最近、二、三十年以上前の過去にご縁があった方にお会いしたり、ご連絡をいただくことが多い。

 
そういうタイミングなのか?
とも思うのだが、私自身は、まだそんな準備が出来ているとは思えないので、なぜ今?と考える。
 
とりわけ驚いたのは、今の職場に入る前に、1年だけ配属されていた職場で一緒だった人から、お手紙をいただいたことだ。
 
その職場にいたのは、27年前たった1年だけで、ご一緒した方々とも疎遠になって久しい。
 
私の経歴の中から事実上抹消されているような1年。
 
手紙をくれた人は、当然私の自宅の住所は知らないので、今の職場宛に封書で送られてきた。
 
今の職場のホームページの幹部名簿欄に私の名も掲載されており、それを見たようだ。
 
ご本人や当時一緒の職場にいた方々の消息なども書いてあり、それらの方々は当時私の先輩だったが、今や、それらの方々よりはるか上の役職に就いてしまったのだなぁ、と複雑な気持ちになる。
 
手紙には、お会いしたい、よかったら連絡ください、という旨も書かれていたが、正直、気が進まない。
 
当時、その職場の仕事がどうしても合わず、ここは私の居場所ではない、と感じていた。
 
そのあと、劇的かつ急激に物事が動き、今の職場に移ることができ、なにより幸運だったと感じている。
 
もちろん、その職場で学んだことや職場の方々からいただいた恩情は忘れがたいものではあるが。
 
もう一つ気になるのは、いただいたお手紙の文面に漂う幼さだった。
 
27年経っているのに、この幼さはないだろう、と思ってしまった。
 
私は傲慢なのか?
 
 
それとは別の話になるが、高校時代の友人から頻繁に飲み会のお誘いが来る。
 
子育てが一段落して、自分の時間ができたときに、これまでの子供中心の人間関係より、自分の子供時代の友人の方が楽しいようだ。
 
私自身は、懐かしいとは思うけど、高校時代の友人とそんなに頻繁に会いたいと思わない。
 
誰にも言えない辛いことが多かった、私の子供時代。
 
楽しいこともあるにはあったが、やはり辛くて思い出したくないことの方が多い。
 
私を呼ばないで!
と思ってしまう。
 
この二十数年は、大変なこともあったが、楽しく実りの多い時期だっただけに、それ以前の私は、今の私とは違う私だと思いたいのだ。
 
よく頑張った、よく耐えた私だったけど、
その頑張った私、耐えた私が、私を傷つけてきた。
 
こんな思いがあると、自分の内にまだ癒えてない部分があることを認めざるを得ない。
 
過去の私とは無理のない距離感で付き合っていこうと思う。
この世界は、私、と、私にあらざるもの、と、で成っている。
私にあらざるものから、あるとき、なにかのきっかけで、私は生まれた。
私、と、私にあらざるもの、との間に境界はあるのか?
薄ぼんやりとした靄のような混沌とした、この世界の中で、私は私であるのか?
私は、私にあらざるものを見つめ、私にあらざるものの中に、私を見つける。
セラピストの方がよくおっしゃる「感情を感じきる」ということ。

本当に感じきることができたならば、これは相当な癒しになる。

私自身の経験からそのように思う。

ただ、どの感覚を優位に使っているかによって、「感情を感じきる」が比較的容易にできる人と困難な人がいるようだ。

優位感覚についての記事はこちら。

私の優位感覚

 

私の知る限りセラピストの方は、体感覚優位の人が多い。

体感覚優位ということは、セラピストとして適性が高いといえると思う。

体感覚優位だからセラピストになったという方もいるだろうし、それほど体感覚優位というわけではなかったが、セラピストをしているうちに、体感覚が磨かれた人もいるだろう。

そんなセラピストさんたちは、いとも簡単に「感情を感じきりましょう」と言ってくれちゃっているが、これ、なかなか難しい。

体感覚優位の人は、感情を強く体感覚で感じる。

体でまるごと感じるので、そのときは辛い。

しかし、癒されるのも、この体感覚の人は早い。

「感情を感じきる」ことを阻むのは思考である。

「ああ、私、今悲しい。涙が出てくる。悲しみを感じているんだ!」
と言って悲しみを感じているつもりになっている人が多いと思うが、これは思考だ。

「悲しみ」ということ自体が人間の思考の産物だ。

その体感覚に「悲しみ」と名付けてから、体感覚から思考に分離してしまった。

心の奥底で悲しんでいるのに、自分が悲しんでいることすら気付かない人もいるので、それに比べたら、思考が入っていても感じているだけマシということになるが、思考が入ってしまうと、癒し効果はほとんどないだろうと思う。

優位感覚でいうと、私がこれまで見た限りでは、視覚優位の人が癒されにくいようだ。

思考がぐるぐる回って、堂々巡りになる人は、視覚優位の人が多い。

聴覚優位の人の方が言葉が止まらなくて、ぐるぐるしやすいかと思っていたが、実は視覚優位の人の方がぐるぐるして辛そうな人が多い。

本人が意識していない体感覚を、見ているこっちの方が感じてしまって辛くなる。

視覚優位の人が堂々巡りにならないためにどうすればいいか、私は視覚にあまり頼らないタイプなので、よくわからない。

セラピストさんたちには、人によって感情を感じきることが難しいのだ、ということをご理解いただきたい。