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今回の記事は、前回の続編となりますので、まだお読みでない方は下のリンクからお入り下さい。https://ameblo.jp/rin8288/entry-12609658640.html
さて、前回は亀龍寺の境内の一部をご紹介して終わりました。

こちらは境内の保護されている銀杏の木です。
とても大きいので、全体を収めるのに一苦労します。


樹齢200年を明らかに超えています。

こうして、亀さんも祀られています。

こちらは地蔵殿です。
地蔵菩薩を祀っています。
地蔵菩薩は、サンスクリット語ではクシティガルバと言います。
クシティは大地、ガルバは大地や子宮を意味しています。
このことから日本では、地蔵菩薩は子どもの守り神になっていったのですね。
余談ですが、現在は普通に“子供”と書きますが、
戦前は子どもと書いていました。
子供と書くようになったのは戦後だそうです。(なんで供え物なんですかね。理由がわかると爆裂に腹立ちました。)
その他にも、気という漢字ですが、戦前は氣と書きました。
戦前は、米という八方に広がるエネルギーを表していたのに、
戦後は、〆と書いて、エネルギーを〆る表記にしています。
これは、ほんのほんの一例です。
戦後、日本人はどのようにアイデンティティを抹殺されてしまったのか、少しご理解いただきたくて、寄り道してしまいました。

こちらは三聖閣です。
こちらに山神、七星、独星を祀っています。
この概念は韓国仏教特有のものなので、わたしが理解している範囲で解説させていただきます。
山神は、字の通り山をお護り下さっている神霊を祀っています。
七星とは、星が人間の吉凶禍福を支配している道教の教えに由来しています。
ちなみに、子どもが本来持っている才能の開花を見込んだ将来をお祈りする時は、この七星にお願いしているようです。
独星というのは、おそらく韓国人以外は本当のところは理解出来ないんじゃないかと思っています。(おそらく韓国人でも理解してる人は少数だと思っていますが)
というのも、他の国にはこの概念がないからです。
絵画で独神を見ると、一人で修行する姿が描かれていることから、一つは信仰の中心は他者に依るもの出ないことを表しているように感じます。(これは個人的な見解です。)
もう一つ興味深かったのは、まだ起きていない未来のことを仏教的に表しているように感じました。
それは、独神のことを“末法の世の重生の福田”、という形で解説されてる資料を見たからです。
福田というのは、この記事の冒頭、有形文化財に指定された普光樓という建物の前に位置する、仏像の下の部分にも書かれています。
田という漢字は、サンスクリット語のガルバ(大地、子宮という意味)を意訳した結果の“田”、ではないかと言うのがわたしの推察です。
末法というのは、この概念が形成された当時から見たら、未来に起こることです。
重生と、転生とは違います。(日本語では、この重生に当たることばがないので、意訳すると転生になったり新生になったり生まれ変わるということばになることが多い。)
転生というのは、別の体をまとって生まれ変わることを指しているのに対して、重生は同じ体のまま生まれ変わることを意味しています。
様々な業によって転生を繰り返してきた魂が、末法の世になると、生きたまま生まれ変われるという概念で、
通常の世では叶わなかった、意識や魂の急激な次元上昇のことを独星として表しているように思います。
もう少し言うと、もう転生する必要がない、という次元上昇なので、重生なのではないか、と感じました。
独星に関しては、昨今の状況を見ながら感じたわたしの見解が大部分ですので、興味のある方は各自掘り下げてくださることをお願いします。
で、ここから少し独り言です。
韓国仏教のこのような概念に触れながら、じゃ日本の八百万の神と何が違うんだ!と混乱しました。
結局は自然を神として祀っているじゃないかって。
で、今のところのわたしの見解ですが、
これは“神”というものの定義が違うために起こってる現象なのではないでしょうか。
日本人は自然界の様々な造形物を、唯一無二の存在の根源(神)の属性を持って生み出されたものなので、神と呼んでいますよね。(人間のから生み出されたものは人間、という道理と同じ)
唯一無二の存在の根源のみが神と呼ばれ、それ以外は神とは呼ばない、という定義から見たら、日本の八百長の神はおかしいという、この違いのように感じます。
韓国はキリスト教徒が多いので、この神という概念を西洋の一神教の定義で使っていることもあるかと思えば、
伝統的なことを表す時は、普通に(おそらくは)日本人の解釈に近い意味で神と使ったりしているんじゃないかなぁと思います。
普通の会話でわざわざ、単語の定義を掘り下げたりしないですしね。
ことばの定義は国によってかなり違いがあります。
改革、と言うと日本人はそう悪くは感じませんが、
ロシア人は改革されるたびに悪化したという歴史から、このことばそう好意的に受け止めません。
男女平等、ということばも、男尊女卑で女性の権利が抑圧されて来た日本では肯定的に受け止められますが、
文化大革命の時代に、男女平等という合言葉で、男女に同じ労働を強いた中国では、このことばを聞くと、また性差の違いを無視した労働が始まるのか、と受け取るようです。(中国にも男尊女卑の思想はあったし、纏足なんて恐ろしいものもが存在したにもかかわらず、です。)
本で読んだ知識なのでどこまで本当なのわかりませんが、韓国在住の中国人のお嫁さんの話に依ると、これは本当なんだな、と感じました。

こちらは、お寺の境内からさらにトレッキングコースを進んだところにあります。
九龍沼(クリョンソ)と呼ばれていることから、以前は伝説の九匹の龍のお住いだったのではないでしょうか。

さらにトレッキングコースを上がると、このような布石があります。
どの時代かはわかりませんが、お寺の建造物の布石であったのではないか、と説明文に書いてありました。

亀龍寺は、お寺はもちろんのこと、お寺から続くトレッキングコース、そして비로봉(ピロ㌿標高1288m)と言われる雉岳山の頂上への登山道もあります。
この日はトレッキングコースの最終目的地の滝まで行ったので、その様子も記事にしたいと思います。
次回は、写真を眺めて癒やされて下さいね。
