中学卒業後、高校時代から約10年を過ごした奈良。

 いろいろ内的な葛藤を整理出来ないまま、始まってしまった高校生活。

 1,2年の時は准看の学校に通って資格を取り、3,4年の時は病院勤務をしながら通った高校。

 夜間勤務も月に5,6回はあったし、心臓疾患の病棟の特性上よく急変する患者さんが多かった。

 夜間勤務が終わる直前に、亡くなった患者さんの処置もした。

 そして、その遺体を遺族に引き渡すのだ。

 二十歳にも満たない小生意気な高校生のする仕事としては、あまりにも過酷な内容が多かった。

 なので、私にとって奈良という地は、懐かしいけど思い出したくない、アイロニーな過去と同居している場所なのだ。

 幼い頃を思い出すことが増えて、

 そして、この暗黒時代とも言える高校生の頃、そこに生きていた奈良という地を、最近はかなり冷静に見れるようになってきていた。

 ある日、奈良の桜の様子が知りたくてYOU TUBEを検索した。

 その動画を再生しながら、私は声も上げられなかった。

 何本か見ていった。

 そう、どの作品も声を上げることも出来ないほど、何かがある。

 そして、


 この動画を見た時は、あまりの衝撃で我を忘れた。

 満月を背景に揺れる木々。

 "奈良 時の雫"

 映像作家、保山耕一。

 いったいどんな人なのか?

 調べないではいられなくなった。

 私は映像のことはよくわからない。

 しかし、自然の情景を映像として収め、YOU TUBEに投稿してる人の中で、フォロワーになってまでも見たいと思う方の動画は、いろいろな意味でかなりの域に達している方だと思っている。

 なので、そういう方以外の動画はなんとなくは見てもフォロワーにはなっていない。

 そんな私が、映像作家、保山耕一の作品に感じた衝撃とは何なのだろうか。


 奈良県在住。

 癌と戦う映像作家。

 奈良には365の季節がある。
 
 「やり残したことがないよう、感謝の気持ちを込め、素晴らしい奈良の四季を伝えたい。」

 フリーカメラマンとして
"THE 世界遺産" "情熱大陸"と言った人気番組の制作に携わっていた保山さん。

 平成25年に余命2ヶ月と言う直腸がんの宣告を受けた。

 手術後も治療は継続され、人気番組の仕事は放棄を余儀なくされた。(2018年5月31日、産経ニュースより)

 この経歴を読んだ時、ある種の衝撃とやはりそうだったのか、と言う思いが同時に浮かんだ。

 どれだけ地を生爪で掻きむしりながら、悔恨の思いに苦しんだことだろうか。

 どんな言葉を用いても、その苦しみは表現する術がない。

 どんな言葉を用いても、その絶対的な孤独の慰めはあり得ない。

 その悔恨と哀絶の中で、どのような時間を過ごされたのだろうか。

 想像をしてみることは出来ても、その入り口にさえ立つことの出来ない心象の世界。

 映像作家、保山耕一の映像は、その中から生みだされる作品なのだ。


 書くことが好きでそのことでしか自己表現が出来なかった少女が、全く書けなくなったあの時。

 そして、30年以上の歳月のあとにまた書くことと向かい合って、

 母国語ではない韓国語での文章の再開。

 それが今の私。

 だから、私は自己表現の為に文章を書いているのだろう。

 ライティング講座に出てはみても、書くことを仕事にする気にさえならないのは、ここに一番大きな理由があるのだと思う。

 その、自己主張の塊が、保山耕一さんの映像にだけは、

 この映像の深淵さを何らかの文章で表現できれば、どんなに幸せだろう、そう思っていた。

 この自己主張の塊が、こんなことを感じるのか?

 これもまた、あり得ない衝撃だった。

 

 今日も私が私であることを許される時間になると、

 "奈良 時の雫"

そのうちの一つを選んで再生する。

 静寂の中に存在する絶対的な圧倒感。

 壊れかかった心の細胞に、どこからともなく染み入る慈悲の営み。

 巡りゆく季節の中に生きる、大自然の一期一会を映像と言う形で残そうとして自らを生きる作家の魂を垣間見る為に、

 今日も私は、

"奈良 時の雫"

 を再生している。