マチェテの戦い(仮題)/ La primera carga al machete (1969) | MARYSOL のキューバ映画修行

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  La primera carga al machete (仮題:マチェテの戦い)


                       ハバナ大学教授 マリオ・ピエドラ氏 寄稿

 

1968年、キューバの映画人に向けて、“対スペイン独立戦争”開始百年を記念して、映画を作ろうという呼びかけがなされた。
それより遡ること一世紀、東部で地主の一団が自分たちの奴隷を解放し、自由と独立を求めて、スペイン統治に反旗をひるがえした。こうして始まった第一次独立戦争は、10年の長きに渡って続いたあげく、失敗に終わる。その後1895年に始まる第二次独立戦争は、1898年アメリカ合衆国によって終止符が打たれ、独立戦争は不完全なかたちで終結した。

 

 マヌエル・オクタビオ・ゴメス監督は、第一次独立戦争勃発直後に起きた出来事に光を当てることにした。その出来事とは、スペイン軍に向かって、“マチェテ”という労働のための道具をもって襲いかかった最初の攻撃のことで、これは単に戦いの面だけでなく、キューバ人の精神面にも大きな意味をもつ。

当時も今も、キューバの田舎では、マチェテは労働に欠かせない道具だ。マチェテは、サーベルのような形をしていて、刃渡り50センチ以上、幅広で非常に鋭利な刃をしている。そして農民の手、あるいは当時の奴隷の手にかかれば、恐るべき武器に様変わりするのだ。

 

 とはいえ、武器に恵まれ、訓練も行き届いているスペイン軍に対し、マチェテだけを頼みに襲いかかるとは、絶望的行為である。途方もない、覚悟のいる行為である一方、ある状況にきっぱりと終止符を打とうとする気持ちの表れでもある。そしてこれこそ、キューバ人のメンタリティ特有の行為なのだ。つまりマヌエル・オクタビオ・ゴメス監督は、“La primera carga al machete”で、単に戦いを讃えただけでなく、キューバ人特有の精神性、いかに考え、行動するかについて探求している。

 

 この映画が製作されて36年経つが、作品は今も驚きに満ちている。まるで百年前に現場で撮影したドキュメンタリーフィルムの様相を呈しつつ、実際には当時の最新の映画技法を駆使しているからだ。具体的にいうと、“1868年制作ドキュメンタリー”に見えるよう、映像にはコントラストを際立たせ、わざと“キズ”を随所に盛り込み、まるで19世紀の古いフィルムのように仕立てる。ところが、そんな“古い”フィルムでありながら、インタビュー形式、直接録音、手持ちカメラの非常にインパクトある使用などが取り入れてられている。商業的なフィクション映画にありがちな、遠くに固定されたカメラとは異なり、この作品では、カメラ自体が積極的な参加者となっている。

 

  こうした撮影手法、すなわち、移動、“ぶれ”、アクションへの侵入というやり方は、60年代のキューバ映画に頻繁に用いられた。それによって、観客に揺さぶりをかけ、アクションに巻き込み、結果的に観客自身が、観ている内容に対して自分なりの態度をとるよう意図している。この映画の撮影監督、ホルヘ・エレラは、“手持ちカメラ”の扱いに関して、真の名手だったが、観客をあっと言わせるようなシーンを撮ろうとして、自らの命を危険に曝しかねなかった。

 

 この映画のもう一つ興味深い点は、ベネチア映画祭で賞をとったほどの作品でありながら、筋立てはかなり破綻していることだ。一つの事実を直線的に語るのではなく、様々な見方を提供している。その中で、有名な現代のトロバドール、パブロ・ミラネスが歌で語るとき、それは“外部から一連の出来事に連続性を与える”という役割を演じている。

 

 “La primera carga al machete”は、今日でも、キューバ人のナショナル・アイデンティティを知るのに欠かせない、貴重な映画である。