ブログ更新が1ヶ月以上開いてしまった。

一応元気である。

職場はテレワーク、さらに、今年度から10年ぶりで大学の非常勤講師も兼任することになったが、当面オンライン講義でお願いしますと言われた。

Skypeで同僚と会議。
オンライン講義は、Zoom で講義動画を作成し、Google class roomにアップして行く。

ネットの恩恵。
便利、なのかも知れないが。


去年のゴールデンウィークは平成から令和への移行期。

いつもより長い、長すぎる連休を私もそれなりに楽しみ、新たな時代を迎えられることを喜んだ。

1年後にこのような事態になろうとは誰が予想したか。

新しい時代は少々荒っぽいやり方で訪れた。

医療従事者など荒波の最中にいらっしゃる方々に心からエールを送りたい。

そして、どこも混乱、みんな手探り。

新しい時代は、まだ始まったばかり...。


ゴールデンウィークは、講義動画撮らなきゃ。




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☆私の本棚☆

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

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今回ご紹介するのは、前回の「まんが大乗仏教 インド編・西方編」に引き続き、コチラ。


監修 塚本啓祥
脚本 瓜生中
作画 芝城太郎

大師といえば「弘法」、三蔵といえば「玄奘」。

猿、豚、河童を引き連れ、ニンニキニキニキと天竺に向かったという、この方。
中国編は、玄奘三蔵さまが語り手。

古代、シルクロードが開通し、インドや西方の商人との交易が盛んになった頃、仏教は商人とともにやってきた僧侶たちによって中国に伝えられたのだという。

当時の中国では老子や荘子の老荘思想、すなわち道教を信奉する人たちが、新たに入ってきた仏教を老荘思想になぞらえて理解した。

例えば、老荘思想では、世の中の根元を「無」と捉えていたが、仏教の「空」の思想は、老荘の「無」と同じようなものとして捉えられた。

老荘思想になぞらえて説かれた仏教を「格義仏教」といい、3、4世紀ごろの中国で盛んになった。

しかし、老荘思想の影響の強い格義仏教に疑問を呈した道安(312〜385)の登場により、格義仏教は排斥され、中国仏教は仏教本来の姿に戻った。


その後、鳩摩羅什(350〜409)の招聘により、経典の漢訳が進み、中国仏教の基盤が整備されていった。

鳩摩羅什と並んで、経典の漢訳に生涯をかけたのが、玄奘三蔵である。

玄奘が、ありがたいお経を求めて天竺まで旅をした話はあまりにも有名である。

このまんがでも、玄奘が国法を犯して国を抜け出し、大変な苦労をしながらインドにたどり着く過程が語られる。(当時の中国では国法により国外に出ることを禁じられていた。)

旅の途中、盗賊に襲われることもあったが、そんなときには、『般若心経』を唱えて難を逃れた。

17年後に国に戻る玄奘、出国時は、国法を犯していたため、国に戻って、どんな扱いをされるかと心配した。

ところが、唐の都についたとき、多くの人々に出迎えられ歓迎され、皇帝からも最大限の賛辞を受けたという。(国法を犯して20年の留学を2年に短縮して戻った空海は3年も九州に留め置かれた。えらい違いだ。)

唐に戻った玄奘は、精力的に持ち帰った経典を漢訳した。

『法華経』は、当時から鳩摩羅什の名訳の誉れが高かったのであろう。
玄奘は『法華経』は訳さなかった。
でも、旅のお守りだった『般若心経』は訳した。


ちなみに、空海の『般若心経秘鍵』では、空海は、自分の使っている『般若心経』は羅什の訳だといっている。しかしながら、彼の『般若心経』は、現代の私たちが使っているものと同じであるから、玄奘の訳のはずである。いろいろ不思議な『秘鍵』である。

それはさておき、
中国での羅什や玄奘らの活躍のおかげで、こんにち私たちは仏教の経典に学ぶことができるのである。


さらに、このまんがでは、日本にも伝えられた各宗派の成立や発展の歴史が語られている。

もちろん、密教も。

『大日経』を翻訳した善無畏とその弟子一行。


『金剛頂経』を翻訳した金剛智とその弟子不空。


さらに、空海の師匠、恵果阿闍梨。



そして、いよいよ、大乗仏教が、わが国日本に伝来する!



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☆私の本棚☆

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

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今回ご紹介するのは、コチラ。
脚本 瓜生中
作画 芝城太郎

全三巻のうち、第一巻は、インド編・西域編。

釈尊入滅後、インドでどのように仏教が発展し、時を経て時代や場所に合わせて変容していったかが、分かりやすく描かれている。
巻末には、丁寧な用語の解説もあり、とても勉強になる。

第一巻の「インド編」では、釈尊の高弟マハーカッサパを中心とする第一結集、アショーカ王の仏教保護策、仏塔供養から、初期の大乗仏典、特に『法華経』の成立までが語られる。
続いて「西域編」では、アレキサンドロスのインド侵攻とメナンドロス王とナーガセーナ長老の対話から始まる。
このギリシャ人とインド人の対話は、内容もさることながら、文化的にみても、なかなか面白い。
ヘレニズム文化やガンダーラ美術につながる。
ガンダーラの仏像が私たち日本人にはエキゾチックに感じるのも、そのような背景があるのだ。

(写真は、栗田功著『ガンダーラ美術にみるブッダの生涯』より)


この巻で興味深かったのは、ナーガールジュナ(龍樹)、アサンガ(無著)・ヴァスバンドゥ(世親)の兄弟の話。

そして、数々の経典の名漢訳を残したクマーラ・ジーヴァ(鳩摩羅什)の話。
母のジーヴァ(なかなかのゴッドマザー)とともに、幼い頃に出家したクマーラは、20歳になったのを機に母と別れ中国に向かったが、各国の思惑に阻まれ、長安に入ったときは、60歳になっていたという。
長安で、鳩摩羅什は亡くなるまで精力的に、多くの経典の翻訳に携わる。




私たち日本人がお唱えするお経は、漢訳されたものだ。
もはや、そのままでは、現代人には理解困難なものになってしまったが、それでも、漢字の並ぶお経を見、お唱えする声を聞き、ありがたい気持ちになる。
『法華経』をはじめ、今でも鳩摩羅什の漢訳が定本とされている経典は少なくない。
日本に仏教が根づいたのは、漢訳の経典があったからであり、鳩摩羅什のような翻訳家の努力があってこそである。

鳩摩羅什は、生前、「私の翻訳に誤りがなければ、この身が火葬され灰になろうとも、舌だけは焼けずに残るであろう。」と言っていたそうだ。
そして、羅什が、仏教に捧げたその生涯を閉じ火葬された後、予言どおり舌が残っていたと伝えられている。