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私の本棚

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

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今回ご紹介するのはこちら

竹村牧男著

『唯識・華厳・空海・西田〜東洋哲学の精華を読み解く』



3年ほど前から、朝日カルチャーで、小坂国継先生の西田哲学の講座を受講している。
最初は、今はなき湘南教室で、比較的こぢんまりと開講されていたが、半年遅れくらいで、新宿教室で同内容の講座が開講し、こちらは、今も盛況にして継続している。(教室もオンラインも)

哲学とは、ともするとフワッとしか成りようがない話を理詰めで説明しようとするものだ、というのが私の印象。
スピリチュアルや宗教との大きな違いというか。
むしろスピリチュアルや宗教って理詰めで説明しているうちは、まだまだ、なのだと思う。
逆に、哲学は、理詰めでないといけない。
仏教は、どっちも混ざっているので分かりづらい。
宗教的直観と理論的思考力の両方の素養を備えないと仏教全容の理解は難しい。
が、どちらかだけであっても別にいいよ、と思う。

私が西田哲学に関心を持ったのは、わが国の近現代における最大の哲学者がなぜ空海についてガン無視だったのか、そんな疑問からだった。

実際、西田は、宗教や仏教、とりわけ浄土真宗と禅宗に造詣が深い。
著作や書簡等の中で親鸞や道元に言及することもある。
しかし空海に言及することはない。

小坂先生の講座を受講しているうちに、西田の説く内容が、空海のそれと似たようなところもあり、ますます不思議だった。
そのキーワードは、「華厳」。
小坂先生のお話を聞いていて、ん?それは華厳では?と思ったら、すぐその後、「これは華厳の思想ですね。」と先生がおっしゃったことがあり、そうか、西田と空海の共通項は、「華厳」か、と思ったものだ。

前置きが長くなったが、そんなところに、今回ご紹介の題の書物があれば、読まずにおれるわけがない。
空海と西田が並んでいるなんて、ある意味異色。
しかも、唯識と華厳が彩りを添える。
美味しそうですね。食指が動く。

本は、唯識、華厳、空海、そして、西田の思想のアウトラインについての解説が中心であり、それぞれの思想相互の関係については、それほど深掘りされているわけではない、というのが、私の正直な感想。
それだけチャレンジングなテーマなのだ。
こんなチャレンジングなテーマに挑まれた竹村先生には心から敬意を表する。
いずれにしても「自己」を徹底的に追求した、ということが、華厳、空海、西田の共通点ということのようだ。
西田の「超個の個」というものが、華厳の事事無礙法界や空海の曼荼羅即自己につながっているという。
これは、私が小坂先生の講義を受けて、西田と空海の共通項は、「華厳」かと思ったことと概ね符合する。
小坂先生の講義では道元の『正法眼蔵』「現成公案」の第六節の以下の文が取り上げられた。

人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。」

私の頭の中に、空海の即身成仏偈の「重重帯網なるを即身と名づく」が浮かんだことは言うまでもない。


さて、西田が空海についてどのように考えていたのか、その辺り言及したものが残されていない以上、わからない。
ただ、この本には、西田と真言宗との関連について触れている箇所がある。
西田は京都の智積院(智山勧学院)に出講していたことがあるとのことだ。
また、のちに智山勧学院教授となった高神覚昇は大谷大学で西田に教えを受けたという。
(ちなみに高神先生の『密教概論』は私の座右の書と言っても過言ではない。)
さらに、西田の弟子の柳田謙十郎は高野山大学で非常勤講師をつとめ、金山穆韶を敬愛して深く密教を学んでいる。
といったことが触れられているのだが、逆に、頑張って捻り出しても、この程度の間接的なつながりしか出てこないのか、というのが、これまた、私の正直な感想だ。

西田の最後の論文は、『場所的論理と宗教的世界観』であり、「逆対応」と「平常底」が主題となっている。
これ自体難解かつ興味深いのであるが、気になったのは、「超個の個」が「我々の自己は、どこまでも自己の底に自己を越えたものに於いて自己を有つ、自己否定に於いて自己自身を肯定するのである」と説明されていることである。
これが空海の曼荼羅即自己とつながると言われても、私は即座に理解できなかった。
空海は「否定」なんてしない。
この辺りに、西田の空海ガン無視の根拠があるのではないか、と思った。
空海の自由は「超絶的な自由」と西田と同時代の哲学者井上哲次郎は言った。
そんな超絶自由に否定なんてあるか。

