なんですか〜?このタイトル、と思いますよね。

私も記念すべき100本目の記事のタイトルが、こうなるとは夢にも思っていませんでした。
5月15日に発売されるまっさんのセルフカバーアルバムのタイトルなのです。
まっさんがセルフカバーアルバムを制作するのは、1999年の
“続·帰郷”
以来なんと20年ぶりのことです。
①望郷編
②まほろば編
このアルバムはまっさんが今の声で歌いたい、と思ってる歌を中心にどうやら構成されているようです。
望郷編はまっさんの故郷、長崎の浦上天主堂にて、ロケ撮影されています。
地元のコーラス隊との精霊流しは、過去に何度も聞いた精霊流しとは思えませんでした。
そしてまほろば編は、日本の故郷である奈良に思いを寄せ、
東大寺二月堂で、“修二会”
大仏殿で、“償い”
春日大社で “生生流転”
飛火野で “まほろば”
を、ロケ撮影しています。
そして個人的にとても感慨深かったのが、奈良での映像プランの制作をされたのが、【奈良、時の雫】で有名な保山耕一さんなのです。
私が、保山耕一さんの映像に衝撃を受けたのはつい最近だったのですが、その時に、この映像にまっさんの歌が流れたらどんな相乗効果が生まれるだろうか、と思いました。
このお二人のコラボが実現したら素晴らしいのに、と思っていた矢先、2月にすでに撮影されていた事を知りました。
お二人を結び合わせたのは、春日大社の先の権宮司でいらした岡本彰夫先生。
ご存知のように保山さんは体調のこともあり、映像プランを提出しただけで直接撮影に携わる予定ではなかったそうです。
ところが、まっさんが直接
「保山さんは遠慮しないで保山さんの自由に撮影して欲しい。私の望みは保山さんが撮りたいように撮ることです。」
そして最後に
「私は保山さんのカメラで撮って欲しいのです。」
こう言われた保山さん、体調のこともあり相当悩まれたようですが、映像作家としての自分を求めているまっさんの要望に応えました。
そして保山さんは、
「撮影するのは私のカメラ一台にして下さい。私の撮影の為だけに一曲歌って頂けますか?」
まっさんはもちろんOKしました。
こうして、歌手さだまさしと映像作家保山耕一、二人の極めに極めた世界が融合し、撮影は2月2日、午前12時をまわって終了したそうです。
♫あぁ、当り前に生きたい、ささやかでいいから♫
そう、まっさんが歌ったのは生生流転でした。
保山さんのFBには、この日のことがとても詳細に書かれていました。
この仕事が出来たのはアーティストの奈良に対する深い思いがあったこと、
最後の最後までプロのテレビカメラマンとしての誇りを失わず最前線で仕事ができたこと、
自分がカメラを持って直接撮影に望み、そこにいたのはアーティストと自分と神のみだったという境地で取り組んでいたこと、
そして、生存率5%と言う中では生かされた理由は、この夜の撮影のためだったと感じたこと、
などがそこに記されていました。
保山さんの映像は自然界の一期一会を切り取るかのように、どの部分にも主役があり、まるで奇跡を見るような美しさがそこに存在します。
そういう映像を撮影、編集する人間としての保山さんの心象の中に、癌との闘病はおそらく切って切れるものではないと個人的には思っていますし、闘病と言う過程が無ければ、生れて来る映像が違っていたとしても何の不思議もありません。
保山さんの凄さは、闘病と言う過酷なことでさえも、映像の中に昇華してしまっている、生粋の映像作家だ、と感じるところにあります。
保山さんのFBの記事で一番印象に残ったのは、
「撮影にはあえて最新のカメラを使わなかった。
旧式のカメラのiso(光を捉える敏感度のこと)をかなりあげている。
そうすると映像が荒くなる。
感度が悪いので暗い部分は闇として表現出来る。
暗い、荒い、ピンぼけ、それらも立派な表現の手段なのだ。」
という部分でした。
心の奥の奥の奥まで、染み入るような言葉でした。
暗い、荒い、ピンぼけ、それらは一見、表現する手段としてはマイナス要素に捕えられるかも知れません。
しかし、それらは場合によっては、とても有効な表現の手段になり得ると言うことが、私にとって本当に救いだったのです。
暗くても、荒くても、ピンぼけでもいいんだ、それをどの場面でどう使えば優れた表現になるのかを知って行けばいいことなんだ、と。

人は皆、自分自身の人生のクリエイターです。
単純に善い悪いではなく、自身に備わってるものをどう鍛錬し、どう活用して、何を表現するのか(したいのか)、改めて考える機会を持てました。
これが私にとっての
『新自分風土記』の原点になりそうです。
今までの100本もの記事を読んで下さったたくさんの方に心から感謝しています。
そして、これからもどうぞよろしくお願いします。
保山耕一さんの記事はこちらから。
まっさんの記事はこちらから。