今年の初めに、NLPのインストラクターで、セミナー協会の代表の方が、「56歳になるのに、まだ上手になれない。」とおっしゃっていた。
まだまだ人生を上手に生きれていない、ということだろう。
その方は、何人もの専任講師を抱えるセミナー協会を経営して、ご自身も講師のほか、ビジネスコンサルタントとして大口の顧客を相手にしている。
社会的に成功している方といってよいだろう。
でも、まだまだ上手に生きれていない、という想いが伝わってきた。

上手に生きようなんて無理ですよ。
と、私は心の中で呟く。
みんな、この人生を初めて経験しているんです。
みんな人生の初心者なんです。

私の周りは、官僚や法曹など、いわゆるエリートだらけである。
それでも、上手に生きている、と思う方は皆無だ。
みんな、それぞれ悩みを抱えて、失敗を繰り返し、それでも頑張って生きている。
自分を庇い過ぎて、変な転び方して複雑骨折して、1カ月以上車椅子の生活になっている、というような人ばかり。

みんな「自分を生きる」ということに慣れていないのだ。
何年、何十年生きても、慣れることがないのだ。
だって、「自分の今」を生きることは、時々刻々、新しい、初めてのことだもの。
前に同じようなことがあった、と思っても、全く同じということはない。

1日1日が「初めまして」の人生。
不器用で、手探りで、みんな一生懸命生きている。
そういうものだと思うしかないのだ。

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何かの考えなり、想いなりに縛られて苦しい時、「手放しましょう。」とは、よく言われること。

それで、
「手放しましたー!」
っていう人。

「手放しましたー!」と言っているうちは、手放せていないんじゃないか。

そもそも、「手放した」状態というのがあるという勘違い。

「手放す」とは

無になる、とか、空になる、のように

何かになる、ということではなく。


手放す、という行為、のように

なんらかの行為をする、ということでもなく。


「手放すぞ、手放すぞ!」と思っているうちは、手放せていない、それはそうなんだ。


「手放す」とは、行為でもなく、状態でもなく、

「手放す」という

ただ、そのような意志があるということ。


そのような意志を持とうとすると、また、苦しくなるぞ。


そんなことを思った。

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2017年を振り返ると、スピリチュアルを追いかける1年だったと、我ながら少し驚く。

 
昨年2016年は、潜在意識について探究しようと、ヒプノセラピー、マインドマップ、フォトリーディング、キネシオロジー、そしてNLPと、セミナー三昧だった。
未だに分からないことが多い。
というより、何が分からないのかが分からないので、何かを見つける度に「自分はこんなことが分かっていなかったんだな」と思うのである。
 
今年は、その手のセミナーはNLPだけにして、タロットや占星術を学び始めた。
と同時に潜在意識の探究の延長線として、スピリチュアルの情報にアクセスし出した。
 
さすがにスピリチュアル系のセミナーには手を出さなかった。
スピリチュアルというのが、あまりにも幅広く、怪しいものも多いため、それに何万も何十万もかける気にならなかった。
 
スピリチュアルセミナー開催者には、「地についたスピリチュアル」を強調する方がいる。
そういう方に限って、上から目線だったりして、「スピリチュアル?お金儲け?自分が偉いと思いたいだけ?」というのを感じてしまう。
(あなたのような)世渡り上手になりたいわけじゃないんですけど?
(実際には、そのようなセミナーに出ている人って世渡りが上手くなくて、っていう人が多いかも。そういう意味では、ニーズがあるし、役に立っていることもあると思う。私は必要ないけど。)
 
スピリチュアルにのめり込みすぎて、現実離れしてしまうことをおそれる人もいる。
「地についた」はそんなことから出てくる。
スピリチュアルでなくても地に足ついてない人、いっぱいいる。
ほどほどにね。
 
前から気になっていたチャクラやレイキも、それなりにあり得る、と思う。
前世療法も、私としては前世があるともないともいえないが、「療法」としては、十分にあり、だと感じている。
 
「アミ 小さな宇宙人」は三部作を全部読んだし、「アナスタシア」は第2作まで読んだ。
正直、両方とも、あまりピンと来なかった。
「アナスタシア」は第2作で、もういいやって思った。
それでも、スピリチュアルには何かある、と思っている。
アナスタシアを読まずとも、神社に行くたびに、杉の木にはなんらかのスピリチュアルな力があるかも、とも思う。
杉に限らず、自然には、癒しの効果がある。
 
「気」とか「波動」とか、理屈ではなく感じるものがある。
いい「気」悪い「気」とか、「波動が高い」とか「波動が低い」とか、それで他人を見下げたりするのは、意味が分からないが、自分の身を守るために、そのような「気」や「波動」を感じることは大切だと思う。
それも潜在意識の働きだ、といえるかもしれないが。
 
日本と海外(あるいは東洋と西洋)での「スピリチュアル 」の感じ方に違いがあるようだ。(アメリカでは「ニューエイジ」というらしい。)
現代では、いろいろ混じってしまっているが、日本人特有の感性がある。
最近私は、真言密教や神道に興味、古事記も勉強中。
実生活には何の役にも立ちそうにないが、それでいい。
地に足つかないもいいじゃないか。
 
2018年、風の吹く方へ行く。