先日、川崎大師教学研究所にて、「大師、四十歳の心境を詠ずー弘法大師の『中寿感興の詩』」と題する講座を受講した。

講師は、大正大学教授の野口圭也先生。

研究所所長の福田亮成先生も、冒頭に挨拶をされた。


『中寿感興の詩』は、空海が40歳を迎えて、その心境を詠ったもの。

僧侶として充実し、晴れ晴れとして澄んだ40歳の空海の胸の裡。

自身がこれぞと確信し導いてきた仏道(密教)に対する揺るぎない自信も感じ取れる。


『中寿感興の詩』の序文では、『文殊讃仏法身礼 』 (不空訳 )という四十行の頌文を、40歳になったので、また読んでみたらいいかも知れないと思って読んだところ、その一言一言が素晴らしいので、弟子たちに分かりやすく説明できるように、図を作ってみた、と記されている。

これが、後に、最澄が理趣釈経とともに借用願った(そして断られた)『方円図』である。

今回の講座では、曼荼羅図象学がご専門でもある野口先生から、その一種の曼荼羅である空海作の方円図(一部再現)も、資料で配布していただき、大変興味深く拝見した。


空海は、自身が唐に渡り恵果から伝授された密教を、いかに分かり易く人々に伝えるかに尽力した。

空海のクリエイティブな発想は、『文殊讃仏法身礼 』の方円図にも現れている。


このあとの20年間、空海の生涯の円熟期において、様々な事業を成し遂げていくのであるが、40歳の彼の頭の中には既にそれらの構想があったのかもしれない。



本日の東京は抜けるような秋晴れの空。

仏様とのご縁を結ぶのに相応しい清々しいお日柄。




高野山真言宗総本山金剛峯寺高野山東京別院にて、菩薩戒及び結縁灌頂(金剛界)を受けた。

空海は唐の青龍寺にて恵果阿闍梨から灌頂を受け、帰国してから阿闍梨として最澄らに、灌頂を授けた。

写真の書は、空海が灌頂を受ける者の名を記したもの。(小学館「ニッポンの国宝」より)

もちろん、国宝。最澄の名も見える。



今は、結縁灌頂もチケットぴあで、ネットで購入する時代。

私も空海の灌頂名簿に載りたかった。

儀式の内容は秘密だが、大日如来とのご縁をしっかり結んだ。

貴重な体験ができた。


南無大師遍照金剛


先日、真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺(川崎大師)にて藤田隆乗貫首の講話を拝聴した。

(主催は朝日カルチャー湘南)



人間としての空海と信仰対象としての弘法大師という二つの側面からのお話だった。

平間寺のご本尊様は弘法大師。

私個人としては、圧倒的に人間空海に関心があるが、空海の話が聞けるとあらば、しかも、まさに信仰の対象としての弘法大師をお祀りしている、その川崎大師平間寺の貫首様のお話ということであれば聞かずにはおれない。


とてもよい話をお聞きすることができたが、特に、四国のお遍路の多様な参拝形式のお話がよかった。

日時、参加資格、順番、手段、動機を問わず、本尊も宗派も様々。

いつ行っても、誰が行っても、何番のお寺からはじめても、歩き遍路はもちろん、バスでもタクシーでも、どんな動機でもいいのだ。

88ヶ寺には、真言宗だけではなく、他の宗派のお寺もある。

その懐の深さが人々を空海の故郷、四国の地に足を運ばせるのだろう。

弘法大師の心はマンダラの心、包含、包摂、寛容、平等、共存、異物・他者を排斥排除しない。

そんなお話をいただいた。



若手のお坊さんからは梵字の書き方のデモをしていただいた。

こちらも、非常に興味深かった。


梵字は表音文字である。

万葉仮名はあったにせよ、漢字しか文字がなかった当時の日本において、梵字のような表音文字は衝撃的だったのではないか。

空海が五十音図やいろは歌を作ったという伝説の真偽はさておき、空海ほどの知の巨人にして、東寺の立体曼荼羅を設計するほどのクリエイターとなれば、梵字にはいかほどのインスピレーションが湧いたことか、と私は思う。


お話の後は、大本堂にて護摩焚き。

いつもは、壇の下の信徒席に拝して参加しているが、今回は特別に壇の上で僧侶の方々に囲まれて貫首のおそばで修法を拝見することができた。

炎に照らされた不思議な所作と迫力に真言密教の真髄を感じた。


南無大師遍照金剛