ブログに訪問して下さり、ありがとうございます。









今日は、亀龍寺の周辺トレッキングの記事となります。

お寺のカフェの横から、この橋が見えます。
ここからが本格的なトレッキングコースです。

少し歩くと、今は全部緑色いろですが、植物園に出ます。

春にはこうして花が咲いています。(写真は以前撮影したものを使用しています)
こちらはすべてこの土地固有の植物です。

そしてトレッキングコースの最後にある、세렴폭포 (セリョンの滝)に向かいます。

こんな感じてずっと歩きます。
森林浴にはとても最適なコースです。

ここが、セリョンの滝です。

足だけ失礼します。
こうして涼みながら、アーシングをしました。
とってもとっても気持ち良かったです。

アーシングしながら撮影しました。
ここの岩は、けっこう苔むしているので、足元には十分注意してください。
ゆっくり休んで英気を養って、この日は帰りました。
これ以降の道は、登山道になります。
この日は入山禁止になっていました。

さて、原州八景で、常に最初に挙げられる亀龍寺の様子を簡単な歴史をふまえて、3本の記事でお伝えしました。
ここからは、わたしの亀龍寺での思い出です。
韓国に来てから、義母と同居をしていましたが、とても関係が難しく、来たことを後悔しない日がないのではなく、後悔しない時間がなかったぐらい、自分の選択を悔いていました。
ある朝、もう家にいることが出来ず、子どもたちを小学校に送ったあと、速攻でこのお寺に来たことがあります。
その日は初雪が降っていました。
来てみたものの、参拝者も観光客もほとんどいなかったこの日、
初めて信者でもなかっのに、大雄殿に入りました。
韓国仏教の儀礼など何も知りません。
一心にテレビで見た仏教式の敬礼と黙祷とを、入った大雄殿の中で繰り返していました。
時間の許す限りそうしていました。
凍える空気の中、体幹は暖かいのですが、手足は敬礼しても冷たくなっていくのがわかりました。
途中何度か、お給餌されてる女性が出入りしました。
それでも4時間以上この日は居座っていたのですね。
午後になり、そのお給餌の女性は、
どこの誰とも知らない、おそらくは信者でもないのに、何時間も居座っているわたしを見て、何かを感じたのでしょう。
そっとそっと、わたしの後ろの電気ストーブにスイッチを入れてから、出ていかれました。
その女性が大雄殿の階段を降りたころ、
中ではボロボロの大粒の涙を座布団に落としながら、
声を押し殺して泣いているわたしの姿がありました。
わたしを心からひとりの人間として認め、わたしの自由意志と責任に介入することなく、その人の許された範囲内でされたこの女性の好意は、
難しかった韓国生活のあらゆる瞬間に思い出され、
その後のわたしを常に支えてくれました。
精神的にひどく病んで、治療が辛かったときも、何度も思い出しました。
今でもこちらに伺うと、あの面識もないお給餌さんの、女性を思い浮かべます。
義母が他界したあと、このことにだけお礼が申し上げたくて、
わざわざ亀龍寺を訪れたこともあります。
異国での生活が辛すぎて、実はわたしの記憶はかなり欠落しています。
でも異国に来て生活したことで、人としての真髄は何なのか、ということも、体験しました。
一寸先の見えないこの時代を生きながら、悩んだり苦しんだり、泣いたり、笑ったり、これからもしていきますし、
虚構の中で生きていくことは、本当に大変なのですが、
人として生まれて、人として育まなければならないものから、逃げたすことはしたくない、
亀龍寺の信者でもないわたしが、
亀龍寺に来るたび、思うことです。
韓国仏教についてはこちらから、https://ameblo.jp/rin8288/entry-12608800376.html
みなさま、素敵な週末をお過ごし下さい。





