空海に憧れ、空海をより良く知るためにコロナ禍の中で始めた書道。

ユーキャン(の傘下の日本書道協会)の通信講座で課題を添削してもらう以外は、独学といっていい。

まったくのド素人から始めて2年半が経過。

現在、漢字二段、かな初段。

初段からは、昇段課題が条幅(半切1/2、半切)となったので、通信講座も上級コースの「書道作品制作講座」を受講。(上級コースは一般募集はしていないらしい。)

この一年で添削していただいた漢字作品5点を一挙公開。(昇段課題とは異なります。)

紙に折り目がついているのは、作品を折りたたんで封書に入れてユーキャン(日本書道協会)に送るため。

師がいないため、お手本が全てである。

ひたすらお手本と向き合って、筆を取る。

写真はお手本と並べて見比べられるように編集した。

 

大きな作品は体力が必要。(下手だからかも知れないが。

練習が十分できず、ほとんどぶっつけ本番で書いている。

他(仕事、仏教の勉強)が忙しすぎて練習時間が取れないのもあるが、体力が追いつかない。

1枚書くだけで精も根の尽き果てる。

字が多すぎる、しかも見たこともないような字ばっかり。

こんなド素人にいきなりこんな課題。

ユーキャン、ドS過ぎる。



 ❤️作品紹介❤️



集王聖教序の書風 行書八字句

乾坤正氣天地皆春(明・鍾惺)

『乾坤の正気、天地皆春なり。』


今から1年ほど前に書いた。

はじめての条幅(半切1/2)でかなり緊張して書いている。

今ならもう少し上手に書けるかも。

 


王羲之小楷の書風 楷書十四字句

渓頭微雪點疎松睡起門窓對遠峯 (明・袁宏道)

『渓頭の微雪疎松に點じ、睡起して門窓遠峯に對す』


楷書は苦手、でも王羲之の小楷は可愛くて好き。

これは意外と楽に書いていた気がする。




 

王羲之十七帖の書風 草書五言絶句

終南陰嶺秀

積雪浮雲端

林表明霽色

城中党暮寒

(唐・祖詠 「終南望餘雪(終南に余雪を望む)」)

『終南陰嶺に秀で、積雪雲端に浮かぶ。林表霽色明らかに、城中暮寒を増す。』


はじめての草書。

草書といえば慣れた人ならすごく速く書けるのだろうが、これ、実は、すごく時間かけて書いた。

二枚以上書く気力はわかないだろうから、一発勝負のつもりで臨んだ。

スピード感や勢いはないかも知れないが、これはこれで、ある種の気迫が出ているかも、と思ったりして。

 



高貞碑の書風 楷書四字句

春和景明(宋・范仲淹)

『春は和らぎ景は明らかなり。』


扁額の作品。これは半切を横にして使用。

苦手な楷書。

自分が持っている一番太い筆を使用したが、それでもまだ細かった気がする。

字数が少なくて、ちょっとホッとする。


 



王羲之の書風 行草書七言絶句

茨菰葉爛別西灣 蓮子花開猶未還

妾夢不離江上水 人傳郎在鳳凰山

(唐・張潮「江南行(こうなんこう)」)

茨菰葉爛れて西湾に別る。 

蓮子花開いて猶未だ還らず。

妾が夢は江上の水を離れず。 

人は伝ふ郎は鳳凰山に在りと。


はじめての聯落(れんおち)。

終南望餘雪と同様にぶっつけ本番で3時間くらいかかったかも。

ここまでくると、もはや苦行だった。

でも一字一字に表情があって楽しい。

全体的なバランスも難しいが、うまく収められたら、もっと美しくなるだろう。

いつか時間ができたら、一字一字丁寧に練習して、もう一度チャレンジしたい。

コロナも収まったかと思ったら、また、増加傾向に転じて、第8波も危ぶまれるこの頃。


私は相変わらず、週3日の出勤(2日はテレワーク)と近所への買い物以外お出かけ自粛を続けている。


そんなわけで、夏に引き続き、オンライン講座で仏教等を学んでいる。

仏教等の「等」とは、仏教以外に宇宙論、西田哲学や万葉集も学んでいるので、そのように表記した。


今回、ラジオ講座も含めると、唯識関係の講座を3つ受講している。

唯識自体が難解なので、繰り返し聞いてみないと分からないということもあるし、先生ごとに切り口が違ったり、説明ぶりもオリジナルな図解を用いてくださったりして、立体的に学べるのが楽しい。

また、同じ唯識の研究者でも、インド唯識か、中国唯識か、日本唯識かでも理解が異なっている、ということもあるらしい。

唯識、奥が深過ぎる。


以下に、今期(2022.10~12月)に受講中の講座一覧を記す。

これだけ受講すると、3カ月で10万円近くなる。(ひと月約3万3千円)

