誰でも人には気にすることがある。


生き方の選択によって選択しなかったものは、苦手なものとなり、気にすることにもなる。


欠点を気にするということがあれば、欠点は利点の裏返しである。


しょうもない自分の生き方を肯定することも否定することもできない。


ただ人の弱さを感じるから、仏にすがる心は切っても切れないものとなる。


仏道を行く者にとってみれば、弱さが真実に近づくことであり、弱さが癒しでもある。


我々は生かされているとともに逃れられない宿命にも生きている。


時の経過をじっと待ち、与えられた人生を続ける。


我々は人生から何かを教わるために生きているのだろうか。


それとも、人生とは何かを教えるために生きているのだろうか。


あるいは、ただあるがままに生きているのだろうか。


我々の弱さは自我を他と区別して欠点を見つけるところにある。


しかし、それは本来の弱さではない。


欠点を嘆くことではなく、生きていることの弱さを感じられることが癒しとなる。


くもりもみじくもりヒヨコくもりもみじくもり
去年拾った1年前のどんぐりを持って奈良公園へ

最初の鹿はなぜか食べてくれなかったが、後から鹿が群がり、逃走しながら必死のエサ撒きだ走る人汗馬おうし座馬おうし座馬おうし座馬おうし座馬おうし座DASH!

古くても食べてくれてよかった~

東大寺、金剛力士像

運慶、快慶さま~!!

{65D0F59E-C051-48F3-9992-63B56F25F2B8:01}

{870CBBD3-7C28-4A97-BED3-A97D661A85F6:01}

{E3D27715-B150-42E5-AA4A-89B7313882E4:01}

{7277BC6E-D9E1-4A6F-93A1-53CA1D850D25:01}
日曜はいつもの奈良公園へ行った後で、唐招提寺へ車

鑑真和上の御廟前の庭の苔がすごく良かった合格

それに池の緑色はどうやって出しているか不思議ひらめき電球

味わい深いお寺だ王冠2

仏像ガチャで観音さまをゲット!?


{723B11BC-4220-41F6-8EE5-FF3B8E95B717:01}

{357F81FA-9B51-4268-9221-FEF8FD6BEA8F:01}

{DC25388A-6465-4189-9EB0-CBC03A8BB791:01}

{D97CBC41-B9E3-44C4-AF0A-14ACF16CDCCB:01}

{BDA15A50-2604-4550-9C6B-A4E2E8F3572D:01}

{99CEA799-5F5A-4C3D-8169-151B4C74CAEF:01}

{B0273C9B-3C51-40E4-BDDB-D28DB1E2180D:01}
先週の木、金は、有給を貰って、高野山の同行会に参加。

お寺の清掃奉仕をするという名目で、無料で食事付きの一泊ができ、勤行や写経もできる。

写経は初めてであり、真言宗の勤行ももちろん人生初だ!

