前回の記事の続編になる。

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私の優位感覚

 

前回、体感覚優位のアーティストとして玉置浩二、聴覚優位のアーティストとしてさだまさしを紹介した。

では、視覚優位のアーティストは?

というと、私はユーミン(荒井由実、松任谷由実)を挙げたい。

玉置浩二、さだまさしに比べると、それほど極端に1つの感覚が際立っているとは思わないが、ユーミンの場合、その豊かな色彩感覚が歌詞に現れていると思う。

『晩夏』という荒井由実時代の曲が、私は好きだ。

歌詞の中には、視覚、体感覚のそれぞれを刺激する言葉が、実に見事に散りばめられており、聴覚は少ない。

それが静かに暮れていく夏の終わりの夕暮れを美しく表現している。

狙って作ったのでないとしたら、表現者の天性のものだろう。

 

というわけで、NLPの優位表象システムについて、私なりに当てはめてみたものを記してみた。

しかし、繰り返すが、これは人を型にはめて見るためのものではない。

型にはめることで安心したい、という気持ちは誰にでもあるかもしれないし、悪いことだと決め付けるのもどうかと思う。

それであっても、私は人を型にはめて見ることはしたくない。

自分の優位感覚を知ることで、その優位感覚を磨くも良し、別の感覚を磨いてみるも良し。

自分を知ることで可能性を広げていければいいと思う。

NLPには、優位表象システムという概念がある。

人の五感には、視覚(Visual)、聴覚(Auditory)、体感覚(Kinesthetic)、嗅覚(Olfactory)、味覚(Gustatory)があるが、NLPでは、それぞれの頭文字をとってV・A・K・O・Gと呼んでいる。

Kの体感覚については、O・Gも含めて呼ぶことが多く、一般的に視覚・聴覚・体感覚(V・A・K)の3つで表現することが多い。

人によって、V・A・Kのいずれかを優位に用いている。

視覚優位、聴覚優位、体感覚優位の人がそれぞれいるということだ。

どの感覚が優れているとか、劣っているかということではなく、周りの世界とのコミュニケーションにおいて、特にどの感覚を主に用いているかということである。

道を訊かれたとき、地図を書いてヴィジュアル的に教える人は視覚優位、「この道をまっすぐ行って、2番目の信号のところで左に曲がって...」と、言葉で説明する人は聴覚優位、んーと下を向いて間をおいてから、指を指して「あっちの方」と言うのが体感覚優位(私です)の人ということだろうか。

そういうわけで、体感覚の人(私です)は、テキトーな人と思われがちで、反応が早く説明上手な視覚優位の人や、雪崩れのように言葉が出てくる聴覚優位の人に比べて、頭悪そう、トロい、などの印象を持たれがちである。

しかし、優位感覚と頭の良さは全く関係ない。

私の場合、体感覚に加えて、聴覚も結構使っているが(主に仕事で)、視覚は必要最小限しか使っていないようだ。

見ているようで見ていない。

目に映るものにあまり注意を払っておらず、風景が流れている感じ。(・・・という感じ、と表現するのも体感覚優位の人の特徴。)

子供の頃から仲良くなる人は、大抵同じ体感覚優位の人だった、と振り返って思う。

非言語で分かり合える感じが心地よい。

最近、安全地帯の昔の曲をよく聴いているのだが、ボーカル玉置浩二は、かなり体感覚の強い人だろう。

アップテンポの曲もバラードも、全身の全ての毛孔に神経を巡らせるように、全力で感じながら歌う彼の曲を聴くのがとても心地よい。

歌詞とか別にどうでもいい。(作詞の人ごめんなさい。

対照的なのが、さだまさし。

言葉の一つ一つを丁寧に紡ぎ出すように歌う彼は、かなり聴覚優位の人だ。

もちろん作詞もしている。

曲のメロディやリズムなどは単調に思えて、私は彼の曲が心地よいとは思えない。(私はあまり歌詞は聴いていない。頭に入ってこない。)

聴いていて、小言を言われているようで、そこまで言わんでいいだろう、うるさいよって感じになるが、そこが好きだという方もたくさんいらっしゃる。(小言を言う人は大概聴覚優位というのが私の印象。言うとスッキリするらしい。)

人を型にはめるのではなく、コミュニケーションに、そのような癖があることを理解しておくと、無駄にイライラしないで済む。

その人の人格を大切にして、「この人聴覚優位だからうるさいから嫌い」とならないようにしたい。

どの感覚優位の人にも、その良さがあるので、自分を知って、うまく活かして生きていくのがよい。

 

本日は、高橋一生、長澤まさみ主演の『嘘を愛する女』を観た。
ネタバレになるので、ストーリーはあまり触れないが、自分が思ったことを少々。

主演の二人や脇を固める役者の方々、とても良くて、人間ドラマとして楽しめたし、ラストの方では、思わず、うるっとしてしまった。

しかし、自分に置き換えて考えると、私は、他人の過去をほじくり返すことはしないだろうと思う。
相手が本当は何者だろうが、どんな過去があろうが、目の前のその人の今を受け入れるだけ。
その人が、私を愛そうが、憎もうが、それもあまり関係ないし、愛されている証を求める必要もない。
求めてもいいが、得られないからといって、嘆いたり、責めたりしない。

ただ、信じるだけでいい。
大丈夫だということを。

でも、それだと人間ドラマにはなりにくい。
生きている以上、いろんなドラマがあってよい。
嘆いたり、責めたりも、生きているからこそ。
自分で選べるということを覚えておこう。


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