世の中には、弱い者いじめや、パワハラなどが多々存在しているだろう。
これらの経験のない人というのは、これらを行う側の者の性質を持つ者か、人に無関心な者か、あるいは幸運な縁を持った者であろうか。
人として生きる上では、人から攻撃されることを避けては通れない。
人は人を褒めるために生きることもあれば、人をけなすために生きることもある。
けなすことには、批判することの意味も含まれるが、それ以上に、自分よりも低い者をつくって、自分の良さを顕在化させることの意味の方が強そうだ。
面白半分にけなすということもある。
けなすということは、人の性質の一部だ。
だから誰にでも人をけなす精神は備わっている。
しかし、実際に行動してしまうところに幼稚さがあると言える。
誰にも幼稚さは残るだろうが、その度合いは異なる。
幼稚さがあるからより成熟できる可能性があると言えるが、幼稚さというものは思ったよりも根が深く、そう簡単には衝動を抑えられないようだ。
人は、人のそういった性質を認めて行かざるを得ない。
幼稚さを持っているから、人のより深い慈悲を感じるようになる。
人をけなすことも、人にけなされることも持って生まれた縁であると思わずにはいられない。
縁であると思えば、けなされることによって悲しくなることも、怒りを覚えることも大したことではない。
人以上仏未満の仏子となれるか。
不条理さを諦めたところに温かさがある。

