般若心経を初めて唱えた。

浄土真宗では般若心経を唱えることがないからだ。

本当にいい経験になる。

去年高野山を訪れた時に行けなかった奥の院にも行けた。

平日だけあって、人が少なく、一人で奥の院を参拝すると、静寂を感じて、ここが聖地であることを実感できた。

同行会では金剛峰寺の夜間参拝もでき、有意義であった。


金剛峯寺夜間参拝

{E213005E-72D9-4F5D-A693-BEE755FA26B3:01}

{18A8CBB1-1619-4962-944B-4D1C7CD26F96:01}

{909A1926-427B-4AA5-A644-75288ECD2399:01}

奥の院参拝

{E4A89DC0-7B35-4A24-AFB8-345EAC273C54:01}

{2F031589-B6DF-4DCD-9F89-A969C48DB7CB:01}

再建中の中門

{19C1AF61-985C-4E4E-B4E4-301A920A0BED:01}

{725B42B3-5873-46D3-9DBB-E19FA353DA74:01}

車での帰りに立ち寄る不動明王さま

{ADBF460C-C2FA-43AC-8CD2-5FEF51C2B030:01}







人生を逆算すると、残された時間がいかに短いかに気づく。


20代、30代の時には、まだこれからがあると漠然と思っているが、40代になると、終わりへのカウントダウンが始まったかのようである。


10年、20年の経過はあっという間ではないかと思えるのだ。


子供が無事に成長してくれることを願い、働くことは子供に代を繋げるためのことだと思うようになる。


先読みをしようとするから、日は余計に短いように思われるのだろう。


先が自ずと見えてしまうのが40代である。


また、先が見えると同時に、過去のままで生き続けるのも40代であるかもしれない。


新しいことがなければ、人の想像は自ずと過去に遡る。


夢に過去の自分が出てくるのは、西洋的に見るとあまり健康とは言えないようだ。


だが、現在に新しいことがなく、決まったことをやり続けようとすることは、現在と過去が無意識の中では同じ土俵に存在することを促す。


不健康であるか健康であるかの差は、自我に執着するかしないかの差とも言えるかもしれない。


自我に執着して考えれば不健康と言えるが、自我を超えて考えれば不健康とも言えない。


人はほとんどの場合、当てはめや、決めつけをしたいと思うものだ。


それは自我に執着するからだろう。


自我を超えてしまえば、当てはめや決めつけは意味のないものとなる。


この身はもはや自分のものでもなく、仏に生かされているか、または自然に存在する物体であるかの差となる。


人が気にしていることは多い。


それは必然的に生じてくることなのか、自我によって生じさせていることなのか、区別することは難しい。


気にすることの内容がその人を最もよく表し、その人を形成する。


生きている感覚も、生かされている感覚も、これまた不思議である。


雨晴れ虹台風波カエル流れ星お月様

楽しみである行事と、義務である仕事とが同じ時期に重なって来た。


平日に有給を取ることにすると、なぜかその時の仕事量が増えるということはよくあることだ。


自分の時間を作って楽しみを持つから、仕事が多少きつくなっても耐えられるというものだろう。


仕事には嫌な気持ちは付き物である。


嫌な気持ちを持つことがなければ、精神の安定を図るための感受性を働かせることもなくなる。


人は嫌な気持ちになることはいつでも避けたいと思っている。


萎縮することなく、怒ることなく、悲しむことのない平和な日々であることを望む。


確かにそういった平和な時間が楽しみであり、人生の目標でもある。


しかし平和な日々は、人の感受性や意識を広げるきっかけにはならない。


平和な日々は、自我を弱め、執着をなくした状態に訪れる。


平和であれば、恐れるものが少なくなり、楽しみだけを想像できるようになる。


平和であれば、いいことだけがあるように思えるが、それだけでもない。


人は自らの成長のために、嫌な気持ちになることも必要である。


楽しみに振れて、辛さにも振れるから、自我や執着と格闘することになる。


とは言うものの、最終的な到着地点が無に帰ることであれば、平和であることが一番だ。


偽りのない、無限の彼方へ帰って行くには、平和であって穏やかな心がいいことは言うまでもないことだ。


ヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリハチ

眠るように穏やかに一日が終わる。


