先日
学歴もあり
社会的資格も地位もある
仕事をされている方と
話をする機会があったが
言葉をお互い
たくさん使っても
話が通じにくく
その方は
一般的には
賢いとされる方だと
思うが
わたしは
賢さを
あまり感じなかった
でも
知的障害者
と判定されている
先日のこの娘さんや
今まで出会った
一般的には
障害者と判定されている
人たちや
一般的に
勉強が苦手で
ヤンチャな
大人たちが
手を焼く子たちや
猫たちには
わたしは
たくさんの賢さを
感じ
凄く尊敬し
学ぶことも
たくさんある
そしてそれは
頭の賢さではなく
IQで測れるものではなく
人生で何が大切かを
どれだけ
わかっているか
という賢さで
だからと言って
知能指数の高い人が
それが低いと
いうわけではなく
わたしが見たその人は
たまたまその時
そうだったのかもしれないし
その一般的に
地位も学歴もある方も
それが無いのではなく
たまたまその時
そうだったのかもしれないし
それは
過去のわたしもそうで
それは
障害があると
判定されている人に
感じた賢さも
そうで
どちらも
可能性の一部で
そして
知的障害などもなく
人生に大切なことを
真にわかっている人も
たくさんいると思う
でもやはり
心、ハートではなく
頭で生きれば生きるほど
人生で何が大切かを
見失い
有限に埋もれる傾向は
あると思うので
頭を使うときは使い
普段は
どれだけ頭、思考から
解放されているかや
善悪、優劣、過去未来
プライド、荷物を
どれだけ手放しているかが
大切なのだと思う
そして
IQというのは
環境や努力や
脳の機能や遺伝などにより
差があるものだと思うが
人生で何が大切かがわかる
というのは心の目は
それがいつ花開くかは
それぞれのタイミングがある
と思うが
ただ埋もれているだけで
万人万物共通にあるもので
平等なので
ああ
天地がひっくり返ってきたな
面白い時代にきたな
とワクワクした