しばらく何も書いていなかった。


何かに振り返ることがなければ・・・、何かを想像することもなければ、一日は何もなかったのと同じように終わる。


目にしたものを目にしたままに受け取り、何も考えることなく、何もなかったかのように一日は終わる。


ただ生きているというだけの事実があるのみである。


周りを見てみると、随分と恵まれていることに気づくこともある。


何かできることはないかと思ってみるも、人はただそれぞれの業に従って生きるに留まる。


業は変えられないものであろうか。


人それぞれに、恵まれていると感じることが大切なようだ。


決して他人と比較することもできない。


しかし、恵まれていると感じるのは他人と自分を比べたときのようだ。


そこのところが矛盾している。


眠~いゾーンに入ってしまったようだ。


ボケーッと体を休めるぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅ



雨続きのお盆休みが終わり、また普段の生活に雨


休みの前半は旅行などで気分上々、後半は葬式などでバテバテとなった。


前半の旅行は、家族で行くのは久々の北陸(福井、石川)へ車


リーフ移動及び東横イン宿泊の節約旅行だ。


行き先は、永平寺、恐竜博物館、越前大仏、千里浜海水浴、プラネタリウム、兼六園、水晶浜海水浴、三方五湖と言ったところだ。


永平寺

思っていた以上に広くて驚いた。静かないいお寺だ。


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越前大仏

ほとんど客はいない。大仏様の大きさに感激。


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千里浜海水浴場

波が高くて砂浜を車で走ることができず残念。だが、海水浴は粒子が細かい砂浜で、スリル満点の高波に乗り、最高だったアップ


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兼六園

夏に行くのと冬に行くのとではかなり景色が違う。冬に行ったときに写真を撮ってもらった場所がわからず。

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三方五湖

あいにくの曇り空であまり遠くまでは見れず。


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水晶浜海水浴場

台風が来ていたせいか、木片などのゴミが多い。人が多い、トイレが汚い。千里浜に軍配あり。


総合すると、いい旅行だったかな合格

人は、人らしさを追求しようとすると、人の定めに呑み込まれる。


人らしく活動しようとすることが、人の表面だけを捉え、あるいは人を除外することにもなる。


そのことに気づいていないから人として生きられる。


何処かの誰かの話になると無責任に発言できるが、自分のこととなるとほとんど発言できない。


自分のことも自分のことでないかのように発言する。


人は人らしさを誤解している。


見えるものだけに人らしさを感じようとするから見えてこない。


見えるものは自分で選択したものであり、選択したものにのみ興味を持とうとする。


人は、選択しないものは人らしさに関わりないものだと思う。


選択するものは幅が狭いから、実際には見えていないことの方が遥かに多い。


見えているものは氷山の一角か富士山雪の結晶流れ星

時間が過ぎるのが早いというのはよく言う話だが、時間を感じようとしていないから早いと言えるのだろう。


その時間が自分にとってどのような時間か。


何気無く過ぎると思う時間、早く終わって欲しいと思う時間、長く続いて欲しいと思う時間。


いろんな時間があるはずだが、今を感じなければあったのかなかったのかわからなくなってしまう。


自分の内側から見ていられる時間がどれくらいあるか。


自分の外側へ外側へ時間を合わせるから、自分の内側の時間がわからない。


時間が進むのが早いというのは単なる建前の話で、実際には誰にも長く持てる時間があるはずだ。


今を感じる時にそのままの時間の流れを知る。


人が本音と思っていることは実は本音でないことが多い。


本音で居られれば実は時間はもっと長いと感じられるのだろう。


人は早く終わって欲しいと思う時間を自分で作っている。


馬砂時計うり坊砂時計ヒツジ砂時計ぶーぶー砂時計ペンギン砂時計とかげ砂時計かたつむりあせる

人の想いには崇高なものから邪悪なものまで様々なものがある。


人は自分が考えるように発言し行動する。


自分に不快でなければ、他人が不快に思うかなど考えずに発言し行動することも多い。


人は事柄に左右されるのではなく、事柄を発する人に左右される。


誰から発せられたかを気にする。


人は、口だけ達者で自ら行動しようとしない者に腹を立てる。


口だけ達者な者は少なくない。


頭で理解することを優先するか、心で捉えることを優先するか、どちらが人に良い影響を与えるか。


口だけで行動しない者は、いつも頭で理解しようとする。


頭で知ったかぶりをし、他人に不快を与えることがある。


不快を感じさせることが一般的であるような社会がある。


