まさかハバナに居るとは予想だにしなかったデスノエス氏ですが、ではナゼいたのでしょう?
それは、どうやら映画祭の催しの一環であるセミナーや講演会に出席するよう招待されたから、みたいです。
デスノエス氏は、「アメリカ合衆国におけるラティーノス:言語と文化」というテーマのセミナー(ホテル・ナシオナルのサロンにて開催)で、メイン・パネラーとして基調講演をしましたが、そのほかのパネラー諸氏も、それぞれ自分の専門や経験をもとに自由に意見を述べ、氏とは異なる見解を披露したり、開放的な雰囲気のなかで行われました。
(デスノエス氏は灯りの下。右手前は“重鎮”アルフレド・ゲバラ映画祭ディレクター)
翌日にはシネ・チャプリンで『いやし難い記憶』が特別上映されました。
(ハバナの映画館でこの映画を観られるなんて、感激!)
上映後は、向かいの施設でデスノエス氏の講演会があり、(狭い場所でしたが)盛況でした。
デスノエス氏が壇上から「文学は種をまく作業のようなものだ。どこに落ちて実を結ぶかわからない。現にここに日本人の・・・」と言うものだから、皆の目が一斉に私に注がれたのですが、向けられた視線はどれも優しく微笑んでいたので、ホッとして、私も思わず笑い返してしまいました。
実はその日の朝、ホテル・ナシオナルにマリオ先生とデスノエスを訪ね、ロビーで1時間ほどお話をうかがっていました。
ですから氏の講演は、朝の会話と重なるところもありましたが、いずれにせよ、強調していたのは「作品は曖昧であるがゆえに価値があること」、そして「常に疑問を呈することの大切さ」です。「キューバ人は、とかく“ドン・キホーテ”のように、疑問をもつより前に行動に走るが、もっと“ハムレット”のように疑問をもち、内省するべきだ」と訴えていました。
その後、1965年版(写真左:マリオ先生所蔵)以来、キューバでは初めて出る“改訂版(右側:2003年に刊行)”の『いやし難い記憶(原題の直訳は映画・小説ともに『後進性の記憶』)』の販売とサイン会が行われました。
注:日本語訳されている“小説の版”は、後にキューバ外で出版された“改定版”で、映画化を経て数ヶ所、加筆されています。また2003年版では、セルヒオが書いた(?)短編3作と、デスノエス氏による「新しい人たちに贈るエピローグ(Epilogo para la gente nueva)が付いています。
この日は映画上映・講演会ともに、アレア監督の未亡人で女優のミルタ・イバラさんも出席していたので、「アレア監督を尊敬しています」と言って、彼女のサインもいただきました。とても気さくな素敵な方でした。