ちゃんと勉強しないと、お金もったいない。


*「原始仏教入門」(駒澤大学名誉教授池田練太郎先生)朝日カルチャー横浜

4月開講。通年。釈尊の生涯から始まり部派仏教に発展していく過程や思想の変遷などを分かりやすい資料を用いて解説していただいている。


*「大乗仏教入門」(駒澤大学名誉教授池田練太郎先生)朝日カルチャー立川

4月開講。通年。上記と同じ講師による。大乗仏教の重要経典と共にその思想の特徴を分かりやすく解説いただいている。


*「唯識入門 心の奥を探る」(花園大学教授佐々木閑先生)NHKカルチャー京都

10月開講。全6回。NHKでお馴染みの佐々木閑先生の唯識の講座。昨年、NHKカルチャーで「アビダルマ倶舎論」の講座をオンラインで受講したが、受講生とコミュニケーションを取りながらの楽しい講座なので、本当は教室で受講したい。


*「天親菩薩の唯識思想」(龍谷大学非常勤講師上野隆平先生)朝日カルチャーくずは

10月開講。全4回。天親菩薩とは世親(ヴァスバンドゥ)のこと。7月期の「天親菩薩の生涯」の続編。


*「弘法大師空海の教えに学ぶ」(東寺教学部長・法務部長山田忍良先生)朝日カルチャーくずは

10月開講。全3回。東寺は京都における空海の本拠地。いろんなお話が残っていると思うのでとても楽しみです♪


*「大乗仏教と上座部仏教」(東京大学教授馬場紀寿先生)朝日カルチャー新宿

10月開講。全1回。現役研究者の最先端研究が聴けると期待が高まる。


*「北部九州の神仏と弘法大師空海」(高野山真言宗遍照院副住職田中本泰先生)朝日カルチャー

10月開講。全2回。北九州は、唐から帰国した空海が留め置かれたところ。どんなお話が聴けるか楽しみ。


*「不思議なお寺と素敵な仏像」(奈良国立博物館名誉館員西山厚先生)NHKカルチャー京都

10月開講。全3回。7月期の「平安仏教〜唐との関わりの中で」の続編の講座。7月期では、最澄、空海、円仁についての生涯や思想についての講座だったが、3回目の円仁のお話がよかった。実際に中国の五台山に行かれた時の写真をふんだんに用い、円仁さんの素晴らしさが伝わる印象的な講座だったので、継続受講することにした。


*「唯識〜心の深層をさぐる」 (興福寺寺務老院多川俊英先生)NHKラジオ宗教の時間

4月開講。通年。日本で唯識といえば法相宗、興福寺です。本家本元のご講義、心して拝聴している。


仏教以外

*「西田哲学入門」(日本大学名誉教授小坂国継先生)朝日カルチャー新宿

2019年より継続。年4回。仏教とも関連深く、いろいろ考えさせられる講座。


*「宗教は何のためにあるのか」(日本大学名誉教授小坂国継先生)朝日カルチャー横浜

11月開講。全1回。この問題、深いですね。いやもう、楽しみ過ぎる。


*「時間とは何か 宇宙物理学への誘い」(京都産業大学教授、東北大学名誉教授二間瀬敏史先生)朝日カルチャー立川

10月開講。全5回。私、学生時代はブルーバックスで松田卓也先生の相対論の本を愛読していました。二間瀬先生は松田先生のお弟子さん(京都大学)。久しぶりの宇宙論、大好きです。


*「歌と歴史でたどる『万葉集』」(東京大学教授鉄野昌弘先生)NHKラジオ古典講読

4月開講。通年。こっそり毎週聴いてます。歌は、当時の人々の高度なエンタメだったんだって再認識。日本文化の礎がここにある。加賀美幸子アナの朗読もいい。(鉄野先生のお声も何気にいい。)




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☆私の本棚☆

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

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今回ご紹介するのはこちら

竹村牧男著

『唯識・華厳・空海・西田〜東洋哲学の精華を読み解く』



3年ほど前から、朝日カルチャーで、小坂国継先生の西田哲学の講座を受講している。
最初は、今はなき湘南教室で、比較的こぢんまりと開講されていたが、半年遅れくらいで、新宿教室で同内容の講座が開講し、こちらは、今も盛況にして継続している。(教室もオンラインも)

哲学とは、ともするとフワッとしか成りようがない話を理詰めで説明しようとするものだ、というのが私の印象。
スピリチュアルや宗教との大きな違いというか。
むしろスピリチュアルや宗教って理詰めで説明しているうちは、まだまだ、なのだと思う。
逆に、哲学は、理詰めでないといけない。
仏教は、どっちも混ざっているので分かりづらい。
宗教的直観と理論的思考力の両方の素養を備えないと仏教全容の理解は難しい。
が、どちらかだけであっても別にいいよ、と思う。

私が西田哲学に関心を持ったのは、わが国の近現代における最大の哲学者がなぜ空海についてガン無視だったのか、そんな疑問からだった。

実際、西田は、宗教や仏教、とりわけ浄土真宗と禅宗に造詣が深い。
著作や書簡等の中で親鸞や道元に言及することもある。
しかし空海に言及することはない。

小坂先生の講座を受講しているうちに、西田の説く内容が、空海のそれと似たようなところもあり、ますます不思議だった。
そのキーワードは、「華厳」。
小坂先生のお話を聞いていて、ん?それは華厳では?と思ったら、すぐその後、「これは華厳の思想ですね。」と先生がおっしゃったことがあり、そうか、西田と空海の共通項は、「華厳」か、と思ったものだ。

前置きが長くなったが、そんなところに、今回ご紹介の題の書物があれば、読まずにおれるわけがない。
空海と西田が並んでいるなんて、ある意味異色。
しかも、唯識と華厳が彩りを添える。
美味しそうですね。食指が動く。

本は、唯識、華厳、空海、そして、西田の思想のアウトラインについての解説が中心であり、それぞれの思想相互の関係については、それほど深掘りされているわけではない、というのが、私の正直な感想。
それだけチャレンジングなテーマなのだ。
こんなチャレンジングなテーマに挑まれた竹村先生には心から敬意を表する。
いずれにしても「自己」を徹底的に追求した、ということが、華厳、空海、西田の共通点ということのようだ。
西田の「超個の個」というものが、華厳の事事無礙法界や空海の曼荼羅即自己につながっているという。
これは、私が小坂先生の講義を受けて、西田と空海の共通項は、「華厳」かと思ったことと概ね符合する。
小坂先生の講義では道元の『正法眼蔵』「現成公案」の第六節の以下の文が取り上げられた。

「人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。」

私の頭の中に、空海の即身成仏偈の「重重帯網なるを即身と名づく」が浮かんだことは言うまでもない。


さて、西田が空海についてどのように考えていたのか、その辺り言及したものが残されていない以上、わからない。
ただ、この本には、西田と真言宗との関連について触れている箇所がある。
西田は京都の智積院(智山勧学院)に出講していたことがあるとのことだ。
また、のちに智山勧学院教授となった高神覚昇は大谷大学で西田に教えを受けたという。
(ちなみに高神先生の『密教概論』は私の座右の書と言っても過言ではない。)
さらに、西田の弟子の柳田謙十郎は高野山大学で非常勤講師をつとめ、金山穆韶を敬愛して深く密教を学んでいる。
といったことが触れられているのだが、逆に、頑張って捻り出しても、この程度の間接的なつながりしか出てこないのか、というのが、これまた、私の正直な感想だ。

西田の最後の論文は、『場所的論理と宗教的世界観』であり、「逆対応」と「平常底」が主題となっている。
これ自体難解かつ興味深いのであるが、気になったのは、「超個の個」が「我々の自己は、どこまでも自己の底に自己を越えたものに於いて自己を有つ、自己否定に於いて自己自身を肯定するのである」と説明されていることである。
これが空海の曼荼羅即自己とつながると言われても、私は即座に理解できなかった。
空海は「否定」なんてしない。
この辺りに、西田の空海ガン無視の根拠があるのではないか、と思った。
空海の自由は「超絶的な自由」と西田と同時代の哲学者井上哲次郎は言った。
そんな超絶自由に否定なんてあるか。

ただ、西田の『場所的論理と宗教的世界観』は、「自己」と「宗教」の関係を考える上で非常に重要なことを述べていると思うので、最後に長くなるが、「禅の覚り」について書かれた文章を以下に引用する。(空海は絶対こんなこと言わないと思うが。)
「我国文化が多大の影響を受けたと思われる禅については、その道の人に譲りたい。私は、唯、禅に対する世人の誤解について一言して置きたいと思う。禅というのは、多くの人が考える如き神秘主義ではない。見性ということは、深く我々の自己の根柢に徹することである。我々の自己は絶対者の自己否定として成立するのである。絶対的一者の自己否定的に、即ち個物的多として、我々の自己が成立するのである。故に我々の自己は根柢的には自己矛盾的存在である。自己が自己自身を知る自覚ということが自己矛盾である。故に我々の自己は、どこまでも自己の底に自己を越えたものに於いて自己を有つ、自己否定に於いて自己自身を肯定するのである。かかる矛盾的自己同一に徹することを、見性というのである。そこには、深く背理の理というものが把握せられなければならない。禅宗にて公案というものは、これを会得せしむる手段に他ならない。」(『全集』第11巻、445〜446ページ)