www.habanaelegante.com/Summer2003/Verbosa.html


ところで昨日、久しぶりにデスノエス氏からメールが届きました。
氏には、私が新聞や雑誌で目にした日本での映画評(『低開発の記憶―メモリアス―』)をスペイン語にして送ったのですが、それについてこんな感想が届きました。
「映画評は焦点がずれている。まるで別の作品について語っているかのようだ。政治的な偏見があるせいか、私が誠実に語った話とはまるで関係がないように思える」


ムム…どうやらご不満のようですね。
でも、そもそも原作と映画が「同じだけど違う(写真で言えばネガとポジみたいに)」と私は思っています。
いずれにせよ、マリオ先生と達した(目下の)結論は『メモリアス』は「観客の数だけ解釈が生まれる作品」「観客だけでなく、場所や時によっても見方が変わる映画(その意味で、キューバでも当時と今では違っている)」。


最後にマリオ先生がよく引用するArnold Hauserの言葉で締めましょう。
「偉大な芸術作品の特徴とは、説明することが不可能で、論争を巻き起こすものなのだ」。