仕事をする理想的な状態は大きなストレスを感じないことであるから、眠るように仕事が終わるのはよいことだ。


だが心の中で、早く終わらせるように煽る気持ちを持っていることも必要だ。


目標は高く設けて、しかし目標に拘らずに進めばよい。


まだやり切れていないという感情を持たなければ、怠ける方向に行ってしまう。


穏やかにいることと怠けることとは違う。


穏やかにいれば効率は高まる。


仕事をする目的は報酬を得ることに違いない。


それ以上のものを仕事に捧げるのも良いが、ほとんどの仕事は労働をお金に変えることにすぎない。


そんな小さな目的のために人生の大半を捧げている。


自分が生きて行くという小さな目的がすべてのように思える。


だから生きる本当の目的に気づくことは何よりも大事なことだ。


これを忘れると多くのことは行き詰まる。


自分を振り出しに戻して見られること。


それが生きる目的に近づく一つの手段だ。


雨くもり雨かたつむりキラキラ雨くもり雨

久々に晴れた休日は近くの公園へ。晴れ


大分涼しくなって、風が心地よい。


8月はブログの更新が少ない月だった。


書いても書かなくても差があるわけではないが、書かないだけの日であれば、浅く生きて深い感情に触れることもない。


深い感情は、視界を近視眼的な状態から遠方に持って行った時に感じる解放感のようなものだ。


周囲に向ける目と言ってもいい。


そんな深さをすっかりなくしてしまって生きることはできる。


それは好きなことだけに目を向けようとする本心からかもしれない。


深さを感じることは精神にとっては必要だ。


だが生きるために必要であるとは言えない。


生きる意味には二つの意味がありそうだ。


現実世界での豊かさを求める意味と、現実の奥にある世界での豊かさを求める意味とである。


深さは、現実の奥にある世界での豊かさを感じさせるためにある。


少しだけでも深さを感じるようにしていられるだろうか。



{50BB238C-D938-4971-855E-C59A95FEB27F:01}

先の日程のことをふと考えると、1ヶ月、2ヶ月はたちまち終わり、今年の年末が見えてしまう。爆弾


過去に生きながら、未来に飛んで、今という時間があまり感じられない。UFOドクロロケット


最近、曇りか雨で、太陽の顔を見ることが少ないので、やはり頭は寝た状態に近いかもしれない。雨雨雨ぐぅぐぅ


人を含めた生物は太陽を中心に動いているので、その太陽が見えない現状は、方向性を失いつつある。晴れ


この8月は不思議なくらい、よく雨が降る。雨


今を生きている感覚が少ないように、気分も曇りがちだ。くもり


自然に、瞬間的に終わって行く日々をどう食い止めることができようか。いて座


実は過去は今であり、今は未来であるかもしれない。


頭の意識にとってみれば、過去も未来も今と違うことはない。


眠ったときに見る夢の中では、過去と今は完全に溶け合っている。


老けることによって時間の経過を嘆くものだが、過去も未来も今にあると思えば、楽しみのみを今に持ってきてもよい。


時が経ってしまう悲しみの未来を思うよりも、時が今にある楽しみの過去や未来を思う方がいい。


全ては自分の中心に向けた感情で満たされる。


しかし自分の中心には太陽がなくてはならない。晴れ


その太陽の顔が見れないことは、生物にとっては辛いことである。てんとうむし汗


生きる目的は最終的には、仏教で言われるようなとてもファンタスティックで、あり得ないような浄土であるべきだろう。


生きて行く上で獲得していく愛、友情、財産、名誉、地位、プライドなどは所詮は相対的なものであり、いつ消えて無くなってもおかしくない架空のものだ。


人は生きる目的を目に見える架空のものに設定する。


そうでなければ生きて行くことができないからだ。


この物質として存在する自分を励まし、勇気付けて生きて行く。


しかしある時点でそれらは架空のものであると気づく。


もちろん物質的な目に見えることだけに価値観をおいて全うすれば、それらは架空であることに気づくこともないが。


人は悲しみを恐れ、楽しみを指標に生きたいと願う。


その楽しみの果てにあるものは何か。


楽しみは、目に見える物質的な優位性のみに本当にあるのか。


最終的な楽しみは、目に見えない未知のものにあるのではないか。


そんな予感がしたら、浄土を求める小さな機運に恵まれたと思っても悪くない。


生きた浄土を目指そうとする気づきである。


生きた浄土でなくして一体何が最終的な楽しみと言えようかはてなマークはてなマーク!?


わんわんメラメラわんわん音譜わんわん汗わんわんドンッわんわんあせる