ただ、西田の『場所的論理と宗教的世界観』は、「自己」と「宗教」の関係を考える上で非常に重要なことを述べていると思うので、最後に長くなるが、「禅の覚り」について書かれた文章を以下に引用する。(空海は絶対こんなこと言わないと思うが。)
「我国文化が多大の影響を受けたと思われる禅については、その道の人に譲りたい。私は、唯、禅に対する世人の誤解について一言して置きたいと思う。禅というのは、多くの人が考える如き神秘主義ではない。見性ということは、深く我々の自己の根柢に徹することである。我々の自己は絶対者の自己否定として成立するのである。絶対的一者の自己否定的に、即ち個物的多として、我々の自己が成立するのである。故に我々の自己は根柢的には自己矛盾的存在である。自己が自己自身を知る自覚ということが自己矛盾である。故に我々の自己は、どこまでも自己の底に自己を越えたものに於いて自己を有つ、自己否定に於いて自己自身を肯定するのである。かかる矛盾的自己同一に徹することを、見性というのである。そこには、深く背理の理というものが把握せられなければならない。禅宗にて公案というものは、これを会得せしむる手段に他ならない。」(『全集』第11巻、445〜446ページ)


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今回ご紹介するのはこちら

三島由紀夫著

『豊饒の海4 天人五衰』



思えば、私が「唯識」や「阿頼耶識」という言葉を知ったのは、35年ほど前の学生時代に三島由紀夫の4部作『豊饒の海』を読んだときだったろう。

その時は、何やら哲学的でよく分からない、ん?仏教用語なの?よく分からない、とスルーして本編のストーリーを追うだけの読書だった。

それから何度か読み直すも、数年前に、最終話の『天人五衰』を読み直した時の拙ブログ記事がこちら。

しばらくお蔵入りにしていたが、この機会に復刻した。
ああ、この時も阿頼耶識のことはまるで考えていなかった。

「倶舎三年、唯識八年」という言葉がある。


倶舎論や唯識は、仏教を学ぶ上での必須科目である。

超天才の空海ならいざ知らず、凡人の私にとって、この言葉のように、これらを習得することはやさしいことではない。

それでも、空海の密教を理解するためには避けて通れぬ道。

昨年からボチボチ本を読んだり、カルチャーセンターの講座を受けたりしている。


前回の拙ブログの「私の本棚」で紹介した『高岳親王航海記』の著者澁澤龍彦と三島由紀夫とは友人であった。

三島は澁澤の影響で、『サド侯爵夫人』を書いている。

なるほど、の交友関係。


その三島は、昭和41年の正月に澁澤宅を訪ねて、『豊饒の海』の構想を語った、という。


三島由紀夫の『豊饒の海』。

輪廻転生の物語。

『春の雪』、『奔馬』、『暁の寺』、『天人五衰』の四部作。


第1巻の『春の雪』は、行定勲監督、妻夫木聡主演で映画化された。

ヒロイン綾倉聡子役は、今は亡き竹内結子。

私は当時これを映画館で観たが、結子さん、とても美しかった。

春の雪のように儚く美しかった。


それはさておき、『天人五衰』は、私にとって非常に印象的な作品である。

印象的な場面はたくさんある。

曼荼羅も出てくる。

老齢の本多弁護士は夜の公園に佇んで、「自分が胎蔵界曼荼羅の只中にたっているような心地がした」

これはどういうことだろう?

阿頼耶識と関係あるのか?