頭で理解することに根ざしている社会だ。


鈍感であれば、頭で理解することが最上であるかのように感じる。


事柄に注目するから鈍感になり、頭で理解しようとする。


しかし実際には、人は事柄には注目しておらず、事柄を発する人に注目している。


だから頭で理解することは単に見せかけのことに過ぎない。


心で捉えることを優先すれば、見せかけ以上のものにはなる。


星空キラキラ星空星空宇宙人ロケット星空星空キラキラ星空

土曜日は、ナガシマスパーランドのプールと、恒例のなばなの里から見る桑名水郷花火大会へ。


7月のプールは相当空いているようで、正解だった合格


これがお盆近くになると、ものすごい人になるのだろう。


なばなの里へ行く目的は、恒例にしているビール園の地ビールとスペアリブ、そして花火打ち上げ花火


他のお肉などを注文すると、食べきれない量になる爆弾


一応の穴場は、露天風呂から見る高い位置に上がる花火だ。


ほとんど人がいない。

風呂に浸かりながらの花火は格別だクラッカー


ただし、仕掛け花火などが見れないドクロ


いい一日だった。


梅雨が明けると本当に暑い晴れ汗


これが如何にも名古屋周辺の夏といった感じだ。


星空星空打ち上げ花火星空やや欠け月星空星空打ち上げ花火星空星空流れ星

最近、仕事が少なくていつも定時帰りしていたから、ちょっと忙しくなると体がついてくるかどうか。


少し忙しくなると、どこかで少し無理をしないといけない。


かなり平和な日々を送って、体も若干怠けているようにも思えるが、慣れてしまってなんとも幸せな、あっという間に過ぎる日々だ。


何も変われない、時間の経過を気にする焦りの気持ちが薄れて、変わらないことを美徳とする落ち着いた気持ちが濃くなる。


無理をして働くことはしんどい。


無理をせず、与えられるままに働けたならばそれでいい。


休日の楽しみを思い描いて、ニヤッとする、静かな変な人だ。


休日の楽しみであったり、リタイヤ後の楽しみを思い描くのは楽しい。


仕事が負担となることもない。


必要とされるままに仕事ができる程度が、最も幸せであると想像できる。


病に負けることもなく、衣食住に困ることもなく、いられること。


それが本当の幸せであろうか。てんとうむしクローバーてんとうむしクローバーてんとうむしクローバー


バカになれるから楽しく、上手くいくのではないか。


バカになっているから、不要な境界線が取り除かれるのではないか。


バカになっているから素直になれるのではないか。


しかし、子供がバカになっているのと、大人がバカになっているのとでは、根本的な違いがあるようだ。


子供と共にあるバカは慈愛に満ちている。


濁った感情は無いようだ。


一方、大人だけのバカは慈愛を踏みにじるようにも見える。


濁った感情からバカになるようだ。


大人は楽しくなるためにバカになるのだとしても、その楽しさは作り上げた楽しさである。


本当の楽しさではない。


大人は作り上げた楽しさに如何にも慣れている。


そのままの楽しさがあることを知らない。


少し無理をしなければバカにもなれず、また楽しさにもなれない。


楽しさは無理をすることなど望んでいないはずだ。


無理のあるところには濁った感情がつきまとう。


純粋なバカは楽しさであり、慈愛を伴う。


うり坊DASH!うり坊DASH!うり坊DASH!ぶーぶーあせる馬音譜

愛する心も慈悲の心も、ただ外に出すためにあるだけではない。


これらの心は静寂と共にあるから、内に秘めたものであると思う方が自然だ。


つまらない自分、醜い自分、愛されることもなければ愛することもない自分。


そんな自分であっても愛着を感じることは多いだろう。


世の中、真実の愛や慈悲はほとんど見えることがない。


見えるもののほとんどは、姿を変えた愛や慈悲である。


自分を守ってくれるものは何か。


この守ってくれるものと言っているのは、愛や慈悲そのものを示しているようだ。


愛や慈悲には条件はなく、また愛や慈悲は人を選ばない。


人を選ぶ尺度を持っていない。


だから人は愛や慈悲と常に共にある。


人は神や仏を愛や慈悲を感じる対象にしたいと願う。


守られていると感じるために。


リラックスして心地良い自分。


それが愛や慈悲と共にあるということではないか。


宇宙人王冠2ナム宇宙人王冠2ナム宇宙人王冠2ナムベルベルベルベル音譜音譜音譜チチチチーン

人は心地良い場所、心地良い感覚を探して歩く。


それらは外部の何処かにあるはずだと思っている。


しかし実際にはそれらは外部にあるのではなく内部にある。


外部に出かけて内部にある場所や感覚を知る。


そのために外部に出かけることを必要とする。


心地良いと思う場所や感覚は想像に頼って初めて存在する。


内部の良さを知ろうと思うには、外部の良さや悪さを知ることが必要だ。


人はほとんどのことを比較することによってしか認識できない。


この認識は極めて相対的なものだ。


絶対的な幸せは得られにくいが、相対的な幸せは得られやすい。


絶対的な幸せは聖域や天界にあるとすれば、相対的な幸せは日常や地上界にある。


どちらも必要なことだ黄色い花黄色い花黄色い花ヒマワリ黄色い花黄色い花黄色い花天使オバケ