☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆

☆私の本棚☆

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆
今回ご紹介するのはコチラ。

澁澤龍彦著

『高丘親王航海記』



高丘親王(以下「高岳親王」と記す)は、言わずと知れた空海の十大弟子の一人。


空海の御影といえば、右手に金剛杵、左手に数珠を持った姿がよく知られている。


むしろ、右手に金剛杵、左手に数珠を持った僧侶の肖像があれば、たとえ顔がイケメンだろうが、ブサメンだろうが、へのへのもへじだろうが、それはまごうことなき空海である、と認識される、と言っても過言ではない。


この有名すぎる空海の肖像は、「真如様(しんにょよう)大師」と呼ばれる。


高岳親王の出家後の名は真如、生前の空海の姿を描いたとされ、現在私たちが目にする真如様大師は、これを元にしている。


平城天皇の皇子である高岳親王は、その晩年、仏法を求め入唐し、さらに天竺を目指すこととなる。


時は、平安初期の貞観7年(865年)。


この高岳親王の天竺を目指す最後の旅を描いたのが、『高丘親王航海記』である。


著者の澁澤龍彦先生は、フランス文学者・小説家とされるが、評論、随筆、翻訳が多く、本書のような長編小説はむしろ珍しい。


シュールレアリズムや幻想文学などに造詣が深く、エログロナンセンスのイメージを持つ人もいるだろう。


好みは分かれるところであるが、私は学生の頃一時期シュールレアリズムに傾倒していたゆえ、澁澤龍彦、大好きである。


昭和62年、高尚な芸術を教えてくれた澁澤先生の訃報に接し、私は一人涙した。


本書は、澁澤先生の遺作でもある。


そして、なるほど、本書に描かれる高岳親王と病床にあったであろう澁澤先生の姿は、すっかり重なる。


澁澤先生は、この作品を咽頭癌の闘病中に執筆していたようだが、登場する高岳親王も喉を痛めて、どんどん衰弱していく。


高岳親王をご自身に重ねていたであろうことは想像に難くない。


物語の親王一行は、唐の広州から海路で東南アジアの国々を巡り、天竺に向かう。


船上あるいは陸の上で起こる不思議なできごと、過去・現在・未来と時を越えて、親王の夢は交錯する。


そして、物語の全体を通じて見え隠れする藤原薬子の影。


親王は、幼い頃、平城天皇の愛人だった薬子に可愛がられていた。


ある日、薬子は、まだ小さな親王の前で、天竺まで届け〜、とばかりに何か光るものを投げた。


薬子は、50年ばかり先に、その光るものの中から自分が鳥になって生まれ変わるのだという謎の言葉を残した。


✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨

ここからは私の個人的な想いである。


高岳親王は、仏法の真理を求めて天竺に向かったとされているが、本当にそれだけの理由だったのだろうか、というのが、澁澤龍彦先生がこの物語を描いた動機の1つのようである。


平安初期の海外旅行は、空海が遣唐使船で難破したように、命懸けであった。


玄奘三蔵が、国法を犯して天竺まで命懸けの旅をしたのも、仏法を求めてのために相違ない。


高岳親王も、玄奘三蔵や空海と同様に、仏法を求めての旅だったのだろうが、そこに薬子のような魅惑的な女性を絡めると、話は、一気にロマンチックになる。


仏法を求めての旅、誰がみても立派な動機で、これも嘘ではない。


しかしながら、心の奥底では、常に、幼い頃見た薬子が投げた光るものが忘れられず、天竺と聞くと、薬子の言葉を思い出し、気になってしまう。


謎の光るものが、老境に差し掛かった親王にとっては、仏法の真理と同じくらいに命懸けで求めるべきものとなっていた。


まるで薬子がかけた呪いのようだ。


人間は、本人が気づいているか否かはともかく、皆、何かに向かって、あるいは、どこかに向かって、生きているように思う。


人それぞれ向かうところは違うかも知れない。

お金や異性のような現世的なものであったり、仏法や真理のような抽象的なもの、本当の自分探しのようなものもあるだろう。


しかし、ふと立ち止まって振り返ると、なんでそんなものを求めていたのだろう、と思うかも知れない。


物語のラストでは、親王は、究極の方法で天竺にたどり着くことを試みる。


親王は、朦朧としながら、どうして、あんな、薬子が投げた光るものなんてものが、こんなにも長い間気になっていたのだろう、などと言う。


もはや、光るものも仏法もどこかに行ってしまったかのように、天竺に行くこと自体が目的化している。


これが、澁澤龍彦の遺作か。


小難しいこともなく、読み易いし、面白いのだが、いろいろ感慨深い作品である。






あけましておめでとうございます㊗️

昨年の後半は、体調不良でなかなかコロナワクチンの接種もできず、いろいろ停滞していた。

12月にようやく接種2回を済ませて、活動開始。

手始めに、12月30日と31日に、藤沢、江の島方面へ一泊旅行。

コロナワクチン2回目接種後3週間経過で、抗体量MAX、オミクロンの不安も高まる中、行くなら今しかない。

それでも県境を越えられない私は小心者。

そんなわけで、江の島。


江の島は、11年前の2011年に、縁あって、江島神社に正式参拝させていただき、それ以来。




2011年には、社務所内で、宮司様から江の島の歴史についてご講義いただき、正式参拝(巫女さんからお神酒をいただきました🍶)し、神職さんのご案内で、江の島内を観光。

