『Reina y Rey(レイナとレイ)』 | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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『Reina y Rey(レイナとレイ)』 1994年)100分 キューバ・メキシコ・スペイン

Reina y Rey
監督:フリオ・ガルシア・エスピノサ
撮影:アンヘル・アルデレーテ
編集:グロリア・アルゲージェス
音楽:パブロ・ミラネス


あらすじ
初老の未亡人レイナは、愛犬レイと留守宅を守りながら暮らしている。
かつてレイナはそこの家政婦だったが、雇い主一家はマイアミへ移住してしまった。 それから20年―
キューバは今、ソ連・東欧の崩壊により、経済的にも精神的にも“どん底”。
人間の食べ物さえ入手困難な状態で、ペットが飼える余裕はない。
隣人たちはレイナに対し、犬を保護施設に預けるなり、空き部屋を貸して収入を得るよう勧めるのだが、レイナは頑として受けつけない。
だが、ある日遂にレイナは犬の保護施設を見に行く。
そこで犬が殺される(それさえもガス不足で不可能になるが…)と知ったレイナは、あわててレイを連れ帰る。
ところが、まもなくレイが姿を消してしまう。
悲痛な思いを抱え、寂しく暮らすレイナのもとに、突然、元の雇い主夫婦が来訪する。
夫婦はマイアミの自宅で彼女が再び家政婦として働いてくれるよう、打診しに来たのだった。


Marysolより
前回の記事で 「60年代後半キューバ映画はネオレアリズモと決別する」と書きましたが、エスピノサ監督はこの『レイナとレイ』を“ネオレアリズモの父”チェーザレ・ザバッティーニの思い出に捧げています。
それゆえ内容的にもイタリアン・ネオレアリズモの秀作『ウンベルトD』をなぞり、孤独な老人と犬の交流を中心に、残酷で無慈悲な現実にあっても矜持を失わない姿を、まるで“敗戦直後のように荒廃した”ハバナを舞台に描いています。
更にそれだけでなく、「移民」や「祖国」という現在のキューバ特有のテーマにも、真正面から取り組んでいます。


映画の前半部は台詞も少なく、ところどころ映像詩のような趣きがあり、美しいテーマ曲「ジョランダ」とあいまって、とても印象的。
主役の老女レイナは品があるし、犬のレイも頬ずりしたいほど可愛い!
二人(?)の姿を見ているだけで、ほのぼのした気持ちに…
ところが、展開はシビア。

逼迫した経済は、街並みも、人の心も、家族の形態をも蝕んでいくからです。
でも、私はこの映画が好き。
辛い現実のなかでも真実の光が覗いているからでしょうか。


辛口の批評家は「この作品には新しさが何もない」と手厳しいですが、私は、映画を貫く穏やかで人間味のある眼差しに惹かれます。


それにしてもエスピノサ監督はなぜ“ネオレアリズモ”に回帰したのでしょう?
監督の言葉(1999年の発言)に耳を傾けてみましょう。
「今日、冷戦は終わった。その代わり、今あるのは“冷たい平和”だ。

ネオレアリズモが、再びドアを叩いている。

ザバッティーニが、再び我々に挨拶を送っている。
彼が声を大にして訴えていたことは何だろうか?
彼の魂は何を見つめていたのだろうか?
彼の手は何と結ばれていただろうか?
上辺だけの美に惑わされてはならない。
今の世界では美と真が異常なほど分かたれている。

真実を無視することによって、美が獲得されている。
美の源泉が真実であるようにすること。それが早急に求められている」


この映画、ぜひ『ウンベルトD』と併せてご覧下さい。