サントリー美術館にて、「京都・醍醐寺 真言密教の宇宙」を鑑賞した。

 

国宝がズラリの豪華な展覧会であるが、私が一番関心があったのは、若き日の空海が「大日経」を写し取りながら学んだという貴重な資料「大日経開題」だ。

 

書き損じを黒く塗りつぶしたり、細かい字で書き込みをしている。

 

必死で大日経を習得しようとしている空海の息づかいが伝わってくる。

 

こんな大昔の人で超人的な大天才なのに、何故こんなにも身近に感じるのだろう?

 

写真は、醍醐寺蔵「大日経開題 空海筆(一部)」

展覧会にて購入の絵葉書より

 

 

備忘録として使用している手帳を何げなくめくっていたら1年前に書いた夢が目に入った。
寝起きのボケた頭で書いたらしい。
字も乱れていたが、なんとか読めた。

私には夢日記をつける習慣はない。
何故この日に限って、夢を書き残したのか、今となっては分からない。
よくある無意識のいたずらか。

その夢だが、今の部署で仕事をしている夢だった。
夢を見たときは隣の部署で仕事をしていたが、異動したばかりだったので、1年で別の部署に異動することは考えにくかった。
この4月に今の部署に異動したが、夢のことは全く思い出さなかった。

その夢を見てから1年経った今、ふと目に留まって、正夢になっていることに気づいた。
それだけのことである。

潜在意識活用系のセミナーでは、しばしば、夢日記をつけることが推奨される。
夢を記録して発表する、という課題が出ることもある。
結構、自分の見た夢を詳細に記録して、筋道を立てて話す人が多いのに驚く。

私は、自分の夢をあまり覚えていないことが多い。
かろうじて覚えている破片を合わせても、筋が通らないことだらけで、何のことやら訳が分からない。
夢を詳細に記録したり、夢日記をつける人を見るにつけて、より潜在意識と繋がりが深いように思えて、羨ましく思っていた。

昨年だったか、「無意識さん」でおなじみの大嶋信頼先生の講座を受講した。
そこで大嶋先生は、夢日記をつけたり、夢を分析することはやめた方がいい、とおっしゃったので、おおっ!と思った。
夢は忘れてしまった方がよい、
フロイトもユングも、夢なんかを分析するから、おかしくなったんだ、と。
そうか、私、夢忘れてしまっていいのね。

何かと分析したくなるのが人間である。
これが人類の繁栄、発展に繋がっているのは間違いない。

しかし、潜在意識は、分析されることが嫌いなのではないだろうか、
というのが、私が最近思うことである。
潜在意識は、意識されることが嫌いなのではないか。
潜在意識をコントロールしたり、利用しようとしたりしても、何故かうまくいかないのは、そんな理由があるのかもしれない。

自分の意志や望みを明確に持つことは大事である。
望みを叶えたいと思うとき、潜在意識が応援してくれるというのは本当だ。
応援してくれると信じること。
その上で、潜在意識を自由に遊ばせてあげられるといい。
自分の意志や望みも一旦忘れてしまっていい。

すっかり忘れて自由になった頃に、望みが叶っていたことに気づく。
潜在意識が喜んでいると感じることができる。
そして心から感謝できる。

これまでを振り返ると、そんなことの多い人生だった。
まずは、自分に感謝できて、ホントにうれしい。

9月に入っても、今年の東京の残暑は厳しい。
休日はできるだけ和服を着ようと思っているが、今年の8月は休日持ち帰りの仕事や高野山行き、それに父の入院とあって、全く浴衣を着てお出かけができなかった。
本日は、気温は30度超えで、浴衣だけでもいいくらいだったが、一応9月は単の季節、浴衣に半衿を合わせて足袋も履いて、美術館へ。

青山の根津美術館にて「禅僧の交流〜墨蹟と水墨画を楽しむ」を鑑賞した
ここで、禅僧の「交流」とは、日本と中国の禅僧の交流という意味。

会場に入った時、「禅僧って達筆な人多いよね、ホラ、空海とか…。」という会話が聞こえてきた。
「空海は禅僧じゃねぇよ!」と言いたいのをこらえて鑑賞に集中する。
展示されていたのは、鎌倉時代から室町時代の墨蹟や水墨画であり、当然だが、いくら達筆でも平安初期の空海の作品はない。
鎌倉・建長寺の住持や円覚寺の初代住職などをつとめた無学祖元など渡来の僧の墨蹟や、詩画軸とよばれる画と詩で綴られる見応えのある作品が並ぶ。
中世日本において禅僧が文化の担い手であったことがよく理解できる。
それだけ禅僧には詩や書、絵画、それに中国の古典など文学の素養が要求されたのだろう。
そんな禅僧たちが互いに励まし合い切磋琢磨しながら、修行に勤しみ、書や絵画を嗜んだ光景が目に浮かぶ。

鑑賞客には外国の人が多かった。
帰りに根津美術館の前で信号待ちをしていたら、中国からの女子学生のグループに声をかけられた。
着物を着て、特に外国からの観光客が多いところをうろついているとしばしばそういうことがある。
一緒に写真を撮りたいという。
快くリクエストにお応えして、写真を撮る。

そんな残暑の1日だった。