今回は一人旅。

前回行けなかった岩屋にも。


久しぶりに自然に触れて生き返る。



池口恵観師の江の島大師にもお参り。




湘南モノレールにも初めて乗車。

シートのイラストがカワイイ。







本年もなつくさのブログを宜しくお願いします。



☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆

☆私の本棚☆

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆
今回ご紹介するのはコチラ。

釈徹宗著

『天才 富永仲基ー独創の町人学者ー』

前々から気になっていた、江戸時代の仏教学者、富永仲基。


佐々木閑先生の『大乗仏教 ブッダの教えはどこに向かうのか』を読んだ時に「大乗非仏説論」を唱えた人として紹介されていて、その真摯に学問を追求する態度が印象に残った。


『大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか』



NHKカルチャーのオンライン講座で、釈徹宗先生が富永仲基のお話をされているというのを知り、オンデマンドで配信中ということなので、申し込んで時間のある時に視聴してみた。


大変興味深いお話だったが、もっと知りたいと思い、すぐに釈先生の講座と同名の著書をKindleで購入した次第である。


富永仲基は、18世紀の大坂の町人である。

当時大坂の町人たちが主体となって自治組織的な学校を作っていたが、その1つである懐徳堂で朱子学などを学んだ。

その後、懐徳堂の三宅石庵に破門され、師弟に教えを説いたり、詩文を作ったりして暮らしていたようだが、31歳の若さでこの世を去っている。


仲基の特徴的な思想は「加上説」である。

ここから、「大乗非仏説論」が導きだされた。

「加上」とは、思想や主張は、それに先行して成立していた思想や主張を足がかりにして、さらに先行思想を超克しようとして、新たな要素が付加される、という説である。

つまり先行する思想になんらかの上書き・加工・改変・バージョンアップがされているとするものである。

仲基は加上説によって、「阿含」→「般若」→「法華」→「華厳」→「大集・涅槃」→「頓部楞伽」→「秘密曼陀羅」といった仏教思想の展開を推論した。

これはおおよそ現代の研究結果と符合している。


仲基は著作『出定後語』において「仏教の教えは、釈尊滅後、長い間口伝によって伝えられてきたので、きちんとした典籍がなく、いろいろな人の考えが上書きされて、さまざまな相違をもつ経典が生まれた」と述べている。

これは、当時の仏教関係者の怒りをかうとともに、本居宣長などの国学者からは絶賛された。



ここからは、私の個人的な思いである。


結果的に仲基は仏教関係者を敵にまわし、国学者が仏教を批判する材料を与えた形になったが、彼自身は、仏教を批判したり、国学を擁護するつもりはなく、ただひたむきに真実を追求しようとしただけのようである。

今なら、大乗経典が直接釈尊の教えではないことは当たり前になっているが、これを独自の理論で世界に先駆けて論証したのが仲基である。

その学問に対する姿勢に、「仲基はもっと評価されていい」とおっしゃる先生は、前出の佐々木先生はじめ少なくない。


私が最も興味を惹かれたのは、『出定後語』の第24章「三教」のところ。


「三教」といえば、空海ファンは黙っていられない。

空海の「三教指帰」があるではないか。

仲基も、空海のように儒教、仏教、道教の比較をしているのだ。


また、別の著書『翁の文』において、儒教、仏教、神道について論じた上で仲基はいう。


「今の三教は、みな神事・儒事・仏事であって、本当の神道でも儒道でも仏道でもないのだ。」


現代の私たちには、より重く響く言葉だと思う。


NHKカルチャーの講座では、会場の方からの「空海や親鸞は加上に気付いていなかったのか」というご質問に、空海や親鸞のような僧侶と仲基のような学者とでは、仏典に対する向き合い方が違う。僧侶にとって、その教えが誰が説いたかは問題ではなく、その中身が大切なのだ、という釈先生の回答に大きく共感した。


さすが、僧侶でもあり、学者でもある釈先生。


私のようなものが、このようなことをいうのは大変失礼かもしれないが、おそらく、先生は、僧侶としてのご自身と学者としてのご自身とを使い分けていらっしゃるところもおありなのではないだろうか。


この本の後書きに、30年前、空海の『三教指帰』などのオリジナリティの高い比較宗教論を読みあさっていた頃に、富永仲基の『出定後語』に出逢ったとある。


私が富永仲基に興味を惹かれたのも偶然ではないのだ。