母との対話 2. | ブログ.

ブログ.

事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.













母は 
九州の小さな島に生まれた
10人兄弟の
末っ子で











内3人は
小さい頃や成人前に
亡くなったので
兄3人姉3人のいる
末っ子で















母の母
わたしの祖母が
47歳という
高齢で










しかも
9番目の兄から
予期せぬ5年後に
授かったことから











授かった当初は
産むのを考えた
子どもらしい









 


そして
祖母が
同居していた
神さまのように優しかったという
祖父の母親に相談すると









「この子は
宝子になるから産みなさい」 
と言われ












身内にいた
長寿の女性の名にあやかった
名を付けられ
母は誕生したという














そして
父は九州の他県出身で
母の姉と職場が同じになり
引き合わされて
二人は出会い
結婚し












姉に続き
わたしも
生まれたのだが












3歳には
三重県に
引っ越してきたし











祖父母共に
わたしが小学生の時には
亡くなっているので













母の地元の記憶も
祖父母と会った記憶も
わたしは
ほとんどなく












だから
わたしは小さい頃から
絵本の読み聞かせや
子守唄の代わりに












いつも母から
母の小さい頃の話や
祖父母の話を
たくさん聞いてきた













それは
海に囲まれ山もある
自然が豊かな
小さな島で 











皆で助け合って
智慧を絞って
物は限られていたが
心豊かに生きていたことや











母は
小さくて素直だったので
兄弟姉妹、兄妹の友だち
近所の人など
それはそれは可愛がられ













特に
島の一番のイケメンで
女の子が振り向くくらい
アイドルのようだったという 笑
母の父、祖父に













正に
目の中に入れても
痛くないくらい
可愛がられたことや















一緒に暮らしていた
その母の祖母が
皮膚癌が顔にできたときも













見た目も酷く
悪臭も漂っていたというが
子どもの中で
母は一人だけ
それを嫌がらず怖がらず












「痛かろう…」
と撫でていたので
「この子は魂がある子や‥」
と泣いて喜ばれていたことや















母の母は
美人ではないが
裁縫も上手で頭は良く
何でも器用で













自分たちが貧しくても
皆にも分け合い
いつもどんな人にも優しく
神様みたいだったことなどで













未だに 
同級生にいつも
「あなたのお母さんに 
どれだけ助けられたか…」 










泣きながら
お礼を言われると
いつも聞かされてきた
















そして
とにかく母は
こんなに地元から離れ
地元から離れ
50年近く経つのに













地元と
物凄く縁が深く












まず
当時の恩師が
90歳代で
今もご存命で











その恩師は
母と特別縁が深く
母とはまるで
姉妹、親娘のようで












今は遠方な上に
もうお互い高齢で
行き来はないが












昔はたまに
泊まりに行ったり
旅行にも行っていて











わたしも
3歳くらいのとき
母と一緒に遊びに行き
お宅に泊まったことも
あるくらいで












今も
電話や手紙のやりとりが
続いている













そして
日本中に散らばっている
男女共の同級生らとも
今も頻繁に連絡を取り












母は今まで
地元だけでなく
関西や関東や
数人でも開かれる同窓会に
10回も20回も行き











それは
働き者で
贅沢もせず
裁縫以外の趣味も
特に無く












酒もタバコも博打も男遊びも 笑
一切しない母の
唯一の楽しみだったようで














父はいつもそれを
快く見送っていた









  




そしてそこには
奥さんを同伴する人がいたり
父も行ったことがあったり
わたしも会った人がいるなど
家族も関わるような深い縁で












だから
今でもどこかで
地震が起こったり
自然災害などが起これば
すぐに仲間らと連絡を取り合い
安否を確認し












去年4月の
世間でマスクが
品薄になったときも











裁縫が得意な母は
せっせとマスクを作り
恩師や同級生に
全国に送り












そのネットワークは
SNSもインターネットも
当時はLINEもしない
電話や手紙だけの
母たちだったが












もうそれは
それどころではない
ネットワークだった



























そして今
毎日
母と色々な話を
するのだが











それが
どんどん
濃く、深く、長く
なっていて










先日も母と 
母の両親や祖母や兄妹や
同級生の話を
していたら













母の地元の宴会は
わたしの結婚式のように
それはそれは賑やかで












それはそれは
下ネタも大ありの 笑
飲めや歌えや踊れや脱げやの
大騒ぎで 笑











それを
率先して賑わせたのが
もう10年以上前に亡くなった
母の長姉で
もう、真のエンターテイナーで 笑












その血を
濃く受け継いでいるのが
母で 笑











父もそれに影響を受け 笑
宴会ではたまに
二人で色々やってきた
と話し始めた 笑











そして
ある宴会では
前持って隣市まで
花嫁衣装を借りに行き 爆
父が化粧をし花嫁になり
母が新郎になったことがある 爆
と話し始め













ああ、そういえば
そんなこともあったな…笑
と思いだしたのだけど













詳しく話を聞くと
32、3年前の
叔母の新築祝いを
身内で祝うときで











身内に
酔うと酒癖が悪くなる人がいたので
せっかくのお祝いの場なので
それを起こさせないように
二人でそれをしたと言い











だからそれは
病弱な叔母が一人息子を抱え
命懸けで生き働き
女手一つで建てた家の
新築祝いだったので













無事に
平和に和やかに
大爆笑と涙で
お祝いが終わったとき














叔母に
泣いて喜ばれた
と言い













あの笑いの裏に
そんな意図が
あったことを知り












ポロポロと
涙が止まらなくなった

















そして
それを思いだし













ああ、そんな夫婦
最高だなと思った今日が





























改めて、それは
八百万の神の遊び
天岩戸開きだな
と思った




























そして
母と家族や
同級生らのやりとりや
絆を聞いていたら












今までもずっと
聞いてきたことだったけど
今母が   











今まであった
善悪や優劣を
どんどん手放し
目覚め始めているから











わたしはより
素直に純粋に
母の話が入ってきて













皆もだが
特に祖母や母が











温かすぎて 
純粋すぎて
まさにこの時のように 
だと思い









わたしはまた
ポロポロと
涙が止まらなくなった




















そして
わたしは
祖母に会った記憶は
1、2度しかないのだが
いつも思いだし














それはわたしは
祖母、母から受け継いだ
神の資質があり
それが天職だと
思っているからで















先日から
母は頻繁に
蝶々が目に入ると言い












わたしも 
有り得ないくらい
黄色い蝶々が目につき














祖母の名前が 
〝ちょう〟だから
祖母だね
と二人で泣きながら話した



















そして
母とも6年前の












まずわたしたちが
あの日のように
どこまでも幸せになって












その幸せが
波紋のようにどこまでも
たくさんの人に広がるように
生きていくのは













祖母から受け継いだ
わたしたちの使命だよね
と二人で泣いて話し














ああ
こんな日がくるなんて
と発狂した





















母の次姉の結婚式。母、全く変わってなくて可愛い 笑