なつくさのブログの「空海を訪ねてシリーズ」復活第二弾は、嵯峨の化野(あだしの)念仏寺。

第一弾は無難に久米寺にいきましたが、これは攻めてますぜ。


化野念仏寺パンフレットより(石仏の撮影は禁止されているようだったので。)



寺伝によれば、空海がこの地に野ざらしになっていた遺骸を埋葬して、五智山如来寺を開創した、とのこと。

当時は、真言宗であったが、その後、法然の常念仏道場となり、浄土宗華西山東漸院念仏寺として現在に至る。



本ブログの「空海を訪ねて」シリーズは、伝説レベルで空海が何々した場所、というのは、できるだけ除外し、史実から空海関与が明らかなものを対象にしたいと考えている。

今回の念仏寺は、ギリギリ除外対象かと思うが、無理矢理対象に入れてみた。

場所が関東というのであれば、空海は実際に来ていないだろう(私は、関東や東海地方の空海の逸話は全て伝説レベルであると考えている。)ということで明らかに対象外。

しかし、畿内で、しかも空海と親交が深かった嵯峨天皇ゆかりの場所であれば、百歩譲って空海開創の伝が不確かであったとしても、なんらかの関係はあったのではないかと思う。

しかも現在は浄土宗のお寺で、わざわざ空海開創とする理由もあまりないような気がして、あながち嘘でもないのでは、と思える。


サスペンス劇場っぽい竹林。




仏舎利塔。デカかったー。


嵯峨嵐山の駅から化野念仏寺に行く途中に、五大山清涼寺、別名嵯峨釈迦堂があったので立ち寄った。

こちらも浄土宗、空海と関係ないっちゃ関係ないが、私にとっては大切な出会いなので、ついでにご紹介。






清涼寺のご本尊の釈迦如来さまは国宝。

三国伝来(インド〜中国〜日本)の生身のお釈迦さまとして拝されている。

このお釈迦さまの体内には、五臓六腑が施入されていたのが発見されており、解剖学的資料としても貴重。


実は、東京目黒にある大円寺に、清涼寺のお釈迦さまの分身(レプリカ)のお釈迦さまがいらっしゃり、私は、先に大円寺のお釈迦さまと出会ったのだ。

いつか嵯峨釈迦堂のお釈迦さまにもお会いしたい、と思い、初めて嵯峨釈迦堂のお釈迦さまと出会ったのは、もう10年以上前になる。


今回再びお会いできて感激した。

初めてお会いした頃の私は、テーラワーダ仏教を勉強し始めたばかり。

あれから、初期仏教、大乗仏教、そして密教と、仏教いろいろ勉強しましたよ。

生身のお釈迦さまと心の中で語り合った。

そんな嵯峨の1日。








なつくさのブログの「空海を訪ねて」シリーズは、コロナ禍を乗り越えて今ここに復活。

まずは無難に畿内における空海ゆかりのお寺。

空海ファンにはお馴染みの奈良の久米寺。 

このシリーズは2度目の登場。

1度目での記事はこちら。



線路の向こうに門が見える。


線路を渡ると、もっとよく見える。


今日も大日如来さまは朝日に輝く、金ピカ。



前回は、たまたま「大般若転読」の法要の日にお参りし、特設の橋があったり、信者の女性たちが歌を歌ったり、とにぎやかだったが、本日は平日の午前ということもあり、とても静か。


久米仙人


修行大師


久米寺から西へ少し歩くと、益田池の史跡が現れる。


空海が、四国讃岐の満濃池に続いて、灌漑用の堰の建設を指揮し、その完成に寄せて碑文を書いたと伝わる。



空海の書いた碑文の文字があまりにも特徴的なことで有名だ。

史跡には碑文のかけらも落ちてなかったので、詳しくは、エンサイクロメディア空海を参照されたい。


現在、その益田池の跡は、益田池児童公園になっている。



いやもう、足の踏み場がないほど草ボーボーで、自分が児童であったとしても、ここで遊ぶ勇気ないなー。


1200年前の面影は何処に。








7月1日付けで前職を辞めて現在就活中。

退職後は高野山大学で集中して勉強したいと思っていたが、結局諸般の事情により前職と同じ業界で東京で働くことになりそうである。

言っていることとやっていることが、なんだかチグハグで自分でもモヤモヤしている。

そんな私を見透かすように就活の面接でも厳しいお言葉をいただき、随分凹んだ。

自分のチグハグさがこんなに外形的にも影響が出るということに凹んだのだ。おそろしい。

しかし凹んだおかげで自分の気持ちがハッキリしてきた。

いつまでこのチグハグを続けるのか、その終着点が見えてきた。

心のチグハグに決着がついて腹落ちすると、長らく滞っていた物事もいずれスムーズに動き出すだろう。

よかった、よかった、凹んだおかげでチグハグでモヤモヤの決着の仕方がわかったのだから、むしろ感謝である。

そのくらいの荒療治でないと人は自分の気持ちすらわからないのか、などと思う。


そんな日々を送っているが、最近YouTubeでシニアの方の人生訓みたいなのをよく目にするようになった。

定年後の生活についてのアドバイス的なやつ。

健康やお金のこと。

趣味や社会との関わり方。

人生の先輩方のお話は大変参考になる。

定年後の暮らし方については書籍もいくつかでていると思うが、ごくごく普通の方のYouTubeでの語りの方が心に響くし、実際的でもある。

熟年離婚なんて言葉があるくらい定年後のご夫婦の関係もいろいろあるようだ。

私についてみるとその心配だけは無縁で、一度も結婚したことがないし、今後もしないと思う。

ぼっちの老後、ほぼ確定なのだが、ぼっちであること自体に特段不安はない。

諸先輩のアドバイスによれば、いくらでも対策ができるようだ。

この先どうなるかわからないけど、見守りサービスとかあるし、孤独死保険なんてのもあるらしい。

(孤独死ってご迷惑かけることもありますからね。)


健康に気をつけて無理せず、残りの人生を楽しみたい。

その前に決着つけないといけないことがある。

これまでの人生が恵まれ過ぎていたかもしれない。

これについてはいくら感謝しても感謝し切れない。

後ろ足で砂をかけるような終わらせ方はしたくない。

もう、地位も名誉もいらないし(お金は多少あった方がいいが今までほどはいらない)、これまでのキャリアは全部過去のことにしてしまっていい。(仏教を勉強していてよかった。執着しない。)

その前にもう少しだけ頑張る。

頑張れ、私。

大丈夫、きっとうまくいく❣️