(密教は、第八識・阿頼耶識の次に第九識・菴摩羅識(あんもらしき)を立てており、これは大日如来に配当される。ここに登場する胎蔵界曼荼羅は密教よりも「豊饒の海」に関連しているように私には思える。)


クライマックスは、昭和49年のクリスマスより少し早めの晩餐会。

本多の友人慶子が、本多の養子透の秘密を本人に勝手にバラす場面。

慶子の立場に立って読むと、これはもう、スッキリ。

多分、この生意気な若者にずっと言いたかったんだろう。

そこから物語は、最終場面である奈良の月修寺へと、急転直下のごとく坂を転げるように進んでいく。


蝉の声が冷ややかに聞こえる、夏の寺。

月修寺の時間は、世俗とは進み方が異なるようだ。

そして、蓄積される記憶も異なるのかも知れない。

物語は、月修寺の庭で終わっている。

ここから出た時、本多はどうなっているのだろう。

この「阿頼耶識」の庭から戻れるのだろうか。


いつも不思議な読後感に駆られる『天人五衰』。



ようやくコロナワクチン三回目の接種を済ませ、夏休みは遠出ができる!と思っていたら、どうやら世間では第7波に突入してしまったようだ。


思えば、第6波は私が二回目の接種の直後にやってきていたから、そのようなサイクルで私のワクチン接種とコロナ感染拡大の波とが同期してしまった、ってコト?(ハチワレちゃん風に)


そんなわけで、もうしばらくお籠り生活は続く。。


お籠りのお供は、仏教のお勉強!


朝日カルチャーやNHKカルチャーでは今季も興味深い仏教系の講座が目白押し。


コロナは困ったことだが、お陰でカルチャーセンターのオンライン講座がめちゃくちゃ増えた。

これまで平日開催の講座は、仕事のため受講ができなかったし、遠隔地の教室の講座も無理だったが、見逃し配信もあるし、休日にゆっくり自宅で受講できるのは本当にありがたい。


1年前に朝日カルチャー横浜の「唯識思想入門-こころの仏教」(駒澤大学教授吉村誠先生)全4回やNHKカルチャー「アビダルマの基礎〜仏教から見た世界の構造」(花園大学教授佐々木閑先生)を受講したのを皮切りに、今年度は、もっといろいろ受講してみようと思った。


今受講中または受講予定の講座のリストを作ってみた。


*「原始仏教入門」(駒澤大学名誉教授池田練太郎先生)朝日カルチャー横浜

4月開講。通年。釈尊の生涯から始まり部派仏教に発展していく過程や思想の変遷などを分かりやすい資料を用いて解説していただいている。


*「大乗仏教入門」(駒澤大学名誉教授池田練太郎先生)朝日カルチャー立川

4月開講。通年。上記と同じ講師による。大乗仏教の重要経典と共にその思想の特徴を分かりやすく解説いただいている。


*「最澄と徳一〜平安時代の大論争を読み解く」(花園大学教授師茂樹先生)朝日カルチャー中之島

7月開講。全2回。最澄さんも徳一さんも空海にとっては大先輩。空海の宿命のライバル最澄と、ひょっとすると空海の密教思想を当時理解できた唯一の人物かもしれない徳一との論争、大変興味深い。空海は論争には全く関与しなかったが。


*「天親菩薩の生涯」(龍谷大学非常勤講師上野隆平先生)朝日カルチャーくずは

7月開講。全3回。天親菩薩とは世親(ヴァスバンドゥ)のこと。昨年学んだ唯識やアビダルマと関連深い。『唯識三十頌』や『倶舎論』の著者である。こんな難解で緻密な思想を論理だてて説明した偉大な思想家、世親とはどんな人物だったのか。大変興味深い。


*「弘法大師の教え-『般若心経』を誦えるということ」(高野山大学准教授土居夏樹先生)NHKカルチャー神戸

8月開講。全1回。高野山大学のアイドル(?)土居先生の講座。とても楽しみです♪


*「平安仏教〜唐との関わりの中で」(奈良国立博物館名誉館員西山厚先生)NHKカルチャー京都

7月開講。全3回。平安時代に唐に渡った、最澄、空海、円仁について。


また、NHKラジオの「宗教の時間」では、興福寺貫首を務められた多川俊映先生の「唯識〜心の深層をさぐる」が通年で開講されている。

こちらはテキスト代だけで(¥950×2)、学べてすごくお得。



これでお籠り生活も充実。

仕事の合間になるけど一生懸命